恩田陸 著『ねじの回転』上下巻、もう少しで読み終えようとしている。
感想は《読了後》にと思ったが、昨今 思うことと重なるので《今》書くことにした。
【内容】
この作品は226事件をモチーフにした時間SFもので、事件に関与した実在の人物が登場する。
( 安藤輝三 陸軍大尉、栗原安秀陸軍中尉、石原莞爾陸軍大佐、 真崎甚三郎総監 )
彼らは、近未来の国連によって監視・操作されている。
国連の目的は、過去を変えることによって 今 発生している病気を断つことにある。
その為の道具とされるのが、安藤大尉、栗原中尉、石原大佐の三人だ。
国連は、彼らに無線通信機を持たせ事件を再生させ、歴史の一部を修正しようとする。
安藤と栗原は、226の首謀者として処刑された将校だ。
二人は国連の監視を潜り抜け、自分たちの行為が《叛乱》ではない史実にならないものかと奔走する。
【感想】
タイムマシンの定義にこんなことが言われている。
《タイムマシンで過去に行った人間が、過去の虫一匹を踏み潰してしまっただけで、現在の歴史もがらっと変わってしまう》
この本では、近未来の人間が自分たちの都合の良い世界を作るために、過去を変えようとする話だ。
そんな国連チームと、226の将校たちの話が同時進行で進む為、最初は少し混乱した。
だが互いの目的や望みがのみこめてくるに従い面白くなった。
自分もそこに存在する気分になれるのは、作者の描写が素晴らしいからだろう。
特に私は、将校たちに感情移入をしてしまい、彼らの無念を受け止めることが出来た。
印象的なのが以下の二文である。
これは、日和見な上司・真崎の裏切りにより、将校たちが処刑されてしまったことを暗示する部分だ。
中途半端にしか事件を知らない私にとっては貴重な話で心を打たれた。
日和る奴ら。
それが、真崎のことを指しているのは間違いなかった。
当初、皇道派の筆頭とされ、皆に維新の牽引役と嘱目されていた真崎甚三郎大将が、この維新を励ます言葉を掛けておきながら、後日そのことを否定し、一人寝返って生き延びたことを知っている、二人 ( 安藤と栗原 ) ならではの暗黙の了解だった。
恩田陸 著『ねじの回転』上巻 集英社文庫版 p.213より
会議はこれまでになく一体感と緊張感があった。
皮肉なものだな、と石原は首脳陣と青年将校たちとを見回した。
クーデターが起きた時でさえ、首脳陣にこんな一体感はなかった。あののらりくらりとした閉塞感はどこへやら、目の前で十九人もの兵士が死亡し、まだ多くの兵士が白い天井の下で横たわっているという現実を前にして、日和見主義の老人たちもさすがに真剣な目をしていた。
これだけ生きても、まだ命が惜しいと見える。
滑稽さすら覚え、石原は苦笑する。
だが、老年にさしかかった首脳陣の目は真剣でも、脳みそは相変わらず錆びついていた。
長年組織の中にのみ目を向け、己の保身にのみ神経を使ってきた幹部たちの問題解決能力や危険管理能力は著しく低下していた。確かに目の前に横たわっているのは前代未聞の事態であるが、だからといって、青年将校たちに解決策をすっかり頼ってしまっているのはいかがなものか。
彼らは、死への恐怖をむきだしにしていた。このくらいの地位になれば、誰にも死は遠いと思っている。前線に出ても、死ぬのは最前線の兵士だ。彼らはもう上がっている。彼らは兵士たちの死によって自分を守ることができることをよく知っているのだ。だが、さっき見た遺体は、むしろ彼らに近い。人生の残り時間で言えば、彼らの方がよほど死に近いことを思い知らされたのだ。
恩田陸 著『ねじの回転』下巻 集英社文庫版 p.42より
上の二文は、青年将校 ( 安藤と栗原 ) から見た上司たちと、事件を阻止する立場にあった石原から見た首脳陣たちの様子だ。
立場は違えども、首脳陣である年寄りたちの狡さや無能さを指摘している。
この文章を読んで思い出したのが、大橋巨泉さんが遺した言葉だった。
戦争とは爺さんが始めて おっさんが命令して 若者が死んでいくもの
戦争はんたい!
本日の昼ごはん
ひやしたぬきそば
本日の夜ごはん
塩辛、あなごの卵とじ、わかめとえのきの胡麻油炒め
冷ややっこ、カリフラワー、うどのきんぴら
カリフラワーは、わしわし食べますの。
メインは、練馬IMAの日南で購入した牛肉。
国産牛の希少部位の焼肉セット、1,780円也
たれはいつもの叙々苑と、日南のオリジナルのもの。
希少部位、ちょっと固かった。
普通の部位のほうが良かったかもしれぬ。 ('◇')ゞ
とじ込みは、226事件と「ねじの回転」についての参考文献
226事件について
226事件は、昭和11年2月26日陸軍の皇道派青年将校たちが決起し首相官邸・警視庁を襲い、内大臣斎藤実、大蔵大臣高橋是清、教育総監渡辺錠太郎を殺害、参謀本部・陸軍省・首相官邸などを含む永田町一帯を占拠したクーデター未遂事件だ。
「一君万民」復元のため「昭和維新」の実験を昭和天皇に訴えたが、天皇は激怒しこれを拒否。これを受けて、事件勃発当初は青年将校たちに対し否定的でもなかった陸軍首脳部も、彼らを「叛乱軍」として武力鎮圧することを決定。叛乱将校たちは下士官兵を原隊に帰還させ、自らは投降し法廷闘争を図る。しかし彼らの考えが
二・二六慰霊碑
陸軍の力関係にやぶれ処刑されてしまった青年将校はいかに無念だったか、
市民たちからは同情されていたことも考えると、複雑な想いになる。
今でも2月26日及び処刑が行われた7月12日には、東京渋谷にある二・二六事件慰霊像には、沢山の献花と供物が供えられる。