Garadanikki

日々のことつれづれ Marcoのがらくた日記

「日本の短篇」に対するフランスでの評価~堺事件

 

 

先日「日本の短篇」という本についてお話した時に、こんなこと書きました。

 

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   冒頭は、森鴎外『堺事件』 おやおや。

   これはまた、フランス人を意識した作品をぶつけたものだ。

 

一番最初に森鴎外「堺事件」が掲載されていることに驚いたのです。

「日仏・明日を考える会」から発展した《日本文学の優れた短篇小説を仏訳したものをフランスの出版社に上梓する》という企画の最初の作品に「堺事件」を選んで大丈夫なのだろうか、と。

 

「堺事件」は、日本の堺に上陸したフランス兵と警備する薩摩藩士とが衝突し、

フランス兵が死亡した事件と、その後処理について書かれた作品です。

明治の国際問題にもなったデリケートな話を、日本の選者たちは、何を思って一番に選んだのか。

そして。

フランス人はその短篇集をどう受け取ったのかが気になっていました。

 

そうしたらこんな記事がありました。

これは「日本の短篇」上巻の付録です。

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16頁からなるこの冊子は「日本の短篇」に対するフランスでの評価 と題して、

6紙の書評と、3作の懸賞論文が収録されています。

 

とりあえず「堺事件」に触れているところだけ拾い読みしたところ、二人の記者が取り上げていました。

1人は作品の編纂に苦言を呈していて、もう1人は、堺事件のフランス側を批難する内容でした。

その二つ、興味深かったので、ご紹介をと。

 

 

こちらは、『ル・マタン紙』の書評。

作品の内容について書かれているものです。

堺事件のフランス側の行為を「野蛮な将校たちは~」と批難しています。

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赤線の部分はともかくも、その後の文章が素晴らしい。

刑をまぬがれた日本人の気持ちに対して的確な解釈を加えています。

 

その部分がこちら⤵

「鏡の裏のユートピア」

ティエリー・ボーセ

『ル・マタン紙』1986年11月4日

フランス兵と明治天皇の兵士の衝突が惹き起こした堺事件について、1900年頃に書かれたテキストを読むがいい。野蛮な将校たちは、植民地ででもあるかのように、フランス兵殺害に加わった兵士たちを見せしめとして銃殺に処することを要求する。だが、死を宣せられた者たち⸺それもくじ引きでだ⸺は古式にのっとった自害を願い出る。かくすれば死は彼等にとってより軽きものに思われるであろう。

 

自刃の際のきちんと整った儀式に従って恐ろしい光景が展開され始める。一分の狂いもなく繰り広げられる残酷さの前に、フランス人の将校は気が遠くなる。彼は報復をし遂げる気力も失い、切腹の中止を提案する。そして、一度は死を宣告されながら、最後に残った者たちがこうして死を免れる。彼らにはどうしても了解できない事態だ。いったい名誉はどうなってしまうのか。ちぐはぐな命令が、自由な人間としての尊厳と自分たちで行った死の選択とを否定し去ったのだ。屈辱が生の代わりをつとめることは不可能である。これほどのヒロイズムが無益に発揮されたいたたまれなさに、彼らには限りない悲哀⸺生きることへの嫌悪とも言えよう⸺しか残らない。すべては終わりを告げたのだ。かくして日本の現代が始まる。

 

この記事を読んで、わかる人はわかるんだ、と思いました。

そして昨日いただいた、たまうきさんのコメントにも関連していると思いました。

 たまうき (id:ni-runi-runi-ru)

何だかブックマークがNot foundになりますのでこちらに。
穿った見方ですが、アベル・デュプティ=トゥアール艦長は、若い箍の外れた水兵を監督、統率するべき立場。
堺事件は水兵が町に繰り出してドンチャン騒ぎを起こさなければ無かった。誰も死ぬことはなかった。 切腹の中止は監督不行届の自責の念にかられた艦長がバランスがとれたところで中止するよう要請したのかな、とも思えます。
その後のフランス政府による艦長への沙汰が気になります。

 

同感、同感。どう考えても、フランスにも非ありです。

フランス側は「何もせぬのに突如銃撃を受けた」と主張し通しているそうです。

まあ、そう言うしかないでしょう。だって、自分とこの兵士が夜、上陸許可も取れていない国に降り立って市中でドンチャカしていたなんて大問題です、普通に考えて。

いくら当事者 ( フランス人たち全員で ) が否定しても、バレるものはバレるのです。

「何もしない異国の船に、銃撃する国 ( 兵隊なんて ) あるかよっ!」って。

 

フランスの人だって、そりゃ、わかるでしょう。

だからこう書いていらっしゃるんだと思います。

「野蛮な将校たちは、植民地ででもあるかのように、フランス兵殺害に加わった兵士たちを見せしめとして銃殺に処することを要求する。」と。

《植民地》か、そういう感覚だったのでしょう、フランスの若い兵士も。

 

 

と、すみません。

話は「堺事件」の私の感想になってしまいましたが、書評の話に戻ります。

もうお一方は、違う観点から書評を書いています。

 

 

 

 『ラ・カンゼーヌ・リテレール誌』は、本全体の構成について書かれています。

こちらはちょっと手厳しい。

タイトルも「あまりにも総花的な ⵈⵈ 」という否定的な意味合いの題になってます。

この方は、本全体の構成がお気に召さなかった様子です。

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「あまりにも総花的な ⵈⵈ 」

ルネ・ド・セカッティー

『ラ・カンゼーヌ・リテレール誌』No.477  1987年1月1・15日号

 

なるほどと思いました

『ラ・カンゼーヌ・リテレール誌』の記事は、私が懸念した通りのものでした。

どんなに優れた作品であっても、アンソロジーとなれば、ひとつひとつの作品に対しての感想だけでなく、その並びも意味を持つものになる。

冷静にラインナップを見てみると、かなり日仏に関連するものがあり、

文学的というだけでなく、政治的意味も持ってしまう作品がチラホラ入っている。

選者は忍ばせていているつもりかも知れないが、受け取る側からすれば、目についてしまうということなんでしょう。

 

書評の中には、「このアンソロジーの編纂チームが、彼のごく若い頃のテキストを選んだのはいかにも残念である」といったような意見もあり、編纂という作業の難しさを考えさせられるものでした。

 

 

 

 

本日の朝ごはん

コロナからこっち、運動不足なのとやることもないので食欲が増し、

彼と同量を食べていた私です。

 

いかんいかんと ( いまごろ ) 思い直し、格差をつけています。

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写真ではわかりづらいのですが、アザミさんのこの二枚は大きさが違います。

左が25㎝皿、右が22㎝皿

盛り具合も、盛りの高さも半分以下。

 

今日のペペロンチーノは、オイルサーディン入り

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先日MOURI が買ってきたオイルサーディンが絶品なので、それで作ってみた。

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「また買ってきてよ~」と頼みましたが、はたしてあるかどうか。。。

近所のスーパーは品揃えが不定期なお店です。

 

 

本日の夜ごはん

まずは、これらを並べて食べてもらっています。

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ほんで、私が格闘しているのは、

鯵の三枚おろし→粉つけて→卵つけて→パン粉まぶして→揚げる

 

MOURI が鯵を二尾買ってきて、塩焼きでもフライでも任せると言われました。

うーん、塩焼きより鯵フライが食べたいんだろうな。

簡単でいいよ、と言われても、彼の脳裏は透けてみえるのさ。

 

で。鯵フライだけじゃなく、ついでにエビフライもやろうっつーことに。

アジフライ4枚、エビフライ5尾

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アレルギーで海老を大量に食べるとくしゃみになる相方の為、

好物の海老を我慢して暮らしていますが、たまには食べたくなる。

 

 

しかし。

鯵フライも一枚、エビフライも一尾でギブアップ。

揚げ物は胸やけするからなぁ。

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本日の美味しかったもの

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ご飯に良いかと思って買ってきたそうですが、

ご飯に合うということは、日本酒のつまみにもなるということです。