「古書に費やす金額は、新刊と同額まで」というマイルールがあって、
でもこれはもう少しお小遣いを足さないと買えなくて、ずっと我慢してたものなの。
そんなことを言うと、必ずMOURI にツッコまれるんだ。
「へえぇぇぇ、君の辞書に“我慢”ってあったんだ。(笑)」と。
するんですよワタシにだって、たまには我慢することも。。。
まあ今回は我慢できなかったワケで、新刊2冊分だったから当分は我慢するということで。
さて、この「縁談窶」には、表記の作品の他 短編が11作収められてます。
「無限の晩餐」「伊豫すだれ」「不貞」「オー・ド・キニン」「大臣の晝飯」「うで玉子」
「夢みたいな話」「備忘録より」「穴」「仕合な藤七」「石門の奥に」というラインナップ。
この本は、大正14年の初版本で、里見弴さん38歳の時に発表されたもの。
今から89年も前なのよ、美本だと思わない?
美本といえば、装幀も美しい。
里見さんが尊敬する、泉鏡花さんの装幀も多く手掛けてらっしゃる、小村雪岱さんの作品です。
いつも渋い装幀がお好みの里見さんにしては珍しく、華やかな作りだなあ。
今、放送中の「花子とアン」でも当時の美しい装幀の本が沢山出てきて、それを花子が抱きしめるシーンがあるんだけど、気持ちわかるわかる。この古書も何度、頬ずりしたことか。

ええと。本のことは、このくらいにして。
「小父さん、お酌してあげましょう」
冒頭そう呼びかけてきたのは、阿野 ( 主人公 ) の友人の娘、都留子です。
都留子の父親は、彼女がまだよちよち歩きの時に急性盲腸炎で早世し、都留子は母親の手で育てられた。
阿野と亡くなった田島とは、小学校からの友人で二十年の付き合い。
でも田島が亡くなって。
葬式万端の指図、子供の教育や財政上の相談など、田島家のことをなにやかや世話を焼いてきた阿野は、
田島とより、未亡人-勝子との付き合いの方が長くなっていたのである。
さて。主人公の阿野というのはどんな人物かというと。
おまけに、それほどの放蕩のあげくには、大抵の人が陥らなければならない筈のところからも、仕合せと彼は救はれてゐた。
先代の一方ならぬ愛顧をうけた番頭が、今時には珍しい、正しく死を決しての諫言に、法律では兎も角も、事実上は現在の雇人から隠居を仰せ附かつた態で、業務はもとより、家計一切その男に任せ切つて、それ以来もう十年近い田舎住居だつた。
細君は、夙 ( とう ) の昔に愛想をつかして、さつさとひまを取つて、故家に歸つて了つたし、子供はなかつたし、一時は阿野もしょんぼりしてゐたが、何人でも手當り次第に圍つて置いた女たちの、それ?利口に身の振り方をつけて行つたあとに、最後まで踏み留み止まつたお藤と云ふのが、いつからともなくづるづるべつたりに鎌倉の住居に一緒になつて、今では夫婦同様に暮らしてゐた。
( 中略 )
盛りの頃の、一晩の小遣にも足りない五百圓ちてぬ金子が、月々店から届いて來るのを、多くも少なくも思はずに、女中とも三人口の一家、たゞもう安穏に暮らしてゐた
現在、都留子は婚活中。
阿野は勝子から、またしても「縁談についてご相談申し上げたく…」の手紙に促されて、上京をしてきたのだった。
都留子の縁談が破談つづきで、なかなかまとまらないのは、母親がせいではないかと阿野はみている。箱入り娘の都留子は、母親が焦りに焦るほど気迷いが多くなり、神経質になりすぎている様子。
快活だった都留子もめっきり顔色が冴えず、やつれてしまい、阿野は「縁談窶れ」という造語まで思いついた。
物語は、母と娘と くされ縁の小父さんが、娘の縁談をめぐって一喜一憂する様子がコミカルで洒脱なタッチで描かれていきます。
お~お~お~
久しぶりの里見作品をまた堪能したぞ。
その面白さを解ってもらいたいと思うと、自然、引用が多くなってしまう。
なんたって、原文が面白いんだから。
既に、説明かわりに原文を2つ書いてしまいましたが、こうなると全部書いてしまいそう。
ワタシが特に、好きなシーンは、阿野と勝子が縁談のことで話をするシーン。
こんな感じ。
だんだんかう元氣がなくなつて來て…、この頃はまためつきり顔色も惡いし、痩せたし…
勝子…それァ、貴方、年齢のせいよ
阿野…年齢のせい? 冗談いつちやアいけない。二十二三と云つたら、花で云へば真つ盛り…
(中略)
勝子…ですからさ、それは、貴方、年齢の加減ですよ。
いくら都留子がおてんばだつて、二十三にもなりやア少しは貴方
阿野…いゝえ、それアそれとして、あの衰弱は、また別ですよ。あれア全く縁談窶 ( やつれ ) だね。
(中略)
阿野…なんですか、つまり、惚れた男でも…
(中略)
阿野…こればかりは、いくらはたから厳しくしたつて、――よしんば貴方が、つきッきりにそばにくつ
ついてゐたつて、見る目かぐ鼻の、取締りまではつかないんだから、惚れたとなれァ遠慮なく
惚れるでせいがね…
(中略)
阿野…それに第一なんだァ、今時の娘さんたちは、西洋の活動役者、
――壁だかシイツだかの上に映つてる、それこそほんとうの幻みたいなものにも惚れるつて云ふ
し、さうかと思ふと、恐れ多くも雲井の上の御方をお見初め申して、昨年の×××当時なんぞは、
全國に亘つて數十萬の失戀者を出したつて云ふくらいだから…
阿野…年齢をくふたんびに利口になるもんなら、貴方なんぞもういゝ加減…
勝子…うるさい人ね!
いゝわ、なんでもさうして茶化して了ふんなら、もう決して相談なんぞ頼まないから
阿野…たすかる!
亡くなった友人の細君とのこんな風な会話が出来るなんて、いいわよね。
ところが後半で、縁談がまとまり、結婚披露宴の時の阿野と勝子の会話が、また興味深い。
勝子が阿野に「どうも、なんともお礼を申し上げようもございません」なんて言うと、
阿野の方でも「段々と、貴方もさぞお疲れでしょう」なんて、堅苦しい調子なんです。
原文は、こんな調子で続きます。
このくだりの後、阿野が小さんの「饂飩屋」という落語を思い出したとある。
落語に出てくる酔漢は、婚礼の帰途、夜泣きうどん屋をつかまえて、可愛がっていた友達の娘が自分の前にピタリと両手をついて、さて小父さんと呼びかけたのが、なんとも云えず嬉しかったと、何度も繰り返し、くだをまくんだけど。
実際の都留子は、カチンコチンに硬くなって、始終うつむいてままだった。
しかし阿野の心の奥には、落語の酔漢と大した変りのない思いがした。というのです。
小さんといえば、ワタシは五代目で「饂飩屋」を見てますが、
大正14年当時の小さんといえば、恐らくは三代目と思われます。
この作品を読んで、YouTubeで、三代目と五代目の「饂飩屋」を見て、これまた感動したんだけど、
それは また 別のお話。
三代目 柳家小さん「饂飩屋」
五代目 柳家小さん「饂飩屋」