太田姫稲荷の元宮のご神木、結構大きかったんですね。
離れてみて驚きました。
駅前だというのに凄く落ち着くのは、ご神木だからかな。
名残惜しいけど、先にすすむことにします。
回れ右して、大阪を下ります。
私、写真を撮るとお月さまが入っていることが多いんです。
そんな気がするだけなのかしら。
夜とぼとぼ歩いていて見上げると月が、なんてことも多いのです。
わかった、前前前世はかぐや姫だ。
👉 んなこたぁ ないだろう
左にカーブしているのは総武線。右は中央線。
この道は中央線に沿っています。
ということはだ。
おおっと万世橋のかの場所が見えてきた。
マーチエキュートに着きました。
実はこの場所、江戸時代は筋違御門という広場だったんですって。
こんな看板がありました。
御成道
『御府内備考』に「御成道、筋違外広小路の東より上の (←ママ。上野 ) 広小路に至る道をいう」とあります。この場所は、江戸城外郭門の一つ筋違御門のあった場所で、江戸城から上の寛永寺に通じる「御成道」が通っていました。
見附の広場は、筋違御門・昌平橋・駿河台・小川町・連雀町・日本橋通り・小柳町・柳原の各口に通じていたため「八つ小路」と呼ばれました。
また、床店が設けられ、さまざまな催しが行われるなど、江戸でも賑やかな場所でした。
明治時代には、万世橋停車場が設けられ、繁華街の一つとなりました。
下の地図は、安政六年 (1859) のものです。
(注)普通の地図と方位が違います 上が西、右が北です。
将軍は、寛永寺までの墓参りにこのルートを通っていたらしい。
昌平橋を通らずに、その下流に筋違御門というのを作り、橋がかかっていた。
※ 当時はまだ万世橋はありません。
拡大すると下図 ⤵
http://tois.nichibun.ac.jp/chizu/images/0903468.html
資料名: 江戸圖 : 安政
題箋・内題など: (内題)御江戸絵図
内容年代(和暦): 安政6 (西暦): 1859
マーチエキュートの外にある「OBSCURA COFFEE ROASTERS」の隣に自動ドアがありまして、
そこを開けると、じゃじゃーん
ここが1912階段です。
自動ドアを開いた時、たまたま通りがかった男性が階段を見てギョっとしてました。
「なんでこんな所に、こんな古い階段があるんだ」と思ったみたい。
どうしようかな。
階段を昇って「N3331」でコーヒー、、、とも思いましたが先を急ぐことにします。
今日は、向島まで足を延ばすつもりだから。