老松通りを西天満に向かって歩いていた時、
十字路の右の向うに鬱蒼とした木が見つけまして。。。
曲がってみたところにあったのが長池昆布さんだったんです。
そして、その鬱蒼とした木々とはここのこと。
何やら看板がある。
旧町名継承碑『真砂町』
当町は明治初頭、大阪三郷天満組の天満船大工街の全域と天満十一丁目下半の一部および西成郡曽根崎村の一部であったが、明治五年三月曽根崎村の一部を除く両町をもって真砂町となった。
同六年十一月北区に、同二十二年四月市制の施行にともない大阪市北区真砂町となった。
昭和十九年四月曽根崎新地一丁目の一部が真砂町に編入された。同五十三年二月住居表示の実施にともない真砂町は西天満二・四丁目の各一部となった。
平成七年三月 大阪北区役所
ここは「真砂町」という町名だった。
大阪も東京同様、昔の町名がどんどんなくなってしまったんですね。
お役所的・流通的には「何丁目何番地」という方が便利なのは理解できます。
でもやっぱり昔の町名もいいな。
下 ⤵ の額縁屋さんのビルは「真砂ビル」という名前でした。
素敵、こうして旧町名がビル名として残しているのは。
⤴ 現大阪地方裁判所が、明治20年の地図では「懲役所」であったというのは、意味深。
鬱蒼とした木に囲まれた大きな敷地、正面に回ってみると、大阪地方裁判所でした。
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そしてその前は川。
ここでも東京と同じ現象が。
♬ お江戸日本橋~ とうたわれた歴史的な場所である「日本橋」の上は高速道路になってます。
大阪もしかり。
高速道路を建設しようにもなかなか土地がない。
そうなると川の上しかないんですね、やっぱり。
高速道路の下を左に見ると、赤と緑の気になる建造物が見えます。
手前のウォーターフロントは、お洒落なカフェかな?
右に目を転じると、あれが大阪市役所みたいです。
この立派な橋は「水晶橋」というのか。
橋を渡ったところ、実はまだ川の中州のようで、ここが歌でも有名な中之島。
因みに、前川清とクールファイブが歌った「中の島ブルース」というのは、
一番が札幌の中の島、二番が大阪の中之島、三番が長崎の中の島をうたったものでした。
http://j-lyric.net/artist/a00000f/l01f6ac.html
あらぁ、これ、百日紅じゃないかしら。
花だけみればそういう感じだけど、こんなに低いということは、、、違うのかな。
中之島は、素敵な整備された場所なんですね。
大川に挟まれた中洲になるようですが、、、、
(´∀`*) フフ 楽しい。
専用の椅子に座って草取り。よく考えたものです。
立派な建物だなあ、と思ったら、、、、
図書館ですってよ、大阪図書館。
凄いなぁ。
入ってみたい衝動を必死でこらえ、歩きます。
さっき水晶橋の北詰から見えたのがここですね、大阪市中央公会堂ですって。
凄いなぁ。
立派に現役なんだ。
この界隈の建造物、図書館を含め、今度ゆっくり探訪したいです。
中之島から更に橋を渡ります。
この橋は「栴檀木橋 ( せんだんのきばし ) 」というようです。
欄干の模様は栴檀の花がモチーフ。
写真の右にチラッと写っているのが、栴檀の木だったようです。
良い風景だわ。
栴檀木橋のたもと ( 南詰 ) に石碑がありました。
橋の明治・大正・昭和の写真がありました。
⤴ 明治20年の地図には、水晶橋はありませんね。
栴檀木橋を渡り、東にワンブロック行くと大阪取引所がありました。
大きな銅像だなぁ。
下に移っている人よりも大きい。
五代友厚、、、、
ああ「あさが来た」にも登場していたあの人ですね。
ドラマで五代さんが死んでしまった時には「五代ロス」っていう現象が起きたくらいに人気になりましたが、ディーンフジオカさんでしたよね。
実際の五代さんは独身ではなく、あさともそんな深い関りがあったとワケではないと聞きました。
大阪の経済界に大きな貢献をした方なのだから、
このような銅像が作られるほど親しまれる方だったのですね。
五代友厚さん、興味深い。ちょっと調べてみようかな。
つづく