斉魚 ( えつ ) 姉 ( ※文末 ) さんが、本をプレゼントしてくれました。
今から40年近く前に出版された本なので、古書です。
作者は、鴨居羊子さんと八鍬真佐子さん。
猫について書かれた本なんですが、斉魚姉さん曰く、
登場する猫が、カイさんやあかちー、マダグロさんに似てると言うのです。
それに作者の2人も、猫みたいな人だって言うのよね。
【捨て猫次郎吉】
『捨て猫次郎吉』の作者―鴨居羊子さんは、日本の下着デザイナー。
本書は、鴨居羊子さんが一匹の子猫を拾ったことをキッカケに、その後次々に拾われた猫たちと愛犬との暮らしを綴ったものです。
愛犬や猫たちがユーモラスに描かれているんだけれど、特に最初の捨て猫 ( 治郎吉 ) を拾うことになった部分が素晴らしいのです。
大型犬を飼っているので、猫は飼えないと長年思っていた著者が、散歩の途中、捨て猫を見かけるところから始まるんですけどね。。。
大きな犬の脚にしがみついた。私は襟の後ろをひっつかまれたように、戸惑い、立ち止まった。
私がもっとも驚いたのは、でっかい犬の鼻吉が、とび上がらぬばかりに興奮し、
つれてゆこう、つれてゆこうと私を見あげて、そそのかしたことだ。
彼女は、その捨て猫を拾って帰ります。その描写がまた凄いんです。
大きな犬と小さな捨て猫が様子がよく伝わってきますよね。
そんな子猫も、初めの日だけはほっとして元気でしたが、衰弱していくんです。
また椅子へのぼって、ひたすらねむった。
犬はいつも孤独だったが、小さい相棒ができて喜んだのもつかの間、一しょにふざけようと思った子分がこんこんとねむってばかりいるので、手持ち無沙汰のあまり、縫いぐるみの小象をくわえてきて、ヤケクソのようにふりまわした。
~中略~
でっかい犬が子犬みたいに床にころがって小象とふざけるのを、子猫はうつろな目でおっかけた。
・・・・心にしみます。犬の心情、子猫の体調が手に取るようにわかります。
幸い子猫は一生懸命に黙然とあきらめずに≪生≫を望み、回復していきます。
鴨居家には、治郎吉をキッカケにして沢山の猫がやってきます。
私も経験があるんですが、初めて飼った猫や、頭数が少ない時の子の印象は強いもの。
一方、数が多かった時期の動物たちの思い出は、可哀想だけど「その他大勢」の記憶なんですね。
本文も何匹かのエピソードが書かれているけれど、やはり一番最初の、治郎吉の章が一番心に残ります。
それが現実、いたしかたない話だろうと思いながら読みましたけどね。
【にゃーと一声啼きまいらせそろ】
こちらの本は、猫たちが書いたお葉書に仕立てられています。
失恋した人にあてたものだったり、病気見舞だったり、入学見舞だったり。。。
こんな時、猫だったらこんな風に言ってくれるだうな、と、クスクス笑えるような心にしみるような、ほのぼのとするような言葉とイラストがおさめられているのです。
こんな感じです。
にゅうがくしけんに御らくだいのよし、おなぐさめ申しそろ。
しけんなるものそも訝しく不思議に存じおり候ところ あなたさまがたいへんお泣きのこと、ただただ驚きのほかござなくそろ。
あなたさまの悲しむはわらわも悲しきこと、そっとぼんをいたしそろ。
さても生きものの足は弾むようにつくられてあり、人間には笑顔が似合うものと。
ぷいぷい。
ぷっとさんより 落第した人へ
この、ぷいぷいというの、癖になってしまいそうです。
【斉魚 ( えつ ) 姉さんのこと】
斉魚姉さんとワタシの出会いは、猫がらみ。
斉魚姉さんは4年位前まで、にゃんこの集会所で猫に餌をあげに来ていた方。
ワタシすれ違いだったんです。
今ではウィーンから年に一二度の帰国の際に、猫に会いに立ち寄られるんだそうで。
今年の帰国で猫に会いにいらした時、初めてお会いしたんです。
お話したのは一度きり、時間もせいぜい3~40分だったけど、にゃんこが引き合わせてくれたんでしょう。
袖すりあうも他生の縁 というのは正にこういうことなのだと思います。
ウィーンと東京。
メールのやりとりをさせていただくようになり、本の話、猫の話、古墳の話、その他いろいろ、おバカな話に花を咲かせているんですが、ちょっとお姉さんなので、斉魚 ( えつ ) 姉さんと呼ばせもらうようになりました。
斉魚姉さんは、美人で上品なのに、サッパリしていて気風よし。話題も豊富で面白く、とても素敵な女性です。姉さんの文章は、鴨居羊子さんや夏目漱石さんのように歯切れが良くカッコいいんです。
すっかりファンになってしまったワタシは、じゃいあんがハタボウを慕うように懐いてしまっておりますが、ん? ということは斉魚姉はハタボウか?
ともかく。。。これからも、折に触れ、ちょくちょく話にのぼることになるお方。
斉魚姉さん、どうぞお見知りおきくださいましね。 ぷいぷい。