豊島区千早にある、熊谷守一美術館に行きました。 ( 3月13日 )
コンクリート打ちっぱなしの三階建て。
熊谷守一さんのイメージとは対極にあるような建物だけど、壁には。。。
熊谷守一さんの代表作「赤蟻」が。。。
「地面に頬杖つきながら 蟻の歩き方を幾年も見ていてわかったんですが、
蟻は左の2番目の足から歩き出すんです。」
晩年、日がな自宅の庭で動植物を見て過ごしたという、モリ ( ※ ) さんの有名な言葉。
※ 熊谷守一さんは家族や周囲の人から「モリ」と呼ばれていたそうです。
展示室以外は撮影可とのことだったので。。。
第一展示室には、比較的後半の油絵が展示されていました。
濁った土感のある単色の絵具で、蟻や蝶や花を閉じこめたような作品や、猫を描いたものも多数。
日向で居眠りをしているような猫たち。
シーンと静まり返えり、一切の音を感じさせない。
ちょっと米倉斉加年さんに見える。。。
熊谷守一さんに興味を抱いたキッカケは、この写真 でした。
こんな人、いるかしら。
警戒心の強いといわれるカラスが頭に乗っている。
髪の毛をもて遊ばれても端然としている人。。。
出典:( blogs.c.yimg.jp )
【仙人とよばれた浮世離れの画家】 熊谷守一
「画壇の仙人」の称された熊谷守一さんは、
裕福な家に生まれ、父親のお妾さんや異母兄弟、女中たちと一緒に育ちました。
父親は稼業を守一さんに継がせたかったのですが、守一さんは東京に出て、画家を志します。
赤貧の中で3人の子供を失い、制作をつづけていきます。
千早の家は、奥さんの実家からの援助で建てられたそうです。
晩年のモリさんは、この家の庭で動植物に囲まれて過ごし、猫、蟻、蛙など身近な動物を絵にしていきました。
文化勲章の内示を「これ以上人が来てくれては困る」と言い辞退したという話も、
モリさんの人となりがよくわかるエピソードと思います。
1階の展示室、2階の日本画を中心にした展示室を見学し、ホールに降りてくると、
喫茶室になっていました。
モリさんの次女で画家の熊谷榧さんの作品も壁にありました。
そもそも父親の旧居を建て替えて個人美術館を作ったのも、榧さんで、
2007年に豊島区立になるまでは、榧さんが館長を務めていました。
榧さんは、美術館を建てる時に自宅の庭にあったケヤキとハゼノキの2本だけ残しました。
あのシンボルツリーがその 1本なのかな。。。
どうやらここは、地面から少し掘り下げられた高さになっているようです。
椅子に座れば、目の高さは白砂利や玉竜に合うようで、木や空は見上げる形になります。
この辺りの家並みは、
モリさんが住んでおられた頃とは
すっかり変ってしまったかも知れない。
でも。
美術館の隣に一軒だけ、古い家が残ってて。
今では珍しい生垣のお宅なんだけど、
美術館の入口にあるモリさん像は、
そのお家の庭が見られるような角度に
置かれていました。
なんか嬉しい。
そんなモリさんは、今日もいねむり