Garadanikki

日々のことつれづれ Marcoのがらくた日記

火保図を持って、本郷を訪ねる~島木健作 

 

病院の帰りに、本郷にいくことにしました。

目的の場所に着く前に。。。

どこかにあるかな図書館。

実は、火保図を入手したいんです本郷5丁目あたりの。

 

火保図、正式名称は火災保険地図といって、現在のいわゆる住宅地図みたいなものです。

戦前から昭和35年頃まで、火災保険評価のため都市整図社の沼尻長治氏によって作成されていた地図なんですけど、これが50年経って著作権が切れているから、図書館で閲覧もコピーも出来るんです。

昔の住所もわかるし、大きなお店の名前、うまくいけば個人のお宅 ( 住民の名前 ) まで記載してあることもあるんだから。

 

大正・昭和初期の作家の本が好きで読んでいると、住所も古い住所だったりするでしょう?

それから作家の往復書簡なんかを読んでいても、古い住所で書いてあるわけですよ。

そういう時には都立図書館に行って、火保図をコピーする。

地図好きですから、もうウホウホの宝物。

 

1949年 ( 昭和24年 ) 06月10日作成の火保図

文京地区第五区 ( 本郷・西片あたり )

 

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古い地図には、その他に地籍台帳なんかもあります。

これは結構、新らしめ。1989年 ( 昭和64 ) のものです。

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瓜生薬局とか、上村旅館とか、少しの店舗名しかない。

火保図のお話が長くなりましたが。。。

今回、火保図を持って訪ねたいのが、東大赤門前のこの地域。

 

【本郷6丁目9番地 長屋】

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本郷6丁目9番地には、昔、島木健作さんが住んでいたんだそうです。

それを教えてくださったのが、「めぐり逢うことば」のKAGIRAGAWAさん。

 

 

教えてくださったといっても、勝手にサイト訪問しただけですけれど。。。

KAGURAGAWAさんは三島霜川さんのファンで、凄く細かく調べていらっしゃるんですが、

三島霜川さんが昔 住んでいた「本郷六丁目九番地の奥長屋」のことを調べている内に、

「偶然そこにもう1人、作家が住んでいたことが分かった」というんです。

その作家が、島木健作。

もちろん、三島霜川と島木健作とは年代も違います。

霜川さんがここに住んでいたのは、1901年 ( 明治34年 ) 、島木さんは31年後の1932年 ( 昭和7年 ) ですけれど。。。

 

 

「島木健作が出所してすぐ、本郷の実兄のところに身を寄せていた」ということは聞き及んでいたものの、それが本郷六丁目九番地であるとは知らなかった。

KAGURAGAWAさんはそれを証明する具体的な地図まで入手していらっしゃったんです。

「旧六丁目町会隣町明細図」昭和18年のものなので、既に島木さんは転居されたあとの地図です。しかし、そこには「島崎」( 島木の兄の苗字 ) があり、更には本郷通りに面した「4番地」に「島崎 ( 古本業 )」の記載もあり、これこそ正しく出所後の島木健作が身を寄せ働いた兄の古本屋であると思われます。

 

いいなぁ。

ワタシが入手できたのは、このくらい。

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1935年 ( 昭和10年 ) 作成。

 

まさしくこの地図の真中あたり、9 9 9 9 と、ミミズがのたくったようにつづく、

六丁目9のどこかに、島木さんが住んでいたはずなんだけどなあ。

 

それから17年後、1952年 ( 昭和27年 ) 1月に作成された同じ場所の地図は、

こんなに詳しい。

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※ さっきの地図とは東西が違いますが、お許しを。。。

 

 

実は本郷6丁目には、もうひとつ縁があったんです。

齋藤弔花にまつわるお話なんですが。

それはまた別の機会に。。。