Garadanikki

日々のことつれづれ Marcoのがらくた日記

八丁堀~稲荷橋について

10月17日に新川を散歩した時、目にとまった「稲荷橋」の石標、

調べてみたら凄い所だったとわかりました。

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まず、石標といいましたが正しくは橋標というようです。

 

そして。

ここに本当に橋があったんです、しかも凄い橋が。

古地図を見てください。

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江戸切繪圖 : 俚俗 : 八丁堀・霊岸島・箱崎

http://tois.nichibun.ac.jp/chizu/images/2155422-14.html

 

赤丸で囲ってあるところ「稲荷橋」とあるでしょう? あったんです橋が。

しかもここは、あの「八丁堀」だったんです。時代劇を見てたら何回も出て来る、あの八丁堀。

 

先日お話した「南高橋」が架かっていた川は亀島川と言いますが、

その亀島川から京橋川 結節点までの距離が八丁 ( 約870m ) あったので八丁堀といったんですと。

稲荷橋は八丁堀の第1橋だったんです。

 

そして、あのね。八丁堀はもう無いって知っていました?

・・・知らなんだ あたしゃ。

八丁堀、八丁堀というけれど、明治期には「桜川」と名前を変えさせられて、しかも埋め立てられちゃった。

 

「いいのか日本」と思ってしまいました。

歴史的な史跡であろう八丁堀の名前を変えたあげくに埋め立てちまうなんて。

 

先日、「稲荷橋」の写真の後ろにあったベージュの建物の屋上公園を歩きましたが、

まさにあそこが八丁堀、私は八丁堀の上を歩いていたわけです。

ベージュの建物はポンプ場と書いてありましたが、八丁堀の水を吸い上げているのかしら。

 

別の地図を見てみましょう。

これは現在の地図 goo地図

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ここに江戸時代の地図を比べてみると、、、

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まだ「南高橋」という橋は架かってないんですね。

 

あのポンプ場の屋上にあった公園が、縦長だったのは川だったからだったんです。

通りを隔てた次の敷地も、八丁堀 ( 桜川 ) があった場所だけ民間のビルではなく、

公共の公園や幼稚園になっているんです。下地図をご参照ください。

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赤い線で囲った場所、亀島川から京橋JCTまでが八丁堀だったところ。

縦長の敷地でございましょう? 

でも大した建物は建ってない。埋め立てる必要、あったのかなぁ。

 

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古地図を見ていたらもう一つ「恵比寿稲荷」もありました。

あの「徳船稲荷」の案内板にあった神社です。

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明暦3年の大火から大正11年まで安置されていた恵比寿稲荷というのが「新高橋」の北詰にあったのを後に、矢印の通り今の場所に移されたわけです。

 

今まで古地図と現在の地図を見比べる時に、私は寺社仏閣や川や橋を目印にしてきました。

ところが今回はそういう場所は目印にならないこともあるとわかりました。

霊巌寺は新川から白河にお引越し、

八丁堀は桜川と名を変えたあげく埋立られる、

橋は燃えますものね、昔はなかったり、位置が変わることもあるってことです。

これだから古地図探訪は面白い

今回稲荷橋を調べるにあたって、沢山の方々のサイトを参考にさせていただきました。

その中でも素晴らしいと感動したのが「Google Earthで街並散歩 ( 江戸編 ) 」さん。

稲荷橋跡 | Google Earthで街並散歩(江戸編)

Google mapsやWikipedia、自治体情報、猫の足あとや国立国会図書館デジタルコレクションから

所蔵地図データベースも網羅して調べ上げていらっしゃる。

圧巻は、早稲田大学のアーカイブ資料から「江戸名所図会」まで引用されている。

http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/bunko10/bunko10_06556/bunko10_06556_0002/bunko10_06556_0002_p0033.jpg

http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/bunko10/bunko10_06556/bunko10_06556_0002/bunko10_06556_0002_p0033.jpg

昔のガイドブックですね、風土記か、いやぁ実に興味深い。

特にこのページには、恵比寿前稲荷祠についての記述もあります。

なになに。

同所東湊町の南高橋の北詰 人家 此の間にあり

別當は天台宗 普門院と号す

昔は向井候のやしき○○○○海賊橋より引移られし頃

宮居を構えの外に出されしを此の所をえびす宮前 又は 蛭子前と唱え○○○古老云く昔此の地より鉄砲洲 築地へむけて一圓の海なりし頃はここ彼処 出洲の○あり

此の辺りの洲は芝海老といえるもの多く集まる○○漁人字はえびの洲と唱え

その洲崎にありし稲荷の宮○○○をもって海老洲の宮とよびあらわせところ

後世誤って蛭子神と混し又蛭子はてんしいよいよ附合せしなりとぞこの説もありなんよし

 

読めねーーーっ

いい加減ですが、大体の感じはこんなことかしら。<m(__)m>

 

名所名跡の案内板は、こういうところを元にして解説しているんですね。

読み込むほどに面白いが、、、時間はどんなにあっても足りませぬ。