新潮。
69年前の11月号です。
昭和20年というと終戦の年。
島木健作さんは終戦の日の2日後、8月17日に亡くなりました。42年の生涯でした。
この号には、島木健作の追悼のページが組まれてます。

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島木さんと親交が深かったということで、川端康成、亀井勝一郎、森山敬の三氏が文章を寄せてます。
そして、島木さんの遺作として『黒猫』。
川端さんの追悼文には、島木さんが入院された日と亡くなった日の様子が書かれます。
川端康成、久米正夫、中山義秀、小林秀雄、高見順といった鎌倉の友人たちが、
扇ヶ谷の島木家 ⇔ 八幡宮の参道にあった病院を、担架で運んだようです。
当時、島木さんが住んでいたのは鎌倉の扇ヶ谷。
そこから八幡様の参道にあったという鎌倉養生園 ( 現・養成院 清川病院か? ) に運んだっていうから、
距離として1km強。↓
川端さんが提灯を持ったという資料が残っているけれど、
担架の方は交代だったのかな。さぞ大変だったことでしょう。
「追悼」川端康成 は、左線をクリックすると参照できます。