Smokyさんから、 里見弴作「縁談窶」を 薦めていただいて…
どうせならと、当時の古書 (大正14)を購入…
その感想を garadanikkiに書いた ところ…
それを読んでくだすったSmokyさんが、 再度感想を発表 され…
それを読んで再読してみたくなり、「縁談窶 ( えんだんやつれ ) 」再び です。
作品の感想交換が出来るというのは、得難い幸福です。
「縁談窶」を購入して20日ばかり、読了はしたものの、
未だに、あれやこれやと興味が尽きず、書棚に収められずにいます。
今は、所収の「うで玉子」という作品に関連する調べ物にかかっていて、
井伏鱒二「文士の風貌」、小島政二郎「食いしん坊」、大東京繁昌記~下町編から吉井勇「大川端」などを図書館から借りてきて、
「へえ、そうなの」「うわっ、繋がっとる」などとニタニタ。
ひとつことに引っ掛かると、資料を取り寄せ調べたくなる。
そこからまた疑問や興味が生じて、収集がつかない始末。
「うで玉子」の話は、先のことになりそうで、本日は「縁談窶」再びということで。
本を読んでいると、初見で目につくところと、後になって気が付くところがありますよね。
そういう意味でも、Smokyさんのような先輩の読まれた感想は刺激的です。
加えて里見弴は掘り起こしがいがあり、キリなく面白い。
今回 Smokyさんが目をつけられた のは、主人公 ( 阿野 ) と都留子のやりとり。
※ 都留子は、阿野の親友の娘で、親友が亡くなってから何やかやと関わりのある娘。
※ 勝子は都留子の母で、阿野にとっては親友の細君にあたる人。
私は阿野と勝子の関係を面白く読んでいましたが、確かにそれは物語の中のオカズの部分。
本筋は阿野と都留子の話です。
物語の後半、都留子が阿野の住む鎌倉に摘み草をしに来るシーンがあって、
それがとても印象的でした。
実は今回、寿福寺界隈を思い出しながら読みました。
内容をざっくり説明しますと、、、こんな感じ。
- 「たまには気晴らしに鎌倉にでも来てみないか」と誘った都留子がふいに鎌倉にやってくる。
- ところがその日、阿野は別件で東京に行くことになっていて、扇ガ谷の家から鎌倉駅まで歩いている。
- 寿福寺を通りがかった時、下りの電車が目に入り、その電車に都留子が乗っているのではないかと直感する。
- 入れ違いになってはと、阿野は都留子がやってくる時間と場所を見計らい、ある辻で待つことにする。
- その間5分、阿野は遠い昔の痴情に思いを馳せる。
今みたいに携帯電話もないわけでしょう?
都留子が来ると事前に知らせを受けたワケでもなく、ふとそう感じただけの話なんです。
“痴情の限りを尽くした思い出”というのが、これまた素晴らしい描写。
若かりし頃、三日三晩一間に籠りきって女と過ごした頃のこと。
四日目、女が髪結いに行っている一時間、女の帰りを待ち焦がれた阿野が、
「…今、髪結いさんが、パチリと根の元結を切った」
「…今、前髪をとった。…今、鬢を出した」
「…今、薄目づかいで鏡を見ている」
「あっ、煙草なんぞ帰ってからゆっくりのめばいいのに。」
「…なんという沢山の下駄だ! どれでもいいじゃないか、
いい加減にに突っかけてさっさと帰って来れば!」
こんな風に目に見えず、耳に聞こえず、手に触れられない女の一挙一動を寸分の誤りなく想像してしまう。
うーん、わかるなあ。私にも経験あります。
いえ(笑)私の場合はこんな色っぽい話でなく、子供の頃の話。
学校に迎えに来てくれるはずの母親がなかなか来なくて、そんな母親が今どのあたりを歩いているかを想像しながら待ち焦がれたものでした。
・・・違う? そういうのと、そうよね、はい ww
話を戻しますが、阿野にとって都留子は、恋愛対照ではないのです。
旧友の娘であるのです。
でも愛おしいと思う気持ちは変わらない。
そんな娘を『持つ』という心持に、こんな描写を放り込んでくる里見さんはやはり凄いと思います。
阿野が都留子を待ったと思われる辻。現在の様子。
興覚めでしょうが、好きな場所が本に出てきたりすると、
古地図を重ね合わせてしまいたくなるのです。
昭和16年 鎌倉地図
×のところは昔はないので、→の場所と思われます。
小説にある「牛肉屋」は既になく、文士が集うことでも知られた「香風園」も今はマンションになってしまっているけれど、小説に好きな場所が出てきて “ 昂奮 冷めやらず ” です。
来週あたり、古地図を見に鎌倉図書館へ。足を伸ばして小説にある景清土牢に行ってみようかな。