Garadanikki

日々のことつれづれ Marcoのがらくた日記

芥川龍之介 『孤独地獄』

f:id:garadanikki:20160927002928j:plain『孤独地獄』は、芥川龍之介が(義)母から聞いた話を短編小説にしたものですが、元々は義母の叔父にあたる細木香以が体験した話なのだそうです。

香以は、幕末の芸人や文人の間に知己の数が多い大通人で、河竹黙阿弥は、「江戸櫻清水清玄」で紀國屋文左衛門を書くのに、香以をモデルにしたのだそうです。
芥川龍之介とは直接、血は繋がっていないものの、義母を通して江戸文化の嗜好は受け継いでいるようです。

さて物語は、香以(通称-津藤)が吉原の玉屋で、一人の僧侶と近づきになったことから始まります。本郷界隈のある禅寺の住職で、禪超と言うその男は、肉食妻帯が僧侶に禁じられていた時分のことなので、表向きはどこまでも出家ではなく、医者だと号していました。その禪超を知人と間違えて悪戯をしかけた津藤とは、結果意気投合し、二人の交情が結ばれます。

或る日津藤は、冴えない顔つきの禪超に出遭います。自分のようなものでも相談相手になれるなら是非にと申し出ますが、別にこれといって打明けることもないようで、いつになくしんみりした話をしていました。すると禪超は急に何かを思い出したような様子で語り出しました。

仏説によると、地獄にもさまざまあるが、凡先づ、根本地獄、近邊地獄、孤独地獄の三つに分つ事が出来るらしい。(中略)その中で孤独地獄だけは、山間曠野樹下空中(さんかんくわうやじゆかくうちゆう)、何処へでも忽然として現れる。云はば目前の境界(きやうがい)が、すぐそのまま、地獄の苦艱(くげん)を現前するのである。自分は二三年前から、この地獄へ堕ちた。一切の事が少しも永続した興味を与へない。だから何時でも一つの境界から一つの境界を追つて生きてゐる。勿論それでも地獄は逃れられない。さうかと云つて境界を変へずにゐれば猶(なほ)、苦しい思をする。そこでやはり転々としてその日その日の苦しみを忘れるやうな生活をしてゆく。しかし、それもしまひには苦しくなるとすれば、死んでしまふよりも外はない。昔は苦しみながらも、死ぬのが嫌だつた。今では……

最後の言葉は津藤の耳には入りませんでした。禪超が又三味線の調子を合わせながら、低い調子で言ったから。それ以来、禪超は玉屋に来なくなり、行方知れずになりました。
津藤は彼の忘れていった金剛経の疏抄(そせう)を、後年下総(しもふさ)の寒川(さむかは)へ閑居した時に常に机上に置いていた。との話です。

末尾、芥川は、

「一日の大部分を書斎で暮している自分は、この大叔父やこの禅僧とは、没交渉な世界に住んでいる人間。興味の上から云つても、自分は徳川時代の戯作(げさく)や浮世絵に、特殊な興味を持つている者ではない。しかも自分の中にある或心もちは、動(やや)もすれば孤独地獄と云ふ語を介して、自分の同情を彼等の生活に注(そそ)がうとする。が、自分はそれを否(いな)まうとは思はない。何故と云へば、或意味で自分も亦、孤独地獄に苦しめられてゐる一人だからである。」

と結んでいます。

孤独地獄とは、今でいうところの “ 鬱 ” のような情態をいうのかも知れません。
芥川龍之介は、この作品を書いてから11年後、服毒自殺をすることになりますが、この作品は、何かの予兆ではなかったのかと、思ってしまいます。
作中、三味線の音にかき消された禪超の言葉は、後年作者にとって、
「今は苦しみながらも、死ぬのが嫌である。だが、この先は……」と、響いたのではないかと…。

【MEMO】

細木 香以 さいき こうい
1822(文政 5)~1870(明治 3. 9.10)
◇幕末の通人。通称は津国屋藤次郎。姪の儔は芥川龍之介の養母。彼を描いた作品に芥川龍之介『孤独地獄』・森鴎外『細木香以』がある。

 

2012年9月10日読了