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村松友視 著『鎌倉のおばさん』を読了 鎌倉のおばさんとは、村松友視の祖父・村松梢風の愛人だった絹江のこと。 絹代は梢風死去、鎌倉の家で一人暮らしていたが、梢風の菩提寺である覚園寺先代未亡人宅で倒れて亡くなる。この物語は絹江が亡くなったというと…
先の小説にある「こんぱるいろ」から、色の名の由来を調べてみた。 金春色とは 金春色とは、正式には「新橋色」という日本の伝統色。 明治時代中期に、化学染料の輸入にともないできた新しい色で、当時それまであった植物や動物由来の天然染料とは一線を画す…
今日は、最新作『ビブリア古書堂』に出てきた鎌倉文庫に関連して話を始めます。 私が鎌倉好きなのには色々わけがありますがそのひとつには、 好きな作家が鎌倉にこぞってお住まいだったということも関係しています。 《作家》より《文士》という方がお似合い…
恒春園に再訪。 前回は10分遅く閉門してしまったが、 入園できたとしても邸内を見て回るには暗すぎただろう。 夕陽に輝くネコヤナギ 東京都指定史跡 徳冨蘆花旧宅 所在地 世田谷区粕谷一丁目二十番一号 指 定 昭和六十一年三月十日 徳冨蘆花は、肥後国葦北郡…
粕谷村 地蔵尊 17日に蘆花恒春園を訪問し、2日後の19日に再訪したお話です。 前回は家を出るのが遅く、園に着いたのが夕方になり、徳冨旧宅が見学出来なかったのでリベンジ。 前回と違うルートで、小田急線・千歳船橋からバスで蘆花恒春園 最寄りのバス停に…
徘徊を思い立ち家を出たのが遅かった。 あちこちひっかかりウロウロするのはいつものことで最終目的地になかなかたどり着けない。 まあ、人と待ち合わせをしているわけでもないのでいいけれど。 千歳通りから左にそれて住宅地を歩いていると、鳥の声が騒がし…
下北沢で美味しいラーメンを堪能して、井の頭線・京王線を乗り継いで芦花公園駅に到着。 芦花公園は、徳冨蘆花が晩年に居を構えた蘆花恒春園にちなんで付けられた名前。 この界隈はマンションにもアパートにも「芦花」と名のつくものが多い。 世田谷区で育っ…
図書館で何気に手にとった本『徳川さん宅ちの常識』がとても愉快だった。 この本を書かれた徳川さんは、宗家ではなく尾張徳川家の第21代当主。 堀田家から、第20代徳川義知氏の長女・三千子さんの婿養子として徳川家に入り、 名前も『堀田正祥』から『徳川義…
「日本及び日本人」の本に、乃木希典さんも寄稿していたので興味深く読んだ。 さわりだけ転載します。 吉田松陰先生の薫化 乃木希典 余は直接松陰先生より、ご教授を受けし事もなく、又 御面会する機会にも接しなかったため、先生の御行動その他においては、…
吉田松陰 自由研究 ( たぶんこれが最後かと思う ほんとか?( ´艸`) ) 一坂太郎著『吉田松陰とその家族~兄を信じた妹たち』を読了。 生前の松陰に一番似ているという石刻の写真が掲載されていると知り借りて来た本。 タイトルに「兄を信じた妹たち」とある…
今年最後に読了した本は『静寂の声』 乃木希典夫妻の生涯を描いたもので、吉田松陰つながりで読んだ。 松陰神社の松下村塾の模造建築物の脇にあった石標に 「玉木正之」のことが書かれていたのがキッカケ。 石標を寄贈したのは玉木正之氏の孫娘さんらしく、 …
杉敏三郎は吉田松陰の実弟である。 姓が違うのは、松陰が二男で吉田家に養子に出たからだが、兄弟は一緒に暮らしていた。 私が敏三郎に興味を抱いたのは、彼の顔立ちが吉田松陰に最も似ているといわれていたからだ。 敏三郎は、生まれた時から耳が聞こえぬ …
これは2023年12月26日の記事です。 今年最後の自由研究。 吉田松陰は、どんな顔だったのだろうか 松陰神社に所蔵されている大熊氏廣さんの石膏彫刻が、松陰さんに似ていると聞き、探していたところ、一坂太郎著『吉田松陰とその家族』に写真が掲載されている…
名所名跡の由緒書や解説文を読むと、知らない世界が広がり不思議なことに気づかされるから面白い。 特に私は「なんとかさんが、どうしたこうした」という話が好物で、そういうものを読むと、人物像や背景にあるものを探りたくなる。 今回は長いこと吉良氏の…
吉良家のことを調べていると、泥沼にズブズブつかってしまっている。 つくづく専門家 (大先生) の著書を鵜呑みにはできないこともわかった。 例えば、吉良氏朝うじともの周囲の問題 吉良氏朝は、前代・頼康の実子ではなく、今川氏から養子として吉良家に迎え…
前回の記事に対して、たまうきさんから以下のメッセージを頂戴した。 wikiの豪徳寺の項には弘徳院は政忠の伯母、頼高の「娘」とあります。だとすると弘徳院と政忠は兄弟?に。これは頼高の「姉」(「伯母」なので)の間違い? で、それはいいとして、何故、…
吉良氏のことをつらつらつら考えていて・・・ 色んな史料を取り寄せては通覧する日々が続いている。 史蹟などの由緒書きを見ると、それに関係した人物に興味がむいてしまうので、 今回は、豪徳寺の前身-弘徳院を作った吉良政忠に始まり、吉良氏に熱中です。 …
世田谷城址公園から少し迷ったけれど、やっとたどりついた。 ここが勝光院の入り口か、な。 いやいや、門前はこの道のはるか先のようだ。 勝光院 閑静な住宅地の中にゆったりとのびる参道、静謐な空間。 吉良氏の墓所に伺う前に、まずお寺の方を。 世田谷区…
昨日、watto さんから、こんなメッセージを頂戴した。 watto さん ありがとうございます。 早速、番組を見たら懐かしい町と、先月出かけた町が紹介されていた。 懐かしい町とは、20代前半に住んでいた桜新町、 そして先月出かけた町とは、世田谷上町界隈のこ…
世田谷八幡宮を出て、最寄りの宮坂から世田谷線に乗ろう。 ホームに貼られているマップ 向いに古い世田谷線の電車が置いてある。今日は時間がないのでスルー まだかなまだかな。 この待っている時間が愉しい 松陰神社駅で下車し、5分ほど歩いたところに神社…
豪徳寺を満喫し、井伊家のお墓も拝見した後、近所の世田谷八幡宮に移動。 世田谷八幡宮 世田谷八幡宮は、寛治5年 ( 1091年 ) 源義家が奥州からの帰途、この世田谷の地に寄り、戦勝を感謝し創建されたと伝えられています。 天文15年 ( 1546年 ) 8月に、世田谷…
豪徳寺で気になったものが二つあった。 青銅の八角燈篭 最初の灯篭は《八角燈篭》というそうで、豪徳寺を紹介するネットであまり触れている人はいなかったが、よく似ているものが東大寺にあることがわかった。 ※ 東大寺さんのは、国宝らしい。 ぐるりとひと…
たまうきさんからの情報で気になったので調べたことがある。 たまうきさんのコメント 亀姫(掃雲院)と亀姫生母(春光院)は鉄眼禅師に帰依し、1671年に本所牛島に「海蔵庵」を開基、1680年に弟 直澄の養子直興の側室と娘により青山に移転し「青山海蔵寺」と…
平日の豪徳寺に行って驚いたのは、外国人がとても多いことだった。 ひところは中国の旅行者が多かったが、最近はアメリカや中南米の方が多い。 京都や浅草ではなく、世田谷のこんなお寺さんをどこで知るのだろう。 Instagram? 豪徳寺のことを書き始めた時に…
豪徳寺には説明板がとても多い。 下の説明板には、井伊直孝の娘と側室 ( 娘の母 ) がこの寺を井伊家の菩提寺に相応しいように大造したことが書かれている。 大谿山だいけいざん豪徳寺 ( 曹洞宗 ) 豪徳寺は、世田谷城主 吉良政忠が文明12年 ( 1480 ) に亡くな…
豪徳寺、山門で止まってしまったが中に入ろう。 境内中央に案内図があったので全体像を把握。 山門に近いところから、まず ⑩ の地蔵堂 新しい建物だと思ったら、令和2年 ( 2020年 ) 9月に落慶されたものだった。 扉が閉まっていてお地蔵様は拝見できなかった…
昨日はフランス関連だったが、今日は昨日散歩した世田谷の話をつらつらと。 世田谷生まれ世田谷育ちで、世田谷城がある界隈はよく車で通る道だったが、 ちゃんと訪れることなく過ごしてきた。 そんな私が昨日行ったのは、豪徳寺・松陰神社など。 豪徳寺は安…
コレット「さすらいの女」の挿絵画家について調べだしたものの、日本のネットでは全くヒットしない。 《1924年刊行》《ソシエテ・デュ・リーブル・ダール版》《画家はミシュ Mich》 これだけではヒントが少な過ぎる。 フランスのサイトを調べてみることにし…
前々回の「鎌倉 御谷のトンネルのこと」の記事に対して、 たまうきさんが珍しい写真をご紹介くださった。 トンネル付近の航空写真を見ていて偶然見つけられたようなのだが、 写真 ( 左の古い方 ) に白く光る部分がある。 たまうきさんから「池のようにも見え…
昨日の鎌倉 御谷のトンネルのことについて、たまうきさんからコメントを頂戴した。 私もそう思いまして。 それでGoogleで調べてみると、 位置的には西御門側の高台の宅地につながっているようにみえる。 地図を右回転して、西御門を下、御谷を上にする。 点…