百花文庫で、志賀直哉著 『早春の旅 他二篇』を読了。
この本に収められている三つの短編は、お子さんたちとの様子を書いたものです。
直哉さんには、義理のお母さんが産んだ年の離れた兄弟たちがいます。
その兄弟のことや、祖母、実母、義母のことを、彼は沢山の作品にしています。
新潮日本文学アルバムにも
「直哉の成長過程の上で、肉親の果たした役割は実に大きく、それが志賀文学の第一の核となっている」
と書いてありました。
志賀直哉の代表作といえば『暗夜行路』や『城崎にて』ですが、
それよりも私は『清兵衛と瓢箪』『小僧の神様』など子供を主役にした物語が好きです。
それらを読むと「ああ、志賀直哉って根っから子ども好きなんだな」と思います。
『網走まで』は、列車の旅で隣り合わせた母子の様子が温かい視線で描写されていて、
その観察眼の鋭さが見事だなと感動させられてしまいます。
直哉さんが58歳 (昭和16年) に発表したのが『早春の旅』です。
息子の直吉さんを連れだって早春の奈良・大阪、新潟を9日間かけて旅する様子がつづられてます。
当時息子さんは15歳かな、男親と2人旅なんて嫌がるくらいの年頃じゃないかと思いますが、それが結構ウマくいってる。
前半の近畿の旅は、主にお父さんの知合いに会ったり、寺社仏閣、美術、骨董を見たりと《父親が主役の旅》でして、後半は、息子のスキーが目的の旅に父親が付き合うんです。
「これからは俺の方がお供だよ」
「それぢゃあ、これから自分の鞄は自分で持つ事にしませうか」
私は今までの旅も楽しかったが、直吉が喜ぶだらう、これからの旅も楽しい気がした。
二人は何となく快活な気分になつてゐた。
息子にやり込められている様子が微笑ましい。
朗らかな関係がにじみ出ていて素敵です。
もうひとつ、クスっと笑える場面。
「風呂へ入らう。湯に頭をつけると、屹度直るよ」
「後から行きます」
先に湯に浸つてゐると、直吉は裸で手拭を下げ、スリッパーを穿いたまま入つて來た。
「オイ、傑作、傑作」と云つても未だ氣がつかず、直吉は湯壺のふちにしやがんで不審さうに私を見た。
「足を見ろ」
「いけねえ!」
直吉は急いで又出て行つた。前々夜、大阪の宿で、私が枕の所までしかなかつた短いシイツを掛布団と一緒にまくり、その下に寝たのを直吉は鬼の首でも取つたやうに喜び、時々「あれは傑作だつたよ」などと冷やかしてゐたが、これで帳消しになつた。
【ジイドと水戸黄門】
直吉少年と直哉さんが1つの布団で寝るという話です。
書斎でジイドの「窄き門」を読んでいた直哉さんがそろそろ寝ようと読みかけのジイドを持って寝室に向かうと、子ども雑誌を読んでいた直吉がついてくる。
「ええなあ。----ええなあ」と息子が頻りに云ふ。謎はよく分かつてゐる。姉達はもう眠るので、天井からの明るい電燈をつけて置くと文句をいふのだ。私の寝床には枕元に電氣スタンドが置いてある。
「どうも早く大人にならんとあかんなァ」私が黙つてゐるので直吉はまだ側に立つてこんな事を云つた。
私は身體をずらし、背中の方を少し空けてやつた。直吉は歓声をあげ飛込んで來た。
背中合わせに布団に潜り込んだ父子は、互いに本を読んでいる。
直哉さんはジイド、直吉くんは水戸黄門。
15分ほどして、余程面白い所へ來たのだろう。直吉くん時々クスクス笑っている。
ピッタリ背中がくっついているので、直吉が笑うたびに背中がくすぐったい。
如何にも面白そうな様子に直哉さんは、こう書いている。
私のジイドの比ではなさそうだ。~( 中略 )~ 私は氣が散って仕方がない。
直吉の方は私が口を利かなければ、まるで夢中になれるのだ。
ジイドではそれ程になれなかつた。
【池の縁】
この短編は、3歳2ヵ月になる田鶴子ちゃんの話です。
何をするにも付いて来る可愛い盛りの娘さんの様子が生き生きと描かれています。
「きのふな、-----蝉がな、----木で啼いてゐた」
小娘が急にこんな事を云ひ出した。此小娘の場合、過去は常に「きのふ」で片づけるので、いつの事を云つてゐるのかとは思ひながら、
「ねえ、蝉とか蜻蛉とか、ああいふ蟲は夏、あつい時でないと出ない。こんな寒い時分は蚊も蝿も居ないだろ。さうだろう」かういふと、
「嘘いひな」小娘は非常な自信で一言の下に否定した。「何を云ふか」といふ調子だ。
「馬鹿」私は笑つた。
「嘘いひな」小娘はもう一度さう云つてにやにやしてゐる。
「お前こと嘘いひな」と此方もいつて、二人で一緒に笑つた。
ねっ、直哉さんの子どもの作品、いいでしょう?
心が温かくなります。
↓↓↓ とじこみは、JGEMの時に投稿いただいたコメントです。
コメント
- beatle001
- 2014/07/13 7:44 AM
きのう友人と飲んでいたとき「最近奈良へ仏像を見にいって、志賀直哉旧居にも寄ってきたよ」といわれました。わたしが志賀のファンなのを知っているので、報告してくれたのだとおもいます。
なんどか足を運んでいる上高畑のあの旧居が懐かしくなりました。そして、あの家を舞台に子供が生き生きと描かれている「池の縁」を思い出して、パソコンで、「志賀直哉」「池の縁」をキーワードで検索したら、こちらのブログに出会いました。
志賀直哉の子供を描いた小説、わたしも大好きです。なので、ひとつひとつ納得しながら、とても楽しくブログを読ませていただきました。
- Marco
- 2014/07/13 9:21 AM
つたない感想文お読みいただいた上に、コメントまで頂戴し嬉しい限り、ありがとうございます。
>志賀直哉の子供を描いた小説、わたしも大好きです。
本当にいいですよね。心が温まりますよね。
志賀直哉さんと直吉さんの「赤い帽子、青い帽子」のエピソードを思い出してしまいました。
ワタシは、奈良上高畑も、尾道も、安孫子の旧居もまだ訪れたことがありません。
サイトで紹介されている写真を見ているだけでしたが、素敵なお住まいですよね。
奈良上高畑へは、是非行ってみたいと思います。
- beatle001
- 2014/07/16 3:18 PM
わたしは、東京に住んでいるので、我孫子は比較的頻繁にいっています。ただ、住居はその跡に、物置のような閉め切った書斎と記念のプレートがあるだけで、当時を彷彿させてくれるものはありませんですね。そうか、ここに住んでいたのか、と想像を膨らませて楽しむだけです(笑)。
近くに柳宗悦の住居跡や、少し遠いですが、武者小路実篤旧居(ここは現在個人の所有になっているので、一般公開はしていませんけど、一度「新しき村」のひとたちと一緒に見学させてもらったことがあります)もあるので、我孫子時代の、志賀直哉の作品(「和解」など)や武者小路実篤(「彼が三十の時」など)、白樺派の交流を実地見学で楽しむことができます。志賀直哉旧居前にある「白樺文学館」も、小さな建物ですが、静かな時間を過ごすことのできるいい空間ですし、声楽家・柳兼子(柳宗悦夫人)のレコードがかかっていたりします。
尾道は遠いので、数年前やっと訪れることができました。現在は、「暗夜行路」に登場するような三軒長屋が復元されているので、「ああ、ここから志賀直哉は瀬戸内海を眺めて、あの有名な描写を書いたんだなあ」と、なかなかしみじみした時間を過ごしました。
奈良の志賀直哉旧居は、志賀文学のようにこれ見よがしのようなものはなくて、がっしりとしていて、合理的な建物です。
広い居間には遊戯室があって、ここで卓球やマージャンをして遊んだのかな、って想像したりするのも楽しいですし、その居間は天井がガラス張りで、サンルームになっていたり・・・いろいろ便利な工夫がされています。居住空間が志賀文学の一部のようでおもしろいですよ。
あと志賀直哉の初期の作品でも、子供が生き生きと描かれていますね。「真鶴」は、美しく大好きな作品ですし、「鵠沼行き」の小さな子供たちの動向も、とても自然で、読んでいてニコニコ笑いがこぼれてきます。
里見とんのブログも、少し読ませていただきました。この作家も志賀がらみで、けっこう読みました。後日、ブログを全部読ませていただきます。
楽しいブログありがとうございます。
- beatle001
- 2014/07/16 3:42 PM
追伸です(笑)。
我孫子の交流を描いたものでは、「雪の日」もいいですね。我孫子一帯に雪が積もって、志賀は奥さんやお手伝いさんの代りに町まで買い物に出る。
そのついでに柳宗悦の家へ寄ると、バーナード・リーチが来ていて、ふたりで武者小路の本の装丁について相談している。しばらく話して、志賀が家へ帰ろうとすると、手賀沼に雪が降りそそいでいて、乗り捨てられた小舟にも雪が積もっている。
それを志賀直哉は、墨絵のようだ、と眺める。さらに、こういう景色を描いた名画は、その写実だけでなく、その景色の気韻のようなものも描いている、と感心する・・・我孫子へいって手賀沼を眺めると、この「雪の日」をよく思い出します。
- Marco
- 2014/07/16 4:39 PM
Beatle001さま
またまた、ありがとうございます。
「鵠沼行き」、ワタシも大好きです。
家族で行ったのは、確か鵠沼・東屋旅館物語ではなかったでしょうか?
バーナード・リーチについては、里見弴の「私の一日」にも書かれていましたが、リーチさんも安孫子に住んでいたんでしたね。
…そういえば、ワタシの母が2年程、手賀沼の近くに住んでいたことがありましたので、その時、散策しておけば良かったなあ。…って、秋になったらまずは安孫子にGO してみます。
尾道と奈良は来年のお楽しみということにして…