先日読んだ真山仁「雨が泣いてる」の次にこれを読みました。
「雨が泣いてる」は東北地震を取材する新聞記者のお話でしたが、こちらも東北地震のお話。
こっちの方が先に書かれたものでしたが、「雨が泣いてる」と同様に感動作でした。
主人公は小学校の先生。
阪神淡路大震災の被災者で、奥さんと子供を地震で失くしているその先生が、
志願して東北地震で被災した小学校に赴任してくる、
関西弁の先生と、東北の生徒たちとのエピソードが6つの短編になっています。
で。
実を申すとわたくし、あらすじ書くのが大の苦手でいつも3日4日かかってしまいます。
そんなあらすじも支離滅裂、わかりにくいものだったりする。
いつも思うんです。
「よんばばつれづれ」のよんばば (id:yonnbaba)さんや、
「こたつ猫の森」のマミー (id:mamichansan)さんのように、
端的でわかりやすいあらすじが書ける人が羨ましいと、そういう風になりたいと。
奮闘はしてますの。
努力はするんですが、苦手なことはスルーしてもいいんじゃないかと思うようになりました。
キチンと大元の公式サイトさんから引用してもいいのかも知れないと。
それで今回は、講談社BOOK倶楽部さんから引用させていただきました。⤵
2011年3月11日、東日本大震災。地震・津波による死者・行方不明者は2万人近くのぼった。
2011年5月、被災地にある遠間第一小学校に、応援教師として神戸から小野寺徹平が赴任した。
小野寺自身も阪神淡路大震災での被災経験があった。
東北の子供には耳慣れない関西弁で話す小野寺。
生徒たちとの交流の中で、被災地の抱える問題、現実と向かい合っていく。
被災地の現実、日本のエネルギー問題、政治的な混乱。
小学校を舞台に震災が浮き上がらせた日本の問題点。
その混乱から未来へと向かっていく希望を描いた連作短編集。
被災地の子供が心の奥に抱える苦しみと向かい合う「わがんね新聞」、
福島原子力発電所に勤める父親を持つ転校生を描いた「“ゲンパツ”が来た!」、
学校からの避難の最中に教え子を亡くした教師の苦悩と語られなかった真実を描いた「さくら」、
ボランティアと地元の人たちとの軋轢を描く「小さな親切、大きな……」、
小野寺自身の背景でもある阪神淡路大震災を描いた「忘れないで」。
そして、震災をどう記憶にとどめるのか?
遠間第一小学校の卒業制作を題材にした「てんでんこ」の六篇を収録。
心がジーンと来る話ばかりでしたのよ。
阪神の地震を経験され、東北の被災地もつぶさに見てこられた作者だからこそわかる、
肉付きのしっかりした話でした。
「雨が泣いてる」が動のイメージだとすれば、
こちらはタイトルにもある《輝く星》を待つような、静のイメージです。
シリアスな中に、明るさもしっかり描いてくれているのに救われました。
例えば序盤。
被災地の学校でまず笑いをとる小野寺先生に、ふふふと笑ってしまいました。
「まいど!」
自らのモヤモヤを吹き払うように小野寺は大声をあげて、右手の親指を空に向けて突き上げた。
だだ子どもたちの表情は変わらない。むしろしらけたムードが漂った。
「なんで黙ってるねん? これは挨拶やで。
まいどって言うたら、まいどって返してな! ええか、まいど!」
気乗りのしない「まいど」を返してきたのは、二割ほどだった。
残りは戸惑いながら友達と顔を見合わせている。
「まいどぉー!」
もう一度、腹筋に力をこめて言った。
数回それを繰り返すと、最初はおずおずだったのが、
だんだんと威勢のいい声で応えてくれるようになった。
「よっしゃ、オッケーや。ありがとう。神戸市から来た小野寺徹平です。
みんなの元気をもらいの来ました。これから一年間、よろしく」
短い挨拶を終えると頭を下げ、わざと額をマイクにぶつけた。
どっと笑い声が上がる。子供たちはこうでないと。
今度は頭をあげる時に後頭部にマイクをぶつけた。
さらに笑いが大きくなり、ほとんどの児童が列を乱して喜んでいる。
「ひとつだけ言っておきます。
俺はお笑いやないけど関西人やから、おもろい時は遠慮なく笑ってください」
小野寺先生は、児童を元気づけに来たのではなく「元気を貰いにきた」と言います。
先生の狙いは、辛い想いをした子どもたちに我慢をさせないことでした。
笑う時はおもいっきり笑う。辛いこと、我慢のならないことはハッキリ言う。
やがて先生はクラスの子どもたちに「わがんね新聞」を作ることを提案します。
「やってらんねえって、東北弁でなんて言うんや」
「わがんね、だと思います」
「それって、わからへんという意味とちゃうんか」
「違うよー!」というブーイングがあちこちから上がる。
「そういう意味もありますけど、やってられないなあとか、
もうダメだっていう時に『わがんね』って言います」
なるほど、ええネーミングになりそうや。
「サンキュー。ほな、決めた。
みんな、六年二組はこれから毎週『わがんね新聞』を発行します」
私も「わがんね」は「わからない」という意味だと思っていました。
でも違った。
新聞の意図は、生徒たちの「やってられへん」と感じる怒りを吐き出させることでした。
「これ以上我慢をさせてはいけない」これが先生の考え方だったから。
最初は『わがんね新聞』の発行を「かっこわるい」とか「恥ずかしい」とか反対していた子どもたちも、
やがて心を開いていくようになり、一組でも三組でも新聞を作りはじめます。
しかし、そこには深刻な問題もありました。
原発の問題です。
学校には、福島から転向してきた子もいて、東京電力福島原子力発電所に勤務する家庭の子もいました。
その子はある生徒から “ゲンパツ” と呼ばれていました。
でも両親に心配をかけたくないと、学校でそう呼ばれていることを内緒にしています。
“ゲンパツ” と呼ぶ生徒にの方にもそれなりの理由があり、一概に叱ってすむ話ではありませんでした。
小野寺先生はひとりひとりが抱える問題を丁寧にほどいていく作業を繰り返します。
《わがんね新聞》が評判になるの従い、大人にも波風が立ちます。
けしからんと怒鳴り込んでくる父兄の盾になってくれたのは校長先生でした。
穏便に問題を起こさないで欲しいという教頭先生をおさめたりしながらも、
小野寺先生の良き理解者になってくれる校長先生でした。
教育現場は、《子どもとのこと》より《大人同士の問題がはるかにややこしい》と想像つきます。
だが現実はその何百倍も面倒な世界でしょうから、本やドラマのような良き校長に恵まれるのは稀かも知れず、さぞかし苦労が多いと思います。
登場人物は学校関係者だけではなく、地域の人や、大阪の知人や昔の生徒も出てきます。
「東北のことを忘れて欲しくない」とポスターを作り、小野寺先生が大阪に里帰りする時に持っていって欲しいという主婦たちの話も印象的でした。
見返り ( 地方の援助 ) を期待しないで、自分たちで何とかしていこうと頑張るお兄ちゃんの話にも励まされました。
ボランティアの元締めをするNPOの女性の信念にも考えさせられました。
誰も悪くない
読了して驚いたのは、本作に悪役がいないことでした。
東北を忘れないでとポスターを作る主婦にも、 “ゲンパツ” と友達を呼ぶ少年にも、
それなりの事情があり一生懸命に生きているからこその理由がちゃんとありました。
よく悪役がヒーローにやっつけられる筋書きに胸がすく本があるけれど、この本は違います。
勧善懲悪ではなく、悪くない者同士のすれ違いや軋轢の話ですから、問題解決の糸口はおいそれと見つからず、答えの出ないまま終わったりもします。
しかし不思議と重い気持ちにはなりませんでした。
何というか、じーんとする静かな感動すら押し寄せてきて、本を閉じられるような。
本を閉じた後、ポスターのことも、ボランティアの在り方についてのその先を、ひとりで考えてみたくなりました。
考えたところで答えは出ぬかもしれぬ、だけども考えてみた先にあるのが、
《そして、星の輝く夜がある》ということなのかなぁ、、、なんて希望を感じさせてくれるのが、この本の良さなのかなと思いました。