松本清張『草の径』より「ネッカー川の影」を読んでいる。
この作品は、夫がユーゴスラビアとロンドンの学会に出席するのに同伴した妻・利江子が、夫の仕事を待つ時間を利用してドイツ・テュービンゲンという古都を訪れる話だ。
馴染の薄いドイツの地名がバンバン出てきて、情景が把握 ( 想像 ) できずに閉口する。
そこでGoogle mapで地名を検索。
利江子が泊まっている宿 ( 架空の名 ) と周辺地をストリートビューで歩き回ってみた。
《小説を読む》というより《ガイドブックを見ながら楽しむ》に趣向に代わってしまったが、
この本に出合わなければ知ることもなく終わった古都を堪能することができた。
例えばこんな風景
ホテル「城の望楼」はこの通りでは大きいほうだった。前に広い駐車場を持つ。
坂道を上りきったところにあるのは橋で、中世の
下に周濠があって黒みがかった水に重い緑色の藻が浮かぶ。
高い石垣は蔦の網に覆われている。
橋を渡るとホーエン・テュービンゲン城の正面となる。
路は
上の文章のストリートビューはこちら⤵
テュービンゲンは人口七万にも足りないが、ネッカー川の上流区域では、聞こえた古都であった。
シュヴェービッシェ・アルプ山脈の断層がネッカー渓谷をつくり、城を乗せた丘はその山脈の西縁にあたる。
ヘルダーリンという詩人の由縁の街だった
「利江子がテュービンゲンを希望したのは、その古都を見たいこともあったが、
この地が詩人りヘルダーリンとゆかりが深いことに関心があった。」と書かれている。
ここでちょっとヘルダーリンのことを書き出しておく。⤵
ヘルダーリンは36歳 ( 1806年 ) のとき精神病者としてテュービンゲンの病院に入れられ、翌年から指物師エルンスト・ツィンマーの家に引き取られて狂える状態で73歳 ( 1843年 ) で死んだ。
37年間、忘我の人だった。
現在はその指物師の家が「ヘルダーリン塔」として名所になっている。
※ 黄色の壁のとんがり屋根がヘルダーリン塔
ヘルダーリンは26歳のとき豪商の家の家庭教師になった。
豪商の妻・ズセッテを一目見るなりそのギリシャ的な容貌に強くうたれた。
年齢は彼女の方がひとつ上だった。ズセッテと話をしているうちに彼女がなみなみならぬ教養を持っていることがわかった。
戦争が始まると、豪商は妻と子供たちを疎開させた。ヘルダーリンも子供たちと同行する。その時の妻とヘルダーリンとの手紙を読んだ豪商はヘルダーリンを解雇する。
ヘルダーリンはズセッテが自分を追い、家庭を出奔するのを待った。しかし、ズセッテはヘルダーリンを追ってこなかった。わたしには子供らを育てる崇高な義務があります、これからはあなたの描かれたものを拝見して暮らします。との手紙が彼のもとに届いただけだった。
ズセッテは子供の発疹チブスの看病をしているうちに伝染されて死んだ。彼女はヘルダーリンを捨てて家に残り、我が子の犠牲となり「崇高な義務に殉じた」。
ヘルダーリン塔を訪れた利江子の描写がとても印象的だったので、写真ともに。。。
利江子はヘルダーリン塔を離れた。
ネッカー川にボートが浮かび、
家鴨 の群が水脈 を作っている。
彼女は塔の前の道についた低い崖下に降りた。長い石垣に沿った小径である。
ネッカー川の川面とすれすれだった。
対岸が公園で林が繋がっている。
歩きながら石垣を見て行くうちに、その一箇所に窪みのあるのに気づいた。
窪みは石垣の
蔦葛 に半分隠れていたが、龕灯 形になっていた。彼女は、はっとなった。龕灯の中に青銅の像が置いてある。
ヘルダーリンの胸像だった。壮年時の顔らしく、黒みのかかったブロンドでも美男だった彼の容貌をとどめていた。
彼女は息を呑んだ。そのヘルダーリンの眼に蔦の
蔓 さきが絡みついている。古い墓に観られる荒廃と同じだった。すぐには信じられなかった。
彼が三十七年間も暮らした指物師の家は、いまヘルダーリン塔と称して、多くの観光客を中に入れている。そのヘルダーリンが外に出されて、
野晒 になっている。
塔には観光客が行くが、この彫像の前にはだれも来ない。訪れる人のないことは、ヘルダーリンの眼に入り込んだ蔦の蔓がそこで錆びついているのでもわかる。
利江子は蔦を除けようと手をかけた。力をこめたが、目から容易に離れなかった。
ようやくに引きちぎったが、巻きついていた蔓の先が錆で褐色になっていた。
像の眼ははじめて見開かれた。
利江子は瞬間ディオティーマのズセッテもこうしてヘルダーリンを捨てたと考えると、ズセッテの同類になったような気がした。
松本清張著『草の径』「ネッカー川の影」p.170より
因みにこの、ヘルダーリンの胸像らしきものの右側にもひとつ彫刻がある。
その彫刻がヘルダーリンのものか別物かは不明だが、こちらも蔦で覆われていました。
「ネッカー川の影」を読みながら、こんな脱線した愉しみ方をしてしまった。
本のタイトル『草の径』とは、このネッカー川岸の小径のことかも知れない。
因みに、収蔵の「老公」は西園寺公爵の晩年を調べて作品にしたもの。
「モーツァルトの伯楽」もモーツァルトの墓地を訪れた紀行文のような形で、モーツァルトの死にまつわる話を調べて作品にしたものだった。
松本清張の作品はあまり多くは読んでこなかったが、
この『草の径』は、推理小説でもなく、紀行文ともいえず、まあ大きくいえばミステリーではあるが、面白い位置づけにある内容だと思った。
参考にさせていただいたサイト
本日の朝ごはん
半田そうめん
本日の昼ごはん
金ちゃんラーメン
本日の夜ごはん
ししゃもを久しぶりに買った。
ししゃもはオスとメスで好みが別れるが、これはオスメス混合という商品だった。
「これオスだよね」「こっちはメスだ」と面白がって美味しく食べた。
本日のつまみ三品盛りは、豆三昧。
空豆、納豆ツナマヨにおかひじきを混ぜたもの、枝豆。