石原慎太郎 箸『狂った果実』を読んだのは、
一昨年のこと。
どうせなら初版本で、と入手した古本で読了しました。
「なんじゃ、こりゃ」と放り出したのを昨日のことのように思い出します。
石原慎太郎は芥川賞作家ですから、
既にこの時には、力を持っていたんでしょう。
弟・裕次郎を起用したのも、津川雅彦の抜擢も慎太郎氏によるものだったといいます。
それがキッカケで石原裕次郎というスターが誕生したワケですから、慎太郎氏の功績は大きい。
但し作家としての才能は如何なものかと、私は思います。
若いエネルギーは感じるけれど、文章の稚拙さは『太陽の季節』と同じ、いえそれ以下なのではないでしょうか。
因みに芥川賞の選考では、作品にみなぎる若々しい情熱が評価される一方、
「体格は立派だが頭は痴呆の青年の生態を胸くそが悪くなるほど克明に描写した作品」「ハード・ボイルド小説の下地がこの作品にはある」とした上で、「その方を伸ばして行けば、『オール讀物』新人杯位まで行くことは先づ請け合へると思ふ」と酷評する選者もいました。
芥川賞を獲った『太陽の季節』でさえ、そうなのだから、
《 葉山町にある旅館の離れで行い、原稿用紙100枚の小説を「たったの8時間」ほどで仕上げた即席短編小説 》といわれるこの小説だったら、このくらいの出来で当然かも知れません。
志那発言を思い出しました
慎太郎氏は、中国のことをずっと《シナ》と呼び通していました。
都議会でも「何故《シナ》というか」をとうとうと論じている映像がありますし、
記者から言及され、こんな答弁もしていました。
「うるさい。俺は物書きです。言葉を大切にする商売だ。シナをシナといって何か悪い」
このブチギレ発言、「なるほど。物書きと来かた」と、印象深いものものでしたが、
のちに『狂った果実』を読み、本人が豪語するほどの語彙力はないなと、思った次第。
その小説の映画化が何故人気なのかよくわかりませんが、当時は大変なものだったようです。
大好きな鎌倉・逗子・葉山が舞台だし、1956年当時の湘南への興味もあり、
正月放送を録画したので観てみることにしました。
感想は、
うーんやっぱり非論理的、筋もいい加減、兄弟やヒロインが何に悩み苦しみ楽しんでいるのかわからない、ひたすら幼稚に見えます。
パーティーに喧嘩、フリーセックスと、やってることは大人なのに。
裕福な家庭に育った若者たちの無軌道な生活が生き生きと描かれていれば、それでいいのかな。
「しかしなぁ」というのが私の感想。
私にとっての一番の見どころは、やはりロケ地でした。
鎌倉駅も出て来るし、逗子駅も出てきます。
おお、古い鎌倉、いいじゃないですか。
弟役の津川雅彦 ( 手前 ) と、兄役の石原裕次郎、登場!
兄の名は滝島夏久、弟は滝島春次。
かわええ~ふたりとも
鎌倉駅構内は、そんなに変わらない。
鎌倉のホームも、そんなに変わらない。
63年も前の鎌倉です。
逗子駅の看板の字体が古くていい。
この映画の魅力は、この人の美しさにある、後の石原夫人、北原三枝さん。
一重でキリっとした顔立ち。決して絶世の美女ではないけれど、スタイル抜群。
ウエストがキュッとしまったワンピース姿に、立ち姿は只者ではない。
兄・裕次郎と不良友だちが、女の子を集めて品定めパーティーをします。
弟・津川が連れてきた彼女、天草恵梨・北原三枝は、他の女がかすむほどのいい女。
悪ガキたち「ヒューヒューヒュー」です。
逗子駅舎が奥に見えます
ボンキュッボンとはこういうスタイルか。
二の腕も美しい。でも北原三枝さんて男顔。
映画の中でビックリしたのがこの人。
誰だかわかります? 岡田真澄さんです。
若い時の方が外人顔だったのね。
お兄さんのEHエリックさんかと思った。←知らないかな、みんな。
岡田真澄演じる、平沢フランクという青年は、お金持ちのボンボン。
親の金で、高級外車コンパーチブルを乗り回しています。
あら この場所、御成通りの入り口じゃない。
花春という花屋さんは今でもあります。⤵
この頃の津川雅彦さんは二枚目じゃない。
お兄さんの長門さんに似てる。サザンの桑田さんにも似てる w
この景色は、ここです⤵
申し訳けないが、作品自体は原作と同じく感動ポイントはありませんでした。
が、時代背景が興味深かったので、観といてよかったと思います。
おまけ
懐かしい電話ボックス
石垣の素敵な家
兄弟のご両親
春次は、親のことを「パパ」「ママ」と呼んでいました。
映画を観る時のひとり昼ごはんは、たいていカレー
今日は、バターカレー