千光寺公園にやってきました。
駐車場から見上げる空は雲ひとつない。
台風がじきやってくる ( もう来るはずだった ) というのに、こんなに快晴。
尾道には、何の知識も下調べしないで やってきました。
まあそれは、尾道に限ったことではないけれど。。。
この街の歴史、地理、色々なロケ地の情報など知っていたら、キリなく楽しめる場所なんでしょう。
大林監督映画三部作やNHK朝ドラ「てっぱん」がどこで撮影されたかなんて、わからないけれど、
下調べしてくれば散策の仕方も違うんだろうが、、、、いつものことながら
気の向くまま、足の向くままの旅。
尾道の景色が一望できるといったら、ホテルから見えたあの山だろうと、千光寺山に車で登ってきました。
↑ この地図じゃ、小さいか。
んじゃ、拡大⤵
尾道の駅は尾道水道に面した平場にあって、北側に千光寺山 ( 144.2m ) という山がある。
その山の斜面に建っているお寺や民家からの眺めが、テレビでよく見る「尾道の景色」なんでしょう。
そう思って山の展望台を目指しているのです。
駐車場から展望台までは、徒歩でさらに登ります。
登ってきた道を振り返る⤵
ああー、でもまだこんな坂だ。
坂の右側に階段がありました。
どうする? 坂にする? 階段で登る?
登るにつれ、見渡しがだんだん良くなります。
ズームアップ⤵
向島の向こうに海が、そしてまた島。
島の向こうに海。瀬戸内海特有の景色に感動。
左の方を見ても、まあ綺麗。
向島の先が海、そして島が点々と見えます。
さらに左に目をやると、しまなみ海道の橋が見える。
「おお島だ、海だ、橋だ」と喜んどるMOURI の手⤵
展望台にフェンスには写真が貼ってありました。
写真に書いてある地名と見比べて、おおはしゃぎの2人
おっ、あれは。
昨夜行った、たまがんぞう前の渡し場。
向島の渡し場から出たフェリーが尾道側の渡し場に向かっています。
ずっと見ていても飽きない。
展望台から千光寺までは、文学の道というコースを下ることになります。
文学のこみちってなんぞや。。。。
なるほど、文学者 ( 小説家や俳人など ) の代表的な一節や句が石に刻まれているようです。
(全部で25あったそうですが、見落としたものもありました、ざんねん)
気になるものだけでもひろってみた。
熊本の人、徳冨蘆花の兄、上京して民友社をつくり国民新聞を創刊、
その大著「近世日本国民史」は、頼山陽以後の在野の史家の第一人者といわれた。
うーん、「海色山光、まことに美なるかな」最初の部分しかわからない。
うーーーん、お兄ちゃんの文章はやっぱり歯がたたないや。
正岡子規
松山の人、俳誌「ホトトギス」を発刊、俳句革新の大先達となった。
この句は、日清の役に、日本新聞の従軍記者として尾道を通過したときの作で、
西園寺の三重塔と天寧寺の海重塔を眺めたものであろう。
のどかさや 小山つづきに塔二つ
正岡子規の立て札には、この句がいつどんな時に作られたかも書いてあります。
塔二つの意味も書いてあります。
だったら蘇峰さんのも同じように書いて欲しかったなぁ。
志賀直哉
宮城県の人、大正元年の秋から同二年の中頃まで、千光寺山の中腹に居を構えていた。
同十年から大作「暗夜行路」を発表、昭和十二年に完成した。
その寓居は現存している。
この碑は、小林和作画伯が、特に筆をとられたものである。
六時になると上の千光寺で刻の鐘をつく。
ごーんとなると直ぐゴーンと反響が一つ、
又一つ、又一つ、それが遠くから帰ってくる。
其頃から昼間は向島の山と山との間に一寸頭を
見せている百貫島の燈台が光り出す。
ひれがピカリと光って又消える。
造船所の銅を溶かしたような火が水に映り出す。
やっぱり旨いなぁ。
最初のごーんと、反響したゴーンをわざとひらがなからカタカナに変えたところに
みんな感動してるみたいっす。
それにしても (笑) この立て看板の説明書き、
人によって丁寧だったり簡略化されていたりバラバラなのが面白い。
志賀直哉さんのことを、尾道でも有名だから書き込みが丁寧でした ( ´艸`)
途中、こんな大岩の間をくぐるところもある。
おお、いい眺めだ。
千光寺山までの遊歩道の眺めは、角度や高さによって様々に変化するから面白い。
高い所から見た風景とはまた違った味わいがある。
ここなんかも素敵。右に見える電線みたいなのは、ロープウェイのワイヤです。
実はここに、林芙美子の碑があったんですが、日差しがきつくて綺麗に撮れませんでした。
大変残念なので ⤵ Wikipediaからお借りしました。
海が見えた。海が見える。
五年ぶりに見る尾道の海はなつかしい、 汽車が尾道の海へさしかかると、
煤けた小さい町の屋根が提火のように、 拡がって来る。
赤い千光寺の塔が見える。
山は涼やかは若葉だ。
緑色の海、向こうのドックの赤い船が、 帆柱を空に突き刺している。
私は涙があふれていた。
放浪記の一節だそうです。
25の碑の中では、地元でもこの碑が代表格とされているようです。
他の碑と違い、尾道の景色も見える所に建っているからもあるでしょうし、
尾道の風景が語られているからでもあるでしょう。
東京の人、おとぎばなし作家として児童文学につくした功は大きい。
この句は、昭和七年、尾道を訪れた際この地の風光をよんだ数句の中の一つである。
大屋根は みな寺にして 風薫る
まあ、なんと力強い筆でしょう。
長男 三一 筆とあります。
巌谷小波さんの父上は、貴族院勅撰議員で書家。明治の三筆の一人だそうです。
三一さんの達筆さはおじい様ゆずりなのでしょう。
長男 三一さんは、槙一というお名前で昭和期活躍された劇作家、演出家でした。
小山内薫に師事し、松竹に入社、歌舞伎座舞台監督となり、歌舞伎座幹事室長までされた人だそうです。
「残菊物語」を脚色したのも彼。前進座の「元禄忠臣蔵」はすべて彼が演出されたのだそうです。
うーん。
25の碑の中で、なんとなく気になった巌谷小波さんの石碑の筆だったけれど、
長男 三一さん→巌谷槙一さんが、小山内薫さんとつながっていて、大正から昭和初期の舞台に大きく関わっていた方だと知り、この方のことをもっと調べてみたくなりました。
文学のこみち。
25あるということでしたが、見落としてしまったものが山ほどあります。
ひとつひとつ丁寧に見ていけば、そこからまた興味が広がって、
調べてみたいものがどんどん増えていくでしょう。
尾道。
ここはスルッと通り過ぎてしまうには勿体ない場所です。
一週間くらい滞在して ( いやもっとでもいい )、この碑をもう一度見直して、
文学者の本を尾道で読んだりしたら、楽しいだろうな。
贅沢な旅になりそうですが。。。
約1㎞ばかり下ってきたところで千光寺山の境内に入りました。
お堂の裏手を通らせていただく形になります。
まあ大きな岩だこと。
鏡岩ですって。
「昔、玉の岩の宝珠または太陽、月の光を鏡のように反射させていたと
伝えられており、鏡には神が宿るという信仰の対象であったと言われています。」
と書いてある。
あの白いところは、白く化粧されているということなのでしょうか。。。
大宝山権現院千光寺は、標高百四米、尾道湾を一望する大宝山の中腹にあり、
( 大同元年・806年 ) 弘法大師の開基で中興は多田満仲公と伝えられています。
珍しい舞台造りの本堂 ( 貞享3年・1686年 ) は、別名「赤堂」とも呼ばれ、
林芙美子も放浪記の中で「赤い千光寺の塔が見える」と書いています。
千光寺ホームページより
こちらが赤堂ですか。
おじゃまいたします。
赤い欄干からの絶景、素晴らしい。
ジャジャジャンジャンジャン
背後で鈴がなる音がしました。
紫の法衣に黄の袈裟をつけたお坊さんが列をなしてこちらに歩いてきます。
護摩が始まるみたい。
こういう機会でもなければなかなか拝見できない景色でした。
なにやら素敵な喫茶店、、、?
残念、閉まっている。
窓辺のテーブルから見える景色が素敵、わっ入ってみたかった。
カフェは、平日13時からなんだそうです。
そしてこの上は、ゲストハウスになっているらしい。
あちらがその入り口かな。
千光寺山南斜面地に建つ大正10年建築の邸宅。
木造二階建てで、斜面に張り付くように建てられ、
尾道水道側は大きな窓により、まさに絶景をみることができます。
NPO法人空き家再生プロジェクトにより修理が行われ、別荘建築の趣を残しつつ、
現在はゲストハウスや観光案内スペースとして活用されています。
千光寺参道の重要な場所に位置し、これからも多くの観光客を魅了する建物として活用が期待されます。
なるほど、ここはまだずっと千光寺の参道なんだ。
階段の左手に、三重塔が見えます。
あれが正岡子規さんの句にあった天寧寺の三重塔のようです。
三重塔の向こうに山陽本線が見える。
カーブした線路が絵になるなぁ。
右手に公園のような広場がありました。
あっ、尾道第一猫発見。
やせっぽちさん、まだ子供かな?
いいねぇ、こんなのどかな所で育って。
あっ、二匹目。
この子も細っちい。
いつもでっぷり系のにゃんこたちをお世話しているから、
ここの子たちがやせっぽちに見えるのかな。
ご飯をあげている人がいました。
そうなのねお昼ご飯をいただいてるんだ君たちは。
あまり食べてなくて痩せてるのかしらと思ったけど違いました。
尾道は坂と階段が多いから、猫たちの運動量も違うんでしょう。
階段に工事の為の板が敷いてあります。
斜面の家々の修復には、こうして資材を運ぶようです。
空き家のようです。
向こう側の窓から見える景色が素晴らしい。
玄関のところに、若い男性が二人ほど、中の片づけをしていました。
もしかしたらこの方たちもNPOの人で、この空き家を再生しているのかも知れません。
現状は畳もぶよぶよに見えますが、皆の力で息を吹き返し素敵な家に生まれ変わるのでしょう。
ゲストハウスになるのかな、そうしたら泊まってみたい。
志賀直哉旧居の看板が見えてきました。
あっ、三匹目発見。
ぴょんぴょんはねて、御機嫌な様子。
あなたが御機嫌だと私も嬉しいよ。
志賀直哉旧宅は次回につづきます。