Garadanikki

日々のことつれづれ Marcoのがらくた日記

「黒猫」 著:島木健作

『赤蛙』に続き、島木健作の遺稿集から『黒猫』のお話。

昔から、家畜に害を及ぼす猫、穀物を食い荒らす鼠の処分はやむなしという風潮があります。
“ お百姓さんが一生懸命に作った野菜を台無しにする ”という見地からいえば仕方のないことかも
知れないけれど、残虐な殺生や、それを見世物にするのはどうしても耐えらない。
だから、この手の話は複雑な思いで読み始めたワケ。
夜 家に押し入りゴミ漁りをする黒猫を、母親が始末するという話ですから。

主人公 ( 島木氏 ) は、その黒猫を「倨傲な風格において、一脈相通じるところのある奴」と評してます。
戦争中のことだから、家のまわりをには犬猫がウロウロするようになっていて。。

「ごく最近まで主人持ちだったものもあり、
そういう奴らの落ちぶれ方、卑屈な様子を見るのが嫌いであった。」

ある日一匹の黒猫がブラッと現れる。その猫は、実に堂々としてて、

f:id:garadanikki:20141008135533j:plain

「残念ながら黒猫といっても灰色がかったうすぎたなくよごれたような黒であり、
 やはり野良猫に成り下がるしかない風体。」

でも決して人間を恐れることをしない様子に、彼はえらく感心し、情を寄せ始める。

そんな折、縁の下から、上げ板を押し上げ、家内をうろつく騒ぎが起きる。
次の晩も同じような騒ぎが…。
“深夜の怪盗”と彼は面白がるけど、母親と奥さんはそれどころじゃない。
やっとのことで捕えたら、やはりあの黒猫で。。
母親は若い者には手をつけさせず、自分で始末をするという。

彼は黒猫の命乞いをしてみようかと考える。

「それに値する奴だと思ったからだ。
 深夜、あれだけのことをして昼はその素振りも見せぬ、
 図々しいという以上の胆の太さだけでも命乞いをされる資格があると思った。
 人間ならば当然一國一城のあるじである奴だ。」


ここで、ちょっと島木健作の略歴を。。。。

島木健作 ( 本名:朝倉菊雄 )
明治26年北海道に、父朝倉浩、母マツ子の末子 ( 異母兄を含めて6人 ) として生まれる。
2歳の時に父親が死去すると、母親は自分の産んだ2人の子を連れて分家。
以来、和服の仕立てによって生計を立てる母に育てらる。
島木は、苦学の中、過労と栄養不良等が重なり、17歳で肺結核の診断を受けるが、
やがて農民運動に加わり、共産党に入党。
25歳で検挙、公判廷で転向声明を出すものの獄に下る。


こりゃあ、お母さんの苦労は並大抵のものではなかったでしょう。
女手ひとつで2人の子供を育て、やっと息子が大きくなったかと思えば治安維持法で逮捕されてしまって。。
転向した息子は肺を患ってしまうし、戦争も起こる。
苦労をかけ通した母親に対する、彼の想いもまた並大抵のものではなかったと思います。

島木さんの作品には、父親、母親を大切にいる主人公が沢山登場します。
『第一義の道』の母親おちかには、自身の母親の心情が投影されていると思うし、
『生活の探求』の主人公は、父親を凄く尊敬していて、何か決断する時には必ず父の意見を聞こうとするの。 島木さんご自身は、お父さんを早くに亡くされているから、「生活の探求」の父親像は、別の人がモデルだったかも知れないけど。島木さんの作品を読んでいると、親への孝行心が強く伝わってきます。
『黒猫』では、黒猫に思いを寄せ命乞いをしようと思いながら、結局は母に従うことになるんだけど、
背景には、やはり親に対する畏敬の念があるからじゃないのかな。

話はまた飛びますが「黒猫」を読んでて、昔みたドラマのタイトルが頭をよぎりました。
「砦なき者」と言うんだけど、後ろ盾とか大きな組織に属さない一匹オオカミを称するこの「砦なき者」という言葉が妙に印象的に思えてね、ずっとカッコいいと思ってたの。
島木さんがこの黒猫を気に入った理由もまさしく「砦なき者」への憧れだったんじゃないかしら。
冒頭に登場するオオヤマネコの話もそうだけどね。

この短編は、病身の作者が黒猫やオオヤマネコの雄姿に関心を示す意味でも興味深かったんだけど、
親子の関係性についても深く考えさせられる作品でした。
そんなことが伝わってくる場面、ちょっと抜粋 です。

 しかし私は母に向つて言ひ出せなかった。
現實の生活のなかでは私のそんな考へなどは、病人の贅澤にすぎなかつた。

 私はこの春にも母とちよつとした衝突をしたことがあつた。
私の借家の庭には、柏やもみぢや桜や芭蕉や、そんな數本の立木がある。春から青葉の候にかけて、それらの立木の姿は美しく、私はそれらが見える所へまで病床を移して樂しんでゐた。
それをある時母がそれらの立木の枝々を、惜し氣もなく見るもむざんなまでに刈り払ひ、ある木のごときは、ほとんど丸坊主にされてしまつたのだ。

 私は怒つた。
そしてすぐに心であやまつた。
母とても立木を愛さぬのではない。樹木の美を解さぬのではない。ただ母は自分が作つている菜園に陽光を惠まなければならないのだ。母はまがつた腰に鍬を取り、肥をかついで、狭い庭の隅々までも耕して畑にしてゐた。病人の息子に新鮮な野菜を與へたいだけの一心だつた。

 食物を狙ふ猫と人間の關係も、愛嬌のない争ひに轉化して來てゐることを残念ながら認めないわけにはいかなかつた。何か取られても昔のやうに、笑つてすましてゐることが出來難くなつて來ていた。妨害される夜の睡眠時間の三十分にしても、彼女等にとつては昔の三十分ではなかつた。病人の私が黒猫の野良猫ぶりが気に入つたからなどと、持ち出せる餘地はないのである。