Garadanikki

日々のことつれづれ Marcoのがらくた日記

大佛次郎 著『帰郷』六興出版社版

 

f:id:garadanikki:20211126113009j:plain11月下旬、池袋で開催されていた 古本市 で買いました。

書棚でひときわ目立っていたのは、斬新な装幀のせいで、

西洋と東洋が混ざり合った色合いにグッと惹かれて手に取った。

どんな物語なのか、ページを繰るのが楽しみになるような装幀だったから。

( ※ 装畫 佐藤 敬 )

本を伏せるのは抵抗あるんだけど、そっと…。

この絵は、物語の舞台にもなっているマラッカ (マレーシア) の街並みだと思われます。

椰子の木の広場に、ヨーロッパ調の建物やモスクのような建物が建ち並んでいて、

多種多様な文化が織り交ざった貿易都市らしい感じが良く出ている。

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物語の中に、小野崎という画家が出てきます。

小野崎は、主人公―守屋恭吾の娘に小説の挿絵を頼まれるんですが、

小説を読んで挿絵の依頼を断ります。

「違ふ! 違ふ! こんなマラッカはない! 嘘っぱちが。
 このひとはマラッカへ行ったのかも知れぬが、見てやしない! 嘘だ。嘘だ!」

             ~中略~

「マラッカは、こんなものぢやありませんぞ。實に、實に。
 ……色が重たくて輕快なのです。強烈でゐて、さびてゐるんだ。」

六興出版社版『歸郷』p.180~181より

 

なるほど。

重たくて軽快》《 強烈でいてさびている》か。

マラッカに行ったことがないけれど、イメージが膨らんだ。
その手助けしてくれたのが表紙絵だ。

 

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この作品は、昭和23年に毎日新聞に連載されたのが単行本になったもので、
初版は、苦楽社という大佛さんが創設した出版社から発行された地味な装幀の本でした。

この六興出版社版は、芸術院文科賞を受けた記念に出されたという派手目な本です。

お祝いだからでしょうか、思いっきり張り込んで作られてます。

もし古本市にあったのが、地味な方 ( 苦楽社版 ) だったら、気づかなかったかも知れません。

 

 

【あらすじ】

元軍人の守屋恭吾は、汚職の責任をとり、妻子を日本に残し流浪生活を送っている。

戸籍もなく中国人になりすましてヨーロッパからアジアへと潜伏していた彼は、

マラッカで昔の仲間―牛木と再会する。

恭吾は、牛木の連れの女性―高野左衛子と一夜を共にするが、左衛子の密告によりスパイ容疑をかけられ逮捕されてしまう。

 

終戦により釈放された恭吾は、妻子のいる日本に帰国するが、18年ぶりの故国の
状況に幻滅。娘との再会も果たし、自分を窮地に陥れた左衛子とも決着をつけた恭吾は、再び日本を去っていく。

 

【こんな人たち…】

守屋恭吾 ⵈⵈ 上官や同僚の汚職を自分が1人で被って姿を消し、長年流浪の旅を送っている。

      ギャンブルの才があって隠し財産を持っているボヘミアン。

高野左衛子 ⵈⵈ シンガポールで料亭を経営する凄腕のマダム。

      軍人が多く出入りする店で「日本が危ない」という情報を聞くと、稼いだ金をダイヤに替

      え、いち早く日本に引き上げる。

高野信輔 ⵈⵈ 左衛子の夫。もと華族の次男で、生まれてからこのかた働いたことがなく、左衛子の稼ぎで

      暮らしている。

お種 ⵈⵈⵈⵈ   信輔に手をつけられた芸者。左衛子に水揚げされ、信輔の世話役として雇われている。

牛木利貞 ⵈⵈ 恭吾の同輩。戦争で多くの部下と同輩、息子を亡くした軍人。

      終戦後は鎌倉で抜殻のような余生を送っているが、恭吾から「自分の人生を生き直せ」と言

      われ、人生を見直す決心をする。

守屋判子 ⵈⵈ 恭吾が日本に残してきた娘。

      洋裁の仕事をするかたわら、知人の出版社で編集者としても働いている。

      判子が恭吾の娘であることを知った左衛子は、罪滅ぼしの気持ちも手伝い、父娘の再会の

      おぜん立てをする。

守屋節子 ⵈⵈ 恭吾の妻で、失踪した夫の代わりに判子を育て上げるが、現在は、隠岐という学者と再婚し

      ている。自分が手に職のなく苦労したことから、娘には裁縫を習わせたりする。

隠岐逹三 ⵈⵈ 小心で日和見的な性格の大学教授。

      政界に進出するつもりで、身内のスキャンダルを恐れている。

岡村俊樹 ⵈⵈ やり手の左衛子の財力をあてにして付きまとっているC調な大学生。

岡部雄吉 ⵈⵈ 俊樹とは対照的な性格な学生。

      戦地での経験もある雄吉は広い視野を持っている。

小野崎公平 ⵈⵈ 本業は画家だがなかなか売れず、戦前は美術評論を、戦後は道楽で習ったギターで生活し

      ている。

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この作品は、戦争によって翻弄される人々の姿が、巧みに描かれています。

登場人物は、善人・悪者とステレオタイプではなく「こういう環境におかれたら、こう動くしかなかっただろう」と頷けるように、描き分けられています。

 

主人公の守屋恭吾は、お洒落で男気溢れる魅力的な人物だけど、それ以外の登場人物もなかなか見逃せないキャラクターです。


恭吾の妻の再婚相手―壱岐達三は、恭吾と対照的で利己主義な男で、自分の面子の為に右往左往する様子がよく描かれていました。

その呆れるほどのダメダメさ加減が却って愛しく感じて来ました。

※ 吉永小百合版の映画では、主役の恭吾より大きい役みたいです。

自由主義者と称する逹三は、戦争の大浪に煽られて動揺して時々華やかな日本主義のジェスチュアを示し、軍の委託で大陸にも出かけながら、神経質なのと小心なのが幸いして、目立つほど誇張した神がかった言動には出なかったのと、活動が自然と文化や美術の方面に限られてゐたので、戦時中に欠いた二、三の著書も追放の理由にならなかったことである。

どんな時代が來ても獨特の適度で公正らしい態度が、自然と、本人に怪我をさせないばかりか、微温な讀書人の固定した信用を失わしめない。また、いつの時代の日本政府も、かういふ穏健中世の紳士には、學識経験と云ひ、飛びついて何かの委員に迎へて危険を感じないのは當然だし、終戦後の世に澎湃ほうはいたる文化主義が、何でも適度に判る壱岐氏を老人にさせて了ふ筈がないのであった。

p.186より

 

「どちらにでもなる人だよ。シイズンで染色が違ふんだが、公正で道徳的な立場でゐようとしてゐるから、踏み外して雲から堕ちることがない。つまりどんな時代が來ても、絶對安全な人だから…」

p.202より

 

 

大学生の岡村と岡部が同世代でありながら、違った戦争観をもっているのも面白かったです。

岡村は「それから、戦争のお話なんか、わざと、かういふ席でなさるの、どうでせう?」と言って、戦争を引きずる大人を「古い」と否定する戦後派きどりの学生。

岡部の方は戦地経験者で「生きる」ということの喜びを素直に表せる学生。

小さいことが、彼を悦ばせる、人が見のがすほどにつまらないものでも、不意に彼を驚かしたり、満足を味はせる。

電車を待つてゐる間に、線路を雀が歩いてゐるのを見るのでもよかつた。

都會の雀は、痩せて燻煙で羽色がよごれてゐる。

しかし、これが、線路の赤錆びした砂利の上に降り、小首を傾げ、仔細らしくあたりを眺め、思ひ出したやうにひらりと飛んで位置を變へては同じ所作をしてゐるのを見ると、雄吉は何となく樂しくなり、電車を待つ苦勞も忘れてゐられる。雀の中に、彼は自分を認めた。

「生きてゐやがる!」

p.193より

 

 

作者は、どっちが正しいと言い切れないように、ひとりひとりの人物に愛を注いで書いているように感じます。

もしかしたら、“戦争協力”の随筆があるという作者の封印された過去の想いも、作品に込められているのじゃないでしょうか。


特に印象深く、辛く、感動的に思ったのは、引き揚げのシーンでした。

私たちが絶対に忘れてはいけない話だ、と思いながら心に刻みつつ読みました。

しお。」大きくさう書いてから、脇の方に走り書きの文字で、「きたなくない。」
なるほど、袋は、しおを入れてあるらしく、重い垂れ下りやうをしてゐた。もとより昨夜ゐた連中の仕事である。それも恭吾は、この雜嚢も、鹽も自決した兵隊の持ちもののやうな心持がした。

    ~中略~

武装解除された日本軍は、シンガポールに収容されることになつて、マライ地域の各都市にゐたものは、とつくに付近から姿を消してゐたが、ビルマあたりにゐて、鐵道もなくなり路線傳ひに徒歩で來た部隊が、今もなほ時たま、街道を南に送られて來るのであつた。

惨めな戦敗と飢饉と徒勞に極度に人はやつれてゐた。病人は途中の山越えの難路で、續々と死んで行つた。食べ物を保有出來た者だけが生き残り、雨でどろ沼となつた道を泳ぐやうにして戻つて來たのである。

ジャングルの中には、捨てられた日本の軍馬が彷徨してゐた。日本の兵士と知ると人間以上にやつれた姿を現して、なつかしさうに随いて來た。しかし、人間の僚友の病苦で歩けぬのさへ、構つてやる餘力が人に失くなつてゐた。ひよろひよろになつた軍馬は、随いた來て途中で仆れるす、木につながれて、いつまでも耳につく聲で啼いてゐた。

人間の病人も、無言で連れと別れて、密林に姿を消し、出發の時に渡された手榴弾を用ゐて、苦痛の根を絶つた。

    ~中略~

今日の恭吾は、自分から求めてそれを見に來たのである。目を逸らすことは自ら許さなかった。

    ~中略~

「鹽。……きたなくない。」

恭吾は、樹間に垂れてゐた汚れた兵隊の雜嚢のことを思ひ出した。

あれは、あとから炎天の道を疲れ切つて來る者への贈物だつたと、判つた。僚友の死には、一切無感動になつてゐても、生きてゐる苦しみには、同情が働いてゐるのである。

p.90より