MOURI の親戚に御不孝があって、安中に来ました。
早く着いてしまって、まだ2時間もあるので近くを散策したら、新島襄の旧宅があるっていうじゃないですか。
行ってみよう!
新島襄は、NHK大河「八重の桜」でもお馴染み、新島八重の旦那様。
同志社の創立者です。
新島襄さんのことは、八重さん繋がりではなく、徳冨蘆花→徳富蘇峰のルートから知ったこともあり、
当時の男連中から見た八重さん像と、ドラマの八重さん像とを対比しながら大河を楽しみました。
熊本バンドのメンバー、九州男児の徳富蘇峰 (左写真) などからすると、
旦那様を「襄」と呼び捨てにするなんて、女としてあり得ない話。
新島八重の存在は理解しがたいものだったのではないでしょうか。
それでも夫婦がそれでいいというなら、他人がとやかくいう問題ではなく。。。
なにはさておき。
ずんずんと進むと、藁ぶき屋根の旧家があります。
「新島襄先生旧宅」正確には襄のご両親の家です。
襄は、安中藩士である父が江戸詰めの時に神田の上州安中藩江戸屋敷で生まれてます。
両親が廃藩置県で故郷の安中に戻った当時、江戸詰めだった元藩士たちの住居はなく、しばらくは寺などに間借りをしていたそうで、この家はそういう人たちの為に建てられた長屋だそうで、これはその一軒。
当時はこういう棟割り長屋が何軒も連なっていたけど、その内の2家族分 ( 一棟 ) が残され、
「新島襄先生旧宅」として公開されてるらしい。
流石、地元の名士だ w
「新島襄旧宅」じゃなく、「新島襄先生旧宅」だもの。
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図面を見ると、右半分の土間と和室二間が新島家で、左半分は違う家族の住まい。
廊下の先は別の人のウチだったのをブチ抜いて、奥は資料館になっている。
あら、いい障子
あら、いい眺め
襄の、もとい襄のご両親の家に座って見ています。
今日あたりは寒くもなく暑くもなく、開け放たれた縁側の気持ちの良いことといったらたまりません。
大河の力は凄いもので、年間来場者数が5,000人程度だったのが
「八重の桜」の年は10倍の50,000人が訪れたそうです。
管理人さんに「無料じゃなく少しお金を取っておけば良かったですね」と、軽口叩いたら、
「いえいえ、新島先生でお金は取れません」ですって。
本当に尊敬されているんだなあ。
新島襄 12歳の時の作品です。
襄のお父さんはとても字の上手い方で、習字は小さい時から仕込まれたとか。
絵の方は8歳の時に隣人の安中藩年寄の江場新太郎さんから習ったそうです。
足の組み方に稚拙さはあるものの、鉄拐仙人とは。子供が描く絵じゃないわね。
鉄拐仙人というのは、中国の有名な仙人で、分身術が得意だった人。
口から出ている煙の中に人みたいなのが見えるでしょう? あれが鉄拐の分身。
鉄拐仙人のことは、落語で面白おかしく取り上げられてます。
中国の人に知れたら怒られるんじゃないのかしら。
噺としてはあんまり人気がなかったようで、三木助さんと談志さんくらいしか演られてないようですが、
若き頃の立川談志さんの「鉄拐」、なかなか良いですよ。
※ YouTubeには晩年の「鉄拐」もありますが、俄然こっちの方がいいです!