夫婦して本好です。
が 「さて何を読むか」という段になると、趣味嗜好が異なります。
主人は、趣味の本以外、必ず売れ筋本を抑えます。← 仕事柄 ('◇')ゞ
最近は落語やジャズに関する本も読み漁っています。
一方 私は明治・大正・昭和の古い文学作品が主です。
露伴・島木健作・里見弴などは専ら古書で読むのが好き。
「ビブリア古書堂~」の登場人物、せどり屋の志田さんが、こんなこと言っていました。
※ まるで実際にお友達のような言い方ですけど、本の中で言っていたのでふ。
「面白いって感じるのは同じでも、
自分一人で読んでいたい本と、他人に薦めたくなる本の二種類があると思うんだよな」
全く同感。
一人で読んでいればいい本と、人に薦めたくなる本がある。
例えば私の《人に薦めたくなる本》は、幸田文の「台所の音」あたりかな。
しかしMOURI は向田邦子以外の女性作家の作品は読まないと頑なでして。
なんだおーー、差別かって思います。でも、わからんでもない。
反対に、彼が私に薦めるのは、永倉万治、奥田英朗、池井戸潤、真山仁あたりの滅茶苦茶読みやすい本。
黄緑の部分が、二人の共通項の本⤵
「読んでみる? 面白いよ」と渡されたのがこちら。
面白そうだけど、今さ 併読してる本3冊あんのよねぇ。←心の声
「とにかく、サッと読めるから」
あいあいさー
読んでみました。
読んでしまいました、一日で。
本当にサッと読めました。
《物語》
3月11日、宮城県沖を震源地とする巨大地震が発生し、東北地方は壊滅的な 打撃を受けた。
毎朝新聞社会部記者の大嶽圭介は志願し現地取材に向かう。
阪神・淡路大震災の際の〝失敗〟を克服するため、どうしても被災地に行きたかったのだ。
被災地に入った大嶽を待っていたのは、ベテラン記者もが言葉を失うほどの惨状と、取材中に 被災し行方不明になった新人記者の松本真希子を捜索してほしいという特命だった。
過酷な取材を敢行しながら松本を捜す大嶽は、津波で亡くなった地元で尊敬を集める 僧侶の素性が、13年前に放火殺人で指名手配を受けている凶悪犯だと知る・・・・・・。
『雨は泣いてる』のオフィシャルHPより
本当にサクサク読める作品でした。
サクサク一気に読めるというのは、作者の狙いのはずです。
災害が発生し、ただちに現地に駆けつけ、食事をする間も惜しんで被災地を飛び回る、
そんな新聞記者の時間に追われた様子が無駄のないテンポで書かれているからです。
それをモッチャリ読んで欲しくないだろうな。
作者は『ハゲタカ』で脚光を浴びた方。てっきり経済畑の人なのかと思ってましたが、
新聞記者としてのキャリアもお持ちだったんです。
※ 1987年(昭和62年)に中部読売新聞(現在の読売新聞中部支社)へ入社。
岐阜支局記者として勤務し、1990年(平成2年)に退職してフリーライターとなった。
3年間の記者生活で、新聞業界のことや記者の特性、悩み、流儀を濃密に経験なさったのでしょう。
本作には主人公のベテラン記者とともに何人かの記者が登場します。
あまりの惨状にハイになり、五寸釘を踏み破傷風になってしまう若手記者。
後方支援を行う有能な記者もいるが、出世のことしか頭にない上司もいる。
様々なタイプの記者が出てきますが、その中でインパクトがあるのが新米記者の松本真希子でした。
彼女は、主人公が勤める新聞社の会長の孫娘。
本人は祖父の後ろ盾をかさにきているつもりは毛頭ないが、
じいさまの方は目の中に入れても痛くない大切な孫ですから、
被災地で行方不明になったときけば、社をあげて「さがせ」となる。
主人公の大嶽圭介は、はねっかえりの孫娘の安全確認を取材より優先しなければなりません。
やっと見つけた松本真希子は、取材の足を引っ張ったにも関わらず「私も記者です。取材をさせてください」と帰ろうとしない。
まともに取材が出来るかというと、まだまだ半人前。
何かを命じれば「それは記者の仕事ではありません」とか「人権蹂躙です」とか「職権乱用です」とか言い出し猪突猛進で前のめりになるばかり。
いざ、ものを書かせれば感情的な文章になってしまいます。
大嶽は自らの仕事より、新米記者真希子のお守というか教育係もさせられる始末。
やがて真希子は大嶽から報道とは何かを学びはじめる。んですが。。。。
新米記者-真希子のエピソードは物語において主筋ではなくエッセンスのようなものですが、
新聞記者が被災地でどんなことに苦労をし、何を尊んでいるかがわかる大事な要素です。
一番印象的だったのが自衛隊員とのやりとりでした
大嶽が、松本真希子を探すために自衛隊のゴムボートに便乗するシーンなんですが、こんな感じです。
「申し訳けないが、一般人はお乗せできない」
「いや、私は一般人じゃない。ジャーナリストだ」
「ジャーナリストも、我々からすれば一般人だ。お断りする」
ボートのエンジンが始動した。思わずボートに飛び乗った。
「おい、君!」
「自己責任で乗ります。私が怪我しても、構わないでください」
既にボートは河口を離れていた。
中略
「ここからは、我々の命令に従って下さい。それができない場合は、即刻帰っていただきます」
背後から注意と一緒にライフジャケットが飛んできた。着用しようと腰を上げると、
「立たないで下さい。座ったままでお願いします」と怒鳴られた。
中略
幅1m程度の狭い石段が崖にへばりつくように上方に続いていた。
さすがに彼らのペースは早く、小走りしなければついていけない。私は普段の不摂生が祟り、五分も息が切れ始めた。
「大丈夫ですか」
青田 ( 自衛隊 尉官 ) が気遣ってくれたが、返事するのも辛いほど息苦しかった。
先頭の自衛官が、少し先で立ち止まっている。
「申し訳ない。ちょっと休憩させてもらえませんか。何なら先に行ってくれてもいい」
「私がご一緒するから、皆は先に行け」
青田以外の自衛官が前進すると、私は礼を言って目についた岩の上に腰を下ろした。
ミネラルウォーターが差し出された。
「飲んで下さい。ただし、差し上げられるのは、この一本だけですが」
自己管理でボートに乗り込んだのだ。本来なら水一本でも受け取る資格はなかった。
「恩に着ます」
貪るように飲んで、ようやく生き返った。
臨場感あふれるやりとりに感心しました。
と、同時に自衛隊員とジャーナリストの食料・備品に対する意識にハッとしました。
以前、被災地に来た慣れないボランティアが炊き出しの食料やおにぎりに手をつけてしまった話を聞いたことがあります。ボランティアだって当然腹は減る。泊まりともなれば仕方のないようにも思いますが、立場上のタブーはあるようです。
新聞記者も、自分たちの食料・水は大量に持ち込み、絶対に配給のものには手を出さないそうです。
自衛隊もしかり。
テレビの映像では、被災地の自衛官の食事シーンすら写さないと思います。
そんな自衛官と記者だからこそ、一本のミネラルウォーターの重みに意味があるのでしょう。
上記は、文庫版です。
帯にある「尊敬を集める男。だがその正体とは?」というのが、本作のテーマです。
もちろんそのミステリーの結末も面白かったけれど、
それ以上に、たどりつくまでのエピソードにワクワクしました。
真山さんは、阪神淡路大震災も経験されています。
東日本大震災には、フリージャーナリストとして赴かれたのでしょう。
ここからは私の勝手な想像ですけれど、、、
現場において新聞社の記者とフリーの記者とでは、出来ることも違ってくるんじゃないかしら。
フリーなら身軽なフットワークを生かせる反面、組織の力の有難さも身に染みたかも知れず、そんな真山さんの実体験や想いが『雨に泣いてる』をより一層臨場感の豊かな読み応えのある作品に仕上げる鍵になったような気がしました。
帯にある
「記者の覚悟、誇り、そして存在意義-----。」で、そう思ってしまった次第です。