義父がCT検査中に具合が悪くなったという連絡があり、急きょ母の元 ( 上田 ) に来ています。
お医者さまの説明によると、1万人に1人のアナフィラキシーショックで心臓が停まってしまったらしい。
蘇生対応をしていただいて九死に一生を得ましたが、今後の話など高齢の母の代わりにお聞きした次第。
2日目の今日は、話も出来、ベッドから起きようともするくらい回復したので、一安心というところ。
「もう大丈夫、ありがとうね」と言う母と別れて上田駅にいますが、、、
このまま帰るのも何なので少しぶらついてみたいと思います。
上田にはこれで4回目。
母や義父も仕事で移ってきた土地で、縁故があるわけでもない。
仕事をリタイヤした両親なので上田にいなくてもいいのだけれど、
気候風土と地元の方の人柄に触れて、上田が好きになってしまったらしい。
だから私にも縁がある土地ではないのです。
こんなことでもなければ、見て歩くこともないし、、、
考え事をするのに「歩く」のが一番性に合っているのです。
まずは腹ごしらえ。
信州はお蕎麦が美味しいでしょう? やっぱり蕎麦、食べます。
ちゃんとした蕎麦屋さんは沢山ありそうですが、駅ビルの立ち食い系のお蕎麦屋さんでも十分美味しいんじゃないかと目星をつけた。
いいんじゃない? ここ。
千曲川からの命名かな (^^♪
ああ、食券を買うのね。
おや~「特上生そば」と「駅そば」とある。特上が3分、駅そばは1分か。
流石、駅構内の食事処。
食べて何分で列車に飛び乗るかは大事な目安だものね。
値段は40円ほどの違いか、あとはどう違うんだろう。
ここに書いてあることが、特上生そばの特徴ということなら、駅そばはこの三つじゃないということ、、、と考えて良いのでしょうか。
面白いので特上生にしてみます。
どーん
特上生かき揚げ山菜そば
山菜+かき揚げって面白い。
美味しい~。駅ビルの立ち食い ( 椅子ありますけど ) そばだなんて、あなどれない。
麺は手打ちで本格的、おつゆは濃そうな色をしていますが、全然しょっぱくなくて、
これで十分。いや、これがいい。
ああ、いいとこ見つけたな。
いつもは車でぶーっと来るから、上田駅に来ることはなかったけど、
ちょこっと寄ってツルツルと食べに来たいです、また。
さて、さっき気になった場所をひとつだけ行ってみます。
駅前にチラッと見えた石垣。
気になる気持ち判るでしょう?
なになに?
源兵衛坂の由来
この道を上がった鷹匠町の細道の西側に、江戸時代の仙石氏の頃、馬柄左右衛門の屋敷があり、宝永三年の松平氏の時代には、この屋敷に並河源兵衛が住んでいました。
このことこら、屋敷から南の崖下へ下る坂を、並河源兵衛に因んで「源兵衛坂」と呼ぶようになりました。
信越線開通後、上田への近道として重宝がられ、たくさんの人々が行き来するようになりました。
なお並河の後は、浜口となり、十左エ門から隼太まで三代続き明治を迎えました。
(笑) って、並河源兵衛さんだとか、浜口十左衛門さんだとか、色々出てくるけど、わからん。
地元の人は、これでピンと来るほどの名士なんでしょうかね。帰ったら調べてみよう。
取りあえず、上田の街っていうのは、こんな風に高低差があるんです。
ブラタモリでも紹介していたけど、
上田城っていうのは、千曲川 がある南側は崖になっているから自然の要塞になる。
守りは川を利用した3方を固めればいい好立地にあるんですね。
上田駅は崖の下にある。
だから駅前にこんなお堀があるんです。
うっひっひ、タモリさん同様、地理好きにはたまらん高低差じゃ。
実は、登ってみて、真直ぐ行かないといけない所、左に折れてしまって、
元来た所に戻ってしまったのです。
なのでここは、次回リベンジをするということで。。。
取りあえず駅付近はこのくらいにして、別所線に乗ろう。
おお、至るところにこのポスター。
今年の上田は「真田丸」一色ですな。
上田駅は、JR東日本の北陸新幹線(長野経由)、しなの鉄道のしなの鉄道線、上田電鉄の別所線の3路線が乗り入れています。
JRもしなの鉄道も途中駅ですが、別所線は、別所温泉までのここが起点駅なんです。
いざ別所線でGO
見えてきました。ちく~ま~が~わ~。
別所線は、2両編成のワンマン列車で、主要駅以外は先頭車両の一番前の出入口しか開きません。
だから、先頭車両が混んでいる。
観光列車ではないから、写真をパチパチするのはちょっと恥ずかしい。
思い出は頭の中に。。。
あっ桜、あとでここ来よう。
下之郷駅に到着
最初にするのは時刻表を撮影しとくこと
こうしておけば、途中駅から何分のに乗るかに役立つでしょう?
下之郷駅は、大きい方の駅で駅員さんもいます。
だから出入口も全部開く。
駅前に立て看板がありました。
かつて、この上田盆地には、北は真田町(現上田市)、南は丸子町(現上田市)、西は青木村と縦横無尽に鉄路が張り巡らされ、その全長は57.2kmに及びました。
そうした鉄路も今や別所線11.6kmを残すのみとなっています。
こんな風に。
母たちが上田に来て、一番最初に住んでいたのが丸子という所。
ワタクシMarcoとしてはご縁を感じます
そこも今は、自家用車やバスでしか行かれないけれど、昔は便利だったんですね。
昭和28年の写真だそうです
当時は、チンチン電車・マッチ箱電車などの愛称で親しまれ、通勤・通学時にはとても混みあった。
でも昭和26年の豪雨で、二木峠のトンネルや依田川鉄橋など何か所も壊れてしまい、それをキッカケにバス運行に切り替わってしまった。
この別所線は温泉に行くルートとして需要があるので残った。
・・と、そんなことが書いてありました。
当時の西丸子線の路線跡は道路として何か所か残っているんだって。
停留所跡として残っているのは、富士山(ふじやま)・馬場(ばっぱ)・寿町(ことぶきちょう)。
メモメモ。今度行くぞ。
へぇ。
これが西丸子線、下之郷駅跡ですのか。
なんで下之郷に来たかというと、生島足島神社を再訪したかったから。
以前、ふと通りがかって参拝させていただいたんですが、
とても落ち着く、とても素敵な神社なんです。
前回は紅葉の盛りでした。
今回は、友達から母と義父にお守りを頂戴したので、そのお礼に御札をいただきに来ました。
「御柱大祭」って、あの大きな柱を皆で運んで、斜面の上からどどーんと下ろす、あのお祭ですか?
むむむ一日違い。
うーん見たい、延泊しようかな。
駅からの参道は、表の道路とひと味違う雰囲気で楽しい。
桜もまだ残っているし、、、、
太鼓橋を渡って参拝します
ひとつ言っておきますと、
この写真から数枚、左の方にモヤ~っと白くなっていますが、
お化けとか霊ではありませぬ。
レンズが汚れていたのです。 (何枚か撮った後気がつきました)
振り返って社務所を見る。
えっなに? きみたち
のどかですなぁ。お散歩ですか?
社務所の脇から4羽の鴨が出て来て、太鼓橋の所まで来たかと思ったら、
また戻っていきました。
巡回なのか?
お隣の長福寺さんの枝垂桜
ああ、素晴らしい。
それにしても、御柱大祭か、、、いいなあ、見たいなぁ。
まあね、今回は、そんなことしてる場合じゃないから諦めますが。。。
帰りは何駅か歩きますか。よし歩いてみましょう
続きます⇒
※ これは、2016年04月15日のお話です。