千駄木の島薗邸を見学に出かけます。
オヤコフン (id:massneko) さんの記事を見て行きたくなりましたの。
久しぶりの千駄木、団子坂の旧坂を上ります。
この先の左に森鴎外記念館がありますが、島薗邸は右らしい。
急な坂だなあ、高低差はなんと10m。
右折したこの道も、まだちょっと坂。
〔くらしのみち〕面白い蛇行してます。
「この道は、歩行者優先です。スピード抑制のため、道路がだ行しています」だって。
小学校や公園の近くで見たことあるけれど、何があるのか、特別な道なんですかねぇ。
結構な人通り
歩行者がのんびり歩けている気がする。
これも蛇行のお陰なのかしら。
あそこ か >>>
ありました 島薗邸。
第一・第三土曜日に公開しているらしい。
建物好きにとって、玄関を入るこの瞬間のワクワク感はたまらない。
石畳から煉瓦の階段をあがりポーチへと誘われる、、、
漆喰に白ペンキの玄関柱、明りとりの窓の意匠に目をひかれます。
かなり防犯万全の窓ですね。白いペンキの窓枠に、更に鉄柵。
でも、どこか可愛らしいのが不思議です。くどくてゴツくなりそうなのに。。。
ごめんくださーい。
玄関ホールで入館料を払い、中に入ります。
係の人がついて説明してくださるようです。
まず、その方と一緒に一巡し、気になったところをもう一度見て回ることにしよう。
さっきの窓ですが、
一か所、普通のガラスになっていました。
外からはわからなかったけど、のぞき窓になっている。
玄関ホールの右に書斎がありました。
マホガニーでしょうか、素晴らしい本棚に医療関係の全集がズラリ。
本の前には沢山の写真も飾られている。
この家の主は、島薗順雄 (しまぞの のりお) さん。( 以下敬称略 )
東大出身の医学者で生化学を専門としていました。
家は、順雄が結婚する昭和7年に父親の順次郎が建てました。
長男の結婚で大喜びだったのでしょう。
島薗家は代々和歌山の医者の家系で、
順雄の父、順次郎もまた帝国大学 ( 東大 ) 出身の医学者。
脚気とビタミン不足との関係を証明したことで知られています。
設計は、矢部又吉氏。
主に銀行建築を手がけた建築家で、住宅建築で残存しているのは島薗邸だけだそうです。
創建当初の模型
当初は平屋で、昭和16年に洋館部分に2階が増築されました。
島薗家には設計段階の資料やスケッチが多く残っているそうです。
その中には、施主である順雄が描いたと推定されるスケッチもあり、
それをもとに矢部又吉建築事務所で基本設計図面が作成されたのではないかと言われています。
スケッチの中には、書斎の本棚のものもありました。
家づくりに並々ならぬ思いを寄せた順雄さんにとって、
書斎の本棚は、特別だったのかも知れません。
全集の医学書がピタッと収まっているのを見て、そう感じました。
書斎から一段下りたところは、居間のサブスペースのようになっています。
創建当時の模型を見ると、サンルームでした。
窓は二重
サンルームの角度から見る庭は、なんとなく洋風に見える。
サンルームから見た居間
シンプルで上質な家具は、当時のままだそうです。
ピアノも板目も素晴らしい。これもドイツ製なのかしら。
どこかで見たような気がする。
梅原龍三郎さんのようにも思えましたが、
絵に銘はなく、誰の作品かわからないそうです。
ここにも造り付けの棚、順雄さんが考えたのかな?
この脇の部分、
引き戸になっていて、配膳に使われたようです。
廊下側から見ると、電話室のスペースに、
さきほどの引き戸があって、そこを開けると居間がのぞけます。
大きさを考えると茶菓の出入れくらいでしょう。
女中さんがこちらから差し入れて、奥様があちらで受け取ったのかな?
そうそう。
もうひとつ面白い仕掛けがありました。
これなんですけど。
呼出盤とでもいいますか、どの部屋で呼んでいるかが一目瞭然。
ファミレスの仕組みここにありです。
大きなお屋敷だと、どこで呼んでいるかわからないということもあるのでしょう。
各室にあるボタンを押すと、この呼出盤に表示される。
右上に「八畳」とありますね、そこの表示が赤から白に変わったら、
その部屋で呼んでいるということ。女中さんは八畳に用向きを聞きに走る w
島薗家には、非公開部分もあります。( グレーの部分が非公開 )
残念ながら台所は見られませんでした。
左の部屋も立入禁止部分。
見られる部屋だけでも広いのに、それでも半分なんだから、どんだけ広いのか。
廊下の先に和室がありました。
一時期、和室は人に貸していたそうです。
長い廊下の先、縁側から和室に入ると、
六畳に二間の押し入れ、炉も切れています。
隣は、、
八畳。
あっ、さっきの呼出盤の八畳って、ここのことかな?
「人に貸していた」ということですが、そう出来る設計の秘密がある。
普通なら、玄関から廊下を通り縁側から入る、今のコースしかない。
でも、この家は違う。
間取り図を見ると、八畳のふすまの奥に予備室があって、勝手口がついています。
トイレは流石に共有でしょうが、プライバシーが守れる造りです。
「サンルームから見る庭は洋風に見える」と思いましたが、
角度を変えると、和庭のたたずまいだから不思議。
戦時中は、ここを畑にしていたんですって。
敷石は、のちに置いたのかな。。。
庭が和風に見えるのは、和風の桟から見るからかも知れません。
左が古い板、右は寄木板。
元々は、寄木の部分は畳だったのでしょう。
一番好きな眺めはここ。
洋館から和室にぬける廊下から見える眺めです。
左が和室の軒。 右は洋館の壁にレリーフが見えます。
(笑)
ここのサッシを開けていただくに当たり、係の人と話が食い違っちゃったんです。
サッシ一枚といえ、勝手に開け閉めしてはいけないと思い、係の人に聞いたんです。
ガラス越しにも写真は撮れるけど、網戸もはまっていたもので。。。
私は、網戸を反対側に引いてもらい、出来たらガラス戸をあけて写真を撮りたかったの。
だったら、最初からこういえば良かった。
「このサッシのガラスと網戸を開けてもいいですか?」と。
でも言葉をはしょった。
サッシを指さして、
「あの洋館の壁を撮りたいんですけど、ココ開けてもいいですか?」と。
彼女は
「壁のレリーフなら、玄関横にも同じものがあります」と言うんです。
「でも、出来たらこの角度の写真が撮りたいんです。」
すると彼女は居間の方にまわり、ロールカーテンをスルスル開けました。
「? ? ?」
「これでいいですかね。
古い建物だもので保存の問題で、窓は開けられないんです。
窓を開けたてするとペンキが剥がれてしまうので。」
「・・・・? ペンキ? サッシ・・・ぺん キ 」
やっとわかりました、話が食い違っていたのだと。
彼女は私が、あの洋館の、白いペンキの窓を開けた写真が撮りたいのだと思ったらしい。
私は、このサッシの網戸越しだと撮れないから目の前のこのサッシを開けてもいいか、という意味だった。
「私の言葉が足りなかったですね、ゴメンナサイ」
「いえいえ、私の早とちり。どうぞ、どうぞ。開けてください」
2人で大笑い。
こんなに滞在時間が長い客 ( ? ) も珍しいかも。。
1階を 2~3回巡し、やっと2階に上がる。
階段も採光がたっぷりで気持ちがいい。
2階部分の設計は、違う方だそうです。( お名前 失念 )
説明してくださる方も、1階と2階とは違う人でした。
2階の増築部分は、順雄の妹弟の為らしい。
新築の7年後、昭和12年に父 順次郎が亡くなり、順雄夫婦は妹や弟の親代わりになりました。
千駄木一丁目の家を処分し、この家の2階を増築したのはそれが理由です。
独身だった弟 平雄と安雄が引っ越してきました。
2階は3部屋あります。( 1部屋は非公開 )
こちらが和室部分。
和室は、洋間から一段高い位置にあります。
和室の反対には、低い丈の椅子があって、
和室の高さと 洋間の椅子の高さは、目線が同じになるように計算されてるんですって。
窓から見える景色は、
今は家しか見えません。
でも、順雄さんは
「戦争でこの辺りが焼けたとき、品川沖が本当に見えました」と言われたそうです。
それほどの高台だったとは。。。
そうそう、こんなことを思い出した。
ここから南、団子坂上の反対側に森鴎外の自邸 ( 現記念館 ) があるのですが、
記念館の看板にも、こう書かれてました。
鴎外は、1892 ( 明治25 ) 年1月から、この地で暮らしていました。
2階から品川沖の白帆がのぞめ、鴎外により観潮楼と名づけられました。
島薗家も鴎外の観潮楼も、本郷台地の中腹 ( 海抜20m ) に位置します。
坂下の不忍通りの標高 ( 海抜10m ) と、本郷台地のこの一帯との高低差を考えても、
見晴らしの良い立地であることに間違いはない。
2階の彼女に、観潮楼のそんな話をして一気に盛り上がる。
困ったわ、この人、趣味嗜好がバッチリなんだもの。
幸い、他にお客さんもなしで色々な話が出来ました。
この辺の地形や歴史の話。
江戸東京たてもの園には申請してももう移築は無理だという話。
彼女は、私の家の近所にある歴史的旧館の取り壊しにも立ち会ったそうです。
島薗邸のことでも興味深い話を聞きました。
このマントルピース、薪をくべるのではなく、ガスなんですって。
まだガスが珍しい時代なのに、この地域にガスがいち早く普及したのは、
ガス会社の社長宅があったからなんですと。
通りの住人は、その恩恵にあずかったのですね。
マントルピースの上の ステンドグラスは、
軍艦に飛行機です。
当時 ( 昭和16年 ) の世相をよく現しています。
もうひとつ彼女が、こんな話をしてくれました。
ここなんですが、
洋間の壁に掛け軸がさがっています。
洋間なので、床の間でもない場所です。
彼女が言いました。
「洋間に掛け軸だなんて、しかもマントルピースの隣だし、ちぐはぐですよね。
でも日常って、こんなものじゃないかしら。
飾りたいと思うところに飾る。あれば便利だと思うところに物を配置する。
建物の保全のお手伝いをしていると、由緒ある建造物や、正式な意匠に触れる機会もあります。
でも私は、こういう普段使いの一面を、建物にみるのが楽しみなんです」
わかります
モデルルームのようなお部屋より、記念館として整ったお部屋より、
私も、こういうお宅の探訪が大好きです。
だから旧邸の一般公開に魅力を感じてしまう。
2階の彼女さん、いろいろなお話ありがとうございました。
とても楽しい時間でした(^^♪
玄関を出る時、自然と「おじゃましました」と口に出るのは個人のお宅だからかな。
素敵なタイルにさようなら
ちょっと気味の悪い置物にも、バイビー♪
使い込まれた椅子には、また寄せてもらいますね。と。。。
建物全体に、先住者の息遣いを感じます。
玄関を入る時のワクワク感もいいけれど、
帰りは、素敵な空間を満喫した幸福感でいっぱいになる。
季節が違うと、また別の表情を見せてくれるでしょう。
島薗さんのおうち、またお邪魔したい一軒になりました。
おまけ
手入れの行き届いた脇道に、ひっそりツワブキ
玄関扉とめの砂利石
用途不明の敷石
こちらにも。。。(笑)