10月06日 早稲田の穴八幡宮で購入した里見弴さんの本 を、
楽しく読みすすめています。
本日読了したのは『山ノ手暮色』
里見さんが、昭和4年2月12日に書かれた作品。初版本は、小村雪岱木版画装で、春陽堂から発売されましたが流石に手に入らず、これは生活社から発売(昭和21年7月30日)されたものです。
何故、17年経って違う出版社から再販されたのかわかりませんし、再販される程度人気だったのかは謎。ただこの時期、里見さんが、公私共に多忙であったことは、年譜を見れば明らかです。
プライベートでは、正妻のまさ夫人と、愛人お良さんの、二つの家を構えています。
作家としても新作(『十年』『姥捨』『有島兄弟』など)を次々に発表しています。
当時の文学界には、純文学ひとすじ芸術至上主義を貫いた作家、芥川龍之介・川端康成がいます。また芥川龍之介の朋友、久米正雄は、純文学に憧れをいだきながらも通俗小説に自らの活路を開きます。里見さんは、純文学も手がける一方、通俗小説もこなす作家だったようです。
では、当時の作家の懐具合は、いったいどんなものだったのでしょうか。
松浦総三編『原稿料の研究~作家・ジャーナリストの経済学』によると、
大正13年当時(少し前になりますが…)の文士の年収所得番付の
2位に、菊池寛 7,500円(現16,800,000円)
5位に、久米正雄 6,000円代(現14,400,000円)がランクインされていますが、
芥川龍之介は久米の半分3,000円代(現7,200,000円)だったようです。
もちろん発表する作品数は違いますから、大雑把過ぎる結論付けになりますが、純文学よりも大衆文学の作家の方が、経済的には豊かだったのではないでしょうか。現在、里見・久米の作品が、芥川・川端の作品よりも知名度が低いのは、皮肉な話です。
本作『山ノ手暮色』は、里見弴作品の中でも、いわゆる通俗小説のジャンルに入るようです。
早くに両親をなくした三兄弟、長兄-靖彦、次兄-宏吉、末弟-舜三と、その周りの人々の人間像を描いた作品。物語は、末弟-舜三の結婚式から始まります。
次兄-宏吉はちょっと浮世離れをしたところがある男で、早くから実家を独立し自由な生活を送っています。長兄-靖彦は、両親が早世した後、弟たちの親代わりとして一家を支えます。靖彦には肺の看護をしてくれたかつての付添婦-篤子を娶って、親の残した家屋敷を守っています。新婚夫婦の末弟-舜三と新妻-雪枝は、長兄夫婦が住む実家に同居します。
そもそも新妻-雪枝は、靖彦が見初めて弟の嫁にした女性。靖彦としては、弟の嫁として、雪枝を可愛がっていたのですが、靖彦の妻-篤子や弟-舜三から疑惑と嫉妬の目を向けられることになります。
里見弴の代表作として現在発売されている作品に比べると、やはり通俗的な感じがして、里見色 が、薄い気がします。しかし昭和初期の 家 というものを、家長の立場、次男の立場、末っ子の立場を通して丁寧に描いています。特に好きな部分は、新婚旅行に旅立つ弟夫婦を見送る、下記の場面です。
-中略-
そして最後には、みるみる黒みを帯びて、小さく縮んで行つた紅い鮮やかな尾燈…。
-中略-
--追突を防ぐ。うしろから近づいて来るものに注意する、近づくなと云ふ、…成程、舜三たちは、もう吾々から離れて行つたのだ、生活が別になつたのだ、吾々はあと追ひしちアいけない、近づけば紅だ、危険の信號だ…。成程な…。
何か大發見でもしたやうに、急にそんな、文學青年じみたことを考へるところもある靖彦だつた。」
親代わりとして育ててきた末弟への、長兄-靖彦の思いが、うまく描かれています。
流石です。
古本屋から買った本は、大事にしまっておかないで、どしどし持ち歩くのがワタシの流儀。
蔵書は、触ったり、読んだりしていく内に、本自体に表情が出てくるように感じます。
左は、GOKURAKU亭 右は、樹ガーデン
1人で鎌倉に行く時は、必ず本を持っていきます。今日(10/23)は、『山ノ手暮色』
※ これは、 旧GARADANIKKI (JUGEM) にアップした2012年10月23日 12:37付のコンテンツです。
hatenaへの引越しに伴い一日だけ先頭にアップし、後日 作成日へ以降する予定です。