Garadanikki

日々のことつれづれ Marcoのがらくた日記

芥川龍之介の鼻

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禪智内供の鼻と云へば、池の尾でも知らない者はない。長さは五六寸あって、上唇の上から顎の下まで下がってゐる。形は元も先も同じやうに太い。云はゞ、細長い腸詰めのやうな物が、ぶらりと顔のまん中からぶら下がってゐるのである。

で始まる『鼻』は、大正5年(1916)2月15日発行の『新思潮』創刊号に「芥川龍之介」の署名で掲載されました。


 
第四次「新思潮」創刊のメンバー

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左から久米正雄、松岡譲、芥川龍之介、成瀬正一
※ 京都帝国大学に進学した菊池寛は写っていない。

 

【漱石の励まし】

大正4年(1915)11月、芥川は意欲作『羅生門』を「帝国文学」に発表しますが不評で自信を失いかけていたそうです。一方、久米正雄は戯曲『牛乳屋の兄弟』が演劇人の目に留まり、一躍新進の戯曲化として注目されるようになっていました。

そんな中、発表した『鼻』で、芥川は夏目漱石から以下のような手紙を貰います。

意気消沈していた芥川は漱石の激賞により、作家として生きる決心が固まりました。

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夏目漱石から芥川龍之介あて書簡(部分)
大正5(1916)2月19日 日本近代文学館蔵

 

背景 新思潮のあなたのものと久米君のものと成瀬君のものを読んで見ました
あなたのものは大変面白いと思ひます落ち着きがあって巫山戯(ふざけ)てゐなくつて
自然其儘の可笑味がおつとり出てゐる所に上品な趣があります夫(そ)れから材料が非常に新しいのが眼につきます文章が要領を得て能(よ)く整つてゐます敬服しました、ああいうものわ是から二三十並べて御覧なさい文壇で類のない作家になれます(後略)
 
【それぞれの思い】

久米正雄、『「鼻」と芥川龍之介』

「僕等の作品を黙って活字にして(夏目)先生に送ったら見てくれて、我々の価値を知ってくれるだらう。従って世間でも僕らの価値を分ってくれる者は分ってくれるだらう」


芥川龍之介、大正5年3月24日の恒藤恭宛の書簡

「「鼻」の曲折がnaturalでないと言う非難は当たっている。それは綿抜瓢一郎も指摘していた。重々尤に思っている。それから夏目先生が大変鼻をほめて、わざわざ手紙をくれた。大変恐縮した。成瀬は「夏目さんがあれをそんなにほめるかなあ」と言って不思議がっている。あれをほめて以来成瀬の眼には夏目先生が前よりもえらくなく見えるらしい。」


芥川龍之介、「漱石先生のお褒めの手紙」より

「同人は、久米、菊池、松岡、成瀬の諸君と僕の五人だけだった。その時、初号に『鼻』と云ふ小説を書いた、さうしたら夏目先生が大変手紙で褒めて呉れた、褒められて見ると私の小説も中々うまいやうな気がしだした。第一僕は、それまでには何でも楽に書けたと云ふ事はない、おまけに書きあがったものを見ると、普通の雑誌に出る小説とはあまり似ていないやうだから、是が小説で通るかどうか、甚だ自信がなかったからである。


久米正雄、「風と月と」より

「僕、昨日、夏目先生から、突然手紙を頂いたんでね。-かう云ふ手紙なんだが、一つ、君にも読んで貰ひたいんだ。」(略)私は、何かハッと息詰る思ひで、それを受取った。-さう云へば何だか、彼の話つて云ふのも、ひょっとするとそんな事ではないかと、内心、半ば羨み、半ば怖れて考へてゐたやうな気がした。矢つ張り、さうだったか!矢つ張り芥川に!夏目先生が直接、手紙を。…
 私は、突如として内心に沸き上つた、羨望と嫉妬に手が震えるのをやつと堪へ乍ら、中の手紙を取り出した。」
 
【ともに作家を目指して】

「新思潮」の同人たちは、いずれ劣らず文学に強い志をもち、競い合うように作品を発表していきました。特に夏目漱石を敬愛し門下生だった芥川、久米、松岡は、世間の評価とは別に、漱石からの手紙に一騎一憂しました。

目をかけられた者は、臆面もなく喜び、自慢します。他の者は、羨望と嫉妬を隠しませんでした。

なんだかここまで純粋な様子を見ると、とても微笑ましいです。