Garadanikki

日々のことつれづれ Marcoのがらくた日記

「うで玉子」 著:里見弴

 

「縁談窶」改造社 (大正14)刊より「うで玉子」を読了。
この作品を通して、江戸弁とか江戸っ子気質について考えてしまいました。

母が秩父産の為、江戸っ子になりそびれたワタシですが、
幼少期、父や祖父たちの江戸弁に囲まれて育った為、“うで玉子”という響きが懐かしく感じます。ウチでも、卵は“茹(ゆ)でる”じゃなくて“うでる”だったし、“鍵をかける”じゃなく“鍵をかう”とか、言っていたから。

以前NHKで「菊亭八百善の人びと」というドラマがあって、
江戸時代から八代続く「菊亭八百善」という老舗料理屋の九代目役の吹越 満さんが、
完璧な江戸弁を使っていたのに感動したことがありました。
まあ…何をもって完璧というかは、さ て お き(笑)
老舗料理屋の御曹司なんだから、なまりがあったらまずいでしょう?
吹越さんは東北の出身だと思うので、かなり気を使っておられたと思います。

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さて。江戸弁といえば、「てやんでぃ」とかってべらんめい口調か、
「菱餅 ( ひしもち ) 」が言えなくて「ししもち」になっちゃうイメージが強いけど、
それは職人に代表される言葉じゃないかと思います。

ワタシが懐かしく思う江戸弁は…、
そう、まさに里見弴さんの言葉なんですよ。
里見弴が好きな理由は、そんなところにあると、いま気付きました。
おじいちゃんを思い出すという感じかしらね。

またまた脱線。

この「うで玉子」。
作品としての評價は、微妙っちゃ微妙かもしれない。
ワタシがハマった理由は、実在の人物や作品がアルファベットで伏せられていて、
それを解明するのが面白かったってこと。
たまたま直近で読んだ本や、訪れた場所と縁が深かったから楽しかったんです。

アハハ。
これじゃあ、物語の里見弴と同じく、伝わらないか。

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【あらすじ】

主人公-里見弴の東京の別宅に、鎌倉から上2人の男の子が、泊りに来た時の話。
 首尾よく二年級に進んだご褒美やら、新たに「學校の生徒さん」になれてお祝いやらをせびらうがため

鎌倉に帰る前に、上野の動物園に行こうという話になったんだけど、上野といえば里見弴が東京大学に入った折、
 薄暗くて、埃臭くて、腰掛が堅くて、周りに聞こえる言葉は訛りだらけで、がさつで、

学習院出の里見には東京大学は馴染めなかった様子。
結局彼は (その後大学を中退するんだけど) 授業をボイコット。
サボって行った先は、上野動物園で「これでなかなか入場料を払った」という。

久し振りに来た園内は、煤けた感じがして昔のような心持にはなれない雰囲気。
丘を越えて、孔雀のところへ行った時、
切石に腰をかけて、前こごみに、両肘を膝におき、うで玉子をむいている女がいた。
 ひどく現代ばなれのした、懐かしい感じが来た。
 茶店の赤毛布 (あかげっとう) を敷いた縁台や、ベンチならまだしも、切石に腰かけて
 うで玉子をむいている奥さん
 實際私には ( はて心にくい… ) と云ふやうな念ひが湧いたのだ。


鎌倉に帰った彼は、その話を面白がって友人に話して聞かせるが、
年の変わらぬ以前小説を書いていたこともあるその友達は、全然ピンときてくれない。
ちょっとショゲでしまった里見は今度、せいぜい現代的に話そうと試みた。

( はて心にくい…) という気持ちで、遠くから、こごんでいる女の顔をのぞきこんでみると、知った顔。
故 ( もと ) の□□座の専務取締役、T・T 君の未亡人だった。
 こいつアいけねえ

うっかり顔を合わせて、相手が手に持っているもののやり場に困らせるようなことでも起こったら大変。
挨拶するとしても T・T君の葬儀にも不義理した関係で、まずその悔やみからのべないといけない。
知合いと言っても、芳町のうれツ妓だった時代を知っていると浅いもの。
スヰツルで客死した友人K・Tが、夢中になっていた時代に、おつきあいで呼んだという程度なのだから。

そんな H が、T・T君の夫人となったが、M市から来る若旦那と相惚れで、
O・K君の小説「□□□□」に書いてある通り、指を切ったりと浮名を流したこともある。
 そんな彼女が、その小指の短くなっている手で、うで玉子を向いているのだ
これだけ噛んでふくめるように云っても、なんの感じもないのなら、もうそれだけの話。

里見弴が、話して聞かしたという友人は、中戸川吉二ではないかと思います。
作品では、その友人が自分の思いをうまく理解してくれない となっているけれど、 最初にザックリと、二度に具体的に説明して、 読み手が、どの加減でピンとくるかを楽しんでいるように思えるのね。

それから筆者が、「 (声をかけたら) 相手が手に持っているもののやり場に困らせるようなことでも起こったら」と、先方への気遣いをみせるところも素敵じゃないですか。いかにも江戸っ子気質らしいっていうか…。

ワタシが好きな文章を少し紹介します。

實際私には ( はて心にくい て) と云ふやうな念ひが湧いたのだ。
無論出かける前にうちでうでて、別に燒鹽 ( なみのはな ) を小さく半紙に包んだりして、旧式な手提げ袋にでも入れて提げて來たものに違ひない。そこに下町好みの、と云ふより色街好みの食ひしんぼうや下直さが、時代おくれの風流氣や丹念と混じり合つて、―――とにかく今出来ない、一種なんとも云へない趣きが漂つてゐた。ちよつと先ず、泉鏡花の世界のものだらう。



ちなみに、
文中の□□座、専務取締役T・Tは、 市村座の田村寿二郎 さんのことだと思います。
夫人は芳町の芸妓、久喜久
スイスで亡くなった友人K・Tは、 郡 虎彦(こおり とらひこ)  筆名: 萱野二十一(かやの はたかず)のこと。
O・K君とは、 小山内薫 のことだとまでは、推察できたのですが、はて「□□□□」という小説はというと四文字が意味するところなら 「梅龍の話」 かなとも思ったけど、久喜久出てこないと思うのよね。
もしかして「大川端」なのかしら。一度読んでみないと分からない。。。。

上記は、次の資料を参考にしました。
スイスで客死したK・T… 「瓢箪新道」 著:吉井勇
田村寿二郎夫人-久喜久… 「遠方からみた谷崎君」 著:里見弴
 

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最後に、この「うで玉子」という作品は、「無言の晩餐」同様埋もれた小品です。
読むためには、古書「縁談窶」か、 里見弴全集 改造社版 かを、国会図書館あたりで閲覧するしかない。
同じ全集でも筑摩書房版(1977.6~1979.4)には収められていないのだから、やはり人気、なかったのかも知れませんね。