島木健作『煙』を、百年文庫14巻<本>で読了。
この巻は、本にまつわる作品として、
島木健作『煙』、ユザンヌ『ジジスモンの遺産』、佐藤春夫『帰去来』が収録されている。
煙の内容はこうだ。
叔父の営む古本屋で店番をさせてもらっている耕吉は、洋書の市がたつ競に初めて一人で参加する。
洋書が好きな耕吉は、出品された貴重な本に興奮し、高値で本を落札してしまう。
しかもその内の一冊には、大きな落丁があった。
主人公の耕吉は、高学歴ながらなにをやってもうまくいかず前途に不安を感じている。
叔父の古本屋を手伝うが、それが生業になるかといわれればそうでもない。
本が好きなことと、商売とは違うからだ。
耕吉は市で、自分に似たようなインテリくずれの男と、大人びた小僧の活躍を見せつけられ、
自分の前途をいっそう考えてしまうのだった。
市の描写が素晴らしい
作品には古本交換会の市の様子が描かれている。
特に、大店の小僧の描写が素晴らしい。
そのいくつかがコチラ⤵
小さな小僧のほとんど等身にも及ぶかと思われる程大きな荷物などもあった。
あれらは一体何貫目ぐらいあるものだろう?
たくさんの本を重ねてぐづぐづにならぬようにしったりと風呂敷に包むということからがひと修業だった。
黒い仕着せを着た小僧たちはそれを自転車の尻にくっつけて、車や人間が織るようななかを、燕のように身軽にすり抜けすり抜けして行くのである。それはとうてい耕吉ごときものに出来ることではなかった。
『煙』百年文庫<本>の巻 p.9より
郊外の方にこの頃店を開いたらしい本屋もいて、わずかばかりの本を知り合いの大きな本屋の荷のなかにまぜて出してもらうように頼んでいる姿なども目についた。
それは独立して荷を出すにはあまりにも少なすぎるからであった。
このごろそういう本屋が目立ってふえて来ているようであった。
彼等の多くはパサパサして髪を長くのばして、なみの本屋が縞の着物に角帯をしたり、筒袖の仕事着を着たりしているところを、くたくたの背広にノーネクタイというなりであった。とげとげした顔つきのものが多かった。
いやな言葉だが彼等はインテリのくずれという感じからまぬがれ得なかった。
そして耕吉自身そういうものの一人であった。
『煙』百年文庫<本>の巻 p.10より
広間は中央が板敷になっていた。
正面には振り手が座った。
三方にぐるりと円陣をつくって買い手がならんだ。客の多い時には振り手の後ろの方にも立つものがあった。前の方に座っているのは大抵大店の主人か大きな番頭たちで、小僧たちや、独立して荷を出せぬものなどは後ろの方に立っていた。
乱れたパサパサ髪のものなどは、買うというよりは自分が出した荷がいくらになるかを小心に見まもっているという風だった。
『煙』百年文庫<本>の巻 p.11より
耕吉にとっての一番のおどろきはかの紺色の大風呂敷に本の山を包んで来てあとに残っている小僧たちの活躍であった。
みんながみんなそうだというのではなかった。ただその中で非常にさかしげな、ニキビを苦にする年頃にさえまだかなり間がありそうな少年が二人三人して、彼等の活躍が全く目ざましいばかりなまだった。
さかんに声をかける少年たちの顔は紅潮していた。
入り乱れる声のなかにひどく若々しい彼等の声だけがきわだっていた。
立っている彼等は胸を張ってきっとした眼で、前方を、振り手の方を、注視していた。殆ど凛然としているといってよかった。主人の代理で来ているという責任感が彼等を支えていた。一人前のおとなたちのなかに伍して競っているという自覚、敗けじ心が彼等を支えていた。
彼等はそうしてどんどん買った。
市がすむと買った本を、⸺売りに持って来た時とおなじような本の山を、例の紺色の大風呂敷にしっかりと包み込んだ。自分の責任で買った買物に対して少しの疑念もなく自信に満ちている風だった。
たまに一冊か二冊、ようやくにして落とした本を何か未練らしくいつまでもいじくっている背広にノーネクタイの男たちとはちがっていた。
~中略~
さっさと包んでさっさと運んでゆく小僧たちは、本というものを商品以外には考えていない無造作さであったが、なりわいのたしかさ、美しさがそこに感じられた。
『煙』百年文庫<本>の巻 p.14より
さて。
古書店の市での買取方法には主に三つのやり方があるらしい。
ひとつは振り市。
「振り」は声を出すオークション。
振り手が本の書名や特徴を読上げて、「こーれーが、500円!」と最初の金額 ( ハナゴエ ) を出す。買い手は振り手を囲むように車座に座って、「1,000円!」「1,500円!」と、威勢よく声を出していく。声が止まると、振り手は最後に声を出した落札者に滑らせるように投げてよこす。それと同時に記録担当者が、金額と店名を書き留めていく。
耕吉も叔父の周造も「振りは苦手だ」と言っている。
二つ目が置き入札。
テレビドラマ『ビブリア古書店の事件手帖』第8話でも紹介されていた方法だ。
品物がテーブルのような台に乗せられていて、書店員が歩いて見て周る。
各出品物は入札単位ごとに紐で縛られ、封筒が添えられている。
この封筒の中に買いたい金額と店名を欠いた紙を折りたたんでいれていく。
開札の時間が来ると開札担当者が、封筒から札を取りだして、落札者と落札金額を発表する。
そして三つ目が、廻し入札。
『煙』で耕吉がやった方法は恐らくこれだろう。
テーブルを口の字型に置いて入札する人は椅子に座って待つ。
お盆に乗せた本が回ってきて、見終わったら隣の人に回す、一周まわったら終わり。
封筒に入札する点では置き入札と同じだが、ひとつひとつの品物をじっくり見られる。
耕吉は、廻ってきた好みの洋書のひとつひとつに興奮し、入手したいがために気持ちの赴くまま高値をつけてしまう。結果は他店主の冷静な判断を超える額で、大量に入札してしまい悪目立ちし、皆の失笑を買う。
耕吉と他店主とでは、本に対する考え方が違うことがわかる。
「小僧たちは、本というものを商品以外には考えていない無造作さであったが、なりわいのたしかさ、美しさがそこに感じられた」とあるように、《売り物》として本を見ることが耕吉には出来なかったのだ。
「素人の強気にはあきれるね ⵈⵈ一体いくらで売るつもりなんだろう?」
他店主からの、そんな言葉が背後からつきささる中、市をあとにする耕吉。
作者自身が投影された作品
作者である島木健作は日本共産党に入党し、翌年の三・一五事件で検挙され服役。
転向声明を行い釈放されるという経歴を持つ、いわゆる転向文学の作家だ。
仮釈放後、彼は東京本郷で古本屋を営む実兄の家に身を寄せている。
『煙』の主人公には、そうした時期の島木本人が色濃く反映されているのだろう。
※ ただし作品内では兄ではなしに歳の近い叔父。服役や政治的なことは書かれていない。
実際に訪ねた奥長屋
数年前、私は実際に島木が住んだ長屋跡を訪ねたことがある。
物語の終盤描かれている景色は、その長屋を思わせるものだった。
日もあたらぬ狭い庭の垣根の向こうは寺の墓地だった。
花を持って墓石の間を行く人の姿がちらほら見えた。
実際の長屋も袋小路の塀の向こうは寺の墓地⤵
赤線で囲んだ本郷六丁目九番地の奥長屋のどこに島木の住まいがあったらしい。
突き当りの稲荷の塀の向こうは墓地。
本日の昼ごはん
釜玉うどん
本日の夜ごはん
ポリポリ大根、じゃがいものソース炒め、島ラッキョウ
真ん中にどかんとあるのは、昨日のオムライスの残り
だれかさんの好きなちくわぶ煮
サーモンの刺身
たこと豆苗のさっと炒め
最後の肉まん