Garadanikki

日々のことつれづれ Marcoのがらくた日記

『雪の断章』著:佐々木丸美

 「ビブリア古書堂の事件手帖~扉子と不思議な客人たち」の第三話を読んで、

佐々木丸美 著『雪の断章』を読んでみたくなりました。

第三話の主人公は小菅奈緒で、彼女が師と仰ぐホームレスのせどり屋 志田さんが、

皆に薦めている本というのが『雪の断章』でした。

「面白いって感じるのは同じでも、自分一人で読んでいたい本と、

 他人に薦めたくなる本の二種類があると思うんだよな」

奈緒は、水面に落ちた橋の影を見つめながらしんみり話す志田を覚えていた。

なるほど。

他人に薦めたくなる本か、そういうのがあるのはわかります。

さしずめ私は幸田文の『台所のおと』かな、なんて思っていたら、

志田が薦める『雪の断章』に興味をひかれたワケなのです。

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映画で観た『雪の断章~情熱』

雪の断章は、1985年に相米慎二監督によって映画化されています。

当時 縁あってその撮影現場を見学させていただき、

相米監督が大量の雪のセットの中、竹刀を持ってウロウロされていたのを思い出しました。

主演はデビューまもない斉藤由貴、ヒロインの夏樹伊織 ( 原作は飛鳥 ) を育てる広瀬雄一 ( 裕也 ) を榎木孝明、その友達-津島大介 ( 史郎 ) に世良公則が抜擢されていました。

 

当時の映画はDVD化されていませんが、古い動画がアップされていました。 

【あらすじ】

北海道の孤児院にいた倉折飛鳥(くらおりあすかが養女として引き取られた本岡家が嫌な家で、

飛鳥は、同い年の奈津子という娘をはじめ、家族全員からこき使われて育ちます。

養女というより、金のかからない女中として引き取られたんです。

本岡家の虐げに耐えかねて逃げ出した彼女を助けたのが滝杷裕也(たきえひろや)でした。

裕也は周囲の反対を押し切って飛鳥を手元に引き取り育てます。

裕也の友人-近端史郎(おうはたしろう)、家政婦のトキらに見守られる中で、頑なな飛鳥の心は徐々に変化を遂げますが、ある毒殺事件を切っ掛けに人々の想いは変化をしていきます。

というのがこの物語の流れ。

北海道を舞台にしたロマンチックな世界にミステリーの要素が込められた作品です。

 

 

昔はよくありました孤児のお話。『あしながおじさん』『レ・ミゼラブル』『赤毛のアン』などなど。

少女はこういう話に弱いもの、自分に可哀そうなヒロインにだぶらせて、、、

そして、辛い境遇から救ってくれるのは素敵なおじさまだったりするのがお約束。

ヒールなお金持ちの同級生がいたり、山口百恵の「赤いシリーズ」も、その路線でした。

 

 

で。

相米監督が作った映画の方は、別段違和感なく観たのですが、

原作は、ざらついた気分が芽生えました。

 

主人公の飛鳥が可愛くないんだもん

こんなことを言ったら、佐々木丸美ファン、雪の断章ファンに激怒されてしまうでしょうが、

私はどうしても、飛鳥が可愛らしいとか健気だとか思えなかったのです。

カッコえー男の人に引き取られ、みんなにチヤホヤ甘やかされていい気になってる

困った女の子にしか見えかったんです。

 

確かに飛鳥は、孤児院から本岡家に養女として引き取られ悲惨な生活を送りました。

学校には行かせてはもらえても、帰れば夜遅くまで家事をさせられ、同い年のお嬢様には下女のようにこき使われる。歯を食いしばって泣き言もいわずに堪えれば「それが可愛くないのよ」と先輩女中やお嬢様からまた虐められ、飛鳥はとうとう本岡家を飛び出します。

札幌の、雪の中をさまよう7歳の飛鳥を救ってくれたのが滝杷裕也(たきえひろや)でした。

裕也は東京の大学を卒業した後、札幌で働き始めた青年、多分24~5歳でしょう。

その彼が、18も下の孤児を引取って育てるという話なんです。

 

 

物語は、飛鳥の語りで進んでいきます。

飛鳥の独白は、私には、頑固でわがままで自己中心的な物言いに感じられました。

確かに苦労してきただろうけれど、裕也の家では裕也をはじめ、友人の近端史郎(おうはたしろう)もアパートの管理人のおじさんまで優しいのを通り越して《甘やかしている》としか思えなかった。

 

唯一 家政婦のトキさんだけは、ダメなものはダメと厳しく接します。

裕也や史郎に対して「甘やかしてはいけません」と言います。

トキさんは、いずれ結婚する裕也の為にも、飛鳥はいつまでもここにいてはいけないと言い切ります。

そしてどこに養女に行っても可愛がられるように、好き嫌いのない、素直で可愛らしい女の子になるように教育しようとします。

 

読み進む内に私は、だんだんトキさんに感情移入していきました。

トキさんの年齢は50歳。大人の目から見たら30にもならない独身の男性が、小さい女の子を引取って育てることなどおかしいと思って当然です。

 

裕也も初めは、飛鳥を手放すことを考えていました。

孤児院に返すか、養女の先を見つけるなど働いたのですが、養女の先はどこも本岡家と似たようなもので『金のかからない働き手』としか見ていなかった。

「どんな家へやったって苦労するさ、手放してから心配するよりもそばに置いた方がいいと思っただけだ」これが裕也の結論でした。

 

ところがトキさんは初心を貫きます。

飛鳥は次第にトキさんの厳しさに反感を覚えていきます。

 

下記は、トキさんと初めて衝突する場面です。

飛鳥の前でトキさんが裕也にこう言い出します。

語りは飛鳥、飛鳥目線のシーンです。

「裕也さん、トキが言いたいのは、そのような通りいっぺんのお小言くらいでは飛鳥ちゃんを直せないということです。大人になるにつれて本当にかげ日なたのある子になりました。裕也さんにはそうしていい子でおさまっていますけれど私のことなど気にはとめない素振りが目立って来ました。反抗心を見せることもありました。何が気に入らないものか」

 

 毒が、トキさんの毒の声が私を制した。

恥ずかしくないのだろうか、大人のくせに告げ口なんか!

 

「まあ、その目つきは何ですか、はっきり裕也さんの前で申し開きをしてごらんなさい。子供は無邪気に言い分を主張するものですよ。黙り込んでウジウジするような子に育てた覚えはありません。それに」

 

裕也さんがトキさんをさえぎった。

そして私に、何があったのだ、と静かに聞いた。

私は一言で伝えた。進学したいと言ったらドライな子だと言われたから、と。

裕也さんは私に、他意あってそう言ったわけではない、受け取り方に誤解があったのだから今すぐ改めなさい、と言い、トキさんに向かって、何でも敏感に反応する時期だから言葉を選んでほしいと言った。

トキさんは不満気にまた、口を開いた。

裕也さんは、「トキさん、濃いお茶を入れてくれ」と、それを止めた。

 

裕也さんは飛鳥が悪いとは言わなかった。

トキさんに謝りなさいとも言わなかった。公平な裁きに気持ちが晴れた。

そして、甘やかしすぎている、という言葉に耳を傾けなかったのもうれしかった。

仮にもトキさんの手前だからという理由で、叱られたら私は今よりももっとトキさんを嫌いになっただろう。

格別に何も言わなかったけれど、ドライな子と決めつけられた、という一言で、その多くを含まれた意味をくみとってくれたのだ。

これでいいんだ。

私は決して告げ口などしない。

今までもそうだったけれどこれから先もこれを守っていこう。

黙っていて、聞かれた時にははきはきと答える方が賢明なのだ。

そんな子が裕也さんは好きだと思う。

『雪の断章』講談社版 p.38より

どうかしら、この部分を読んだだけでも、飛鳥の性格がわかります。

 

「あれっ?」と、こんなシーンでも感じました。

管理人のおじさんは、アパートの花壇に四季折々の花を育てています。

ライラックだったり、ダリアだったり、ひまわりだったり。

飛鳥はダリアの花を見れば「おじさん、この花一輪頂戴」と言って切ってもらいます。

しかしひまわりを植えた管理人のおじさんに飛鳥はこんなことを言い出します。

「おじさん、どうしてひまわりなんか植えたの?」

「どうしてって別に、飛鳥ちゃんはひまわりが嫌いかい?」

大嫌い

「どうしてだ?」

態度が大きいわよ、他のお花をおしのけて空へのびて。本岡家みたい」

「そうか、よしよし、じゃあ来年はよすよ」

『雪の断章』講談社版 p.125より

 

と、読み進んだ中で、飛鳥の態度や考え方に対して「あれっ? この子はこれでいいのか?」とざらついた印象をいだきましたが、

もっと驚いたの、読者の中に同じような印象をいだく意見が見当たらなかったことです。

 

作者の佐々木丸美さんが『雪の断章』を書いたのは27歳の時でした。

彼女はあとがきでこんな風に書いています。

 飛鳥を生んだのは雪であり、少女へ、大人へと育てたのは美しい吹雪でした。

 飛鳥を書いている時は、私自身も原稿用紙の中で一緒に生きてきたのです。読んでくださった方々が、ただ読んでくださっただけでなく、その時間を飛鳥とともに生きてくださったなら幸せです。そして、日常生活において悩みやつまずきがあった時、「人は公平に悲しみと喜びの順番を待っているものだよ」と、飛鳥が裕也に教えられ元気に立ち直っていったことを思い出してください。飛鳥が特異な性格だったのでもなく、ぬきんでて純粋だったのでもありません。ただ、みずみずしい、敏感な瞳を失わずに、あるがままの人間と自然と文明のつながりを見つめていたのです。

27歳の若き作家の心の中には、あるがままの飛鳥が芽生えていたのです。

 

昔はこういうことが、まかり通ったのか

養女として引き取って、女中として扱う。

半世紀前に本当にこんな現実があったのでしょうか。

孤児院は、引き取り先の調査を十分にせず里子に出す。

本岡家は飛鳥を放り出した後、同じ孤児院から飛鳥の妹分を引き取り働かせています。

孤児院も本岡家のことは知っているはずなのに。

 

もうひとつ。

独身の、25~6の男性が孤児を引取れたというのも驚きです。

 

どちらも今なら、人権侵害であたるでしょうし、罰せられる行為だと思いますが、

昔はこんなことがまかり通っていたかしら。

まあ、当時の実状か、はたまた架空の世界の話なのかわかりませんが、

「こんなにあり?」と、こんなことにもひっかかりながら読み進めました。

 

そでにある作者近影

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講談社1975年11月12日の初版本のそでにある作者の写真と情報です。

なんと、住所まで書かれています。※ 現在は小川通54という所番地はありません

 

一方こちらは、創元社の復刻版です。

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作者が亡くなってから3年後に復刊されたもので、本書はその第7版 2015年発行のものです。

底本は、1983年刊の講談社文庫版です。

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因みに、作者のあとがきは、講談社の文庫版とそれを底本として復刊した創元社の文庫にはありません。

創元社版の奥付には、作者のあとがきの代わりに、

山村正夫さんの「講談社文庫版解説」と、三村美衣さんの「孤児文学としての愉しみ」が収録されています。

 

※ あとがきについてですが、下記のファンサイトさんによれば、

  講談社版にもあとがきがあるものと、ないものが混在しているそうです。

  著作一覧と読み順の案内


他の人はこの作品をどうとらえているのだろう

講談社版を読了後、創元社版の奥付にあった三村美衣さんの「孤児文学としての愉しみ」を読み、飛鳥に対する考え方か少しわかった気がします。

三村さんによると、いわゆる当時の孤児もののヒロインはお日様のような前向きさを持っているものが多かったとのこと。それに比べ⤵

それに比べ佐々木丸美のヒロインには、同年に刊行した例えば『キャンディ・キャンディ』のヒロインや海外の作品のヒロインにもなかった、影や負の感情がある

引取られた家で差別され、虐められ、いわれのない憎しみの対象としれてしまったヒロインは、天真爛漫な夢見る少女ではいられない。

飛鳥にしてみても強情っぱりという言葉では表しかねないくらい、プライドが高く、気が強くて頑固だ。

思いこみも強いが、他人を信用していないので悩みを相談することもできず、自分の思いこみに填り込んでしまう。この頑なさは彼女の凜とした魂を守る殻となるが、同時に人間関係を阻害し、人を見る目を曇らせる。物証を頼りに殺人事件を解くことはできても、祐也の心を理解できず、もつれてしまった関係をなかなか修復できない所以だ。

なるほど。

本作のヒロインは、強情っぱりで高慢ちきでも良かったのか。

佐々木丸美さんは夢見る少女ではなく、飛鳥に負の感情を一杯詰め込んだ、これが狙いだったようなのです。

 

いやはや、私の読みが浅かった。

が・・・・しかし。

読了後のなんともいえぬ、飛鳥に対する印象の悪さは変わりません。

 

そして。

なるほどと思って読んだ、三村美衣さんの解説の中にただ一点

「ヒロインだけではない。奈津子お嬢様の激烈さ、スーパー家政婦トキさんの陰湿さの波状攻撃は、セーラを虐めるミンチン先生のはるか上を行く嫌らしさ。やっぱり『細腕繁盛記』や『おしん』を生んだ日本のスーパーヒールはこうじゃなきゃいけない。」という意見に対しては同感しがたいものがありました。

スーパー家政婦トキさんって、そんなに陰湿だったかしら、と。

 



【佐々木丸美さんプロフィール】

佐々木丸美さんは1975年に『雪の断章』でデビュー、孤児四部作と館シリーズ三部作を中心に多くのファンを持つ作家さんです。

2005年、急性心不全の為死去、享年56歳でした。

 

 

 

講談社版『雪の断章』の初版本。

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1975年 (昭和50年) 11月12日 第1版 初版本です。

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続きを読むに、創元社版に収録されていた三村美衣さんに解説を添付しました。

 

孤児文学としての愉しみ
孤独な少女と青年の心の葛藤を
雪の結晶の如き繊細な筆致で描く
佐々木丸美の代表作

08年12月刊
佐々木丸美『雪の断章』
解説[全文]
三村美衣

 

雪の断章
書籍の詳細を見る

 本書『雪の断章』は、1975年に発表された佐々木丸美のデビュー作であり、孤児の少女を主人公に愛と謎と雪の三要素を揃えた著者の原点である。

 私が『雪の断章』を読んだのは中学生の時だったろうか。父の書棚を眺めていたら、水色の背表紙に黒い羊(長年そう思いこんでいたがひょっとすると牛だったかもしれない)が一頭、ぽつんと佇む本があった。タイトルがきれいだし、本がかわいかったので手に取ったのだが、一読、その劇的でロマンチックな佐々木丸美の孤児文学に魅了されてしまった。
 子どもの頃に読んだ文学全集の主人公は、たいてい数奇な運命に弄ばれる孤児だった。『赤毛のアン』『小公女』『孤児マリー』『あしながおじさん』『レ・ミゼラブル』『家なき娘』『虐げられし人々』。少女だけではなく『オリバー・ツイスト』だって『トム・ソーヤー』だって孤児だ。おかげですっかり「孤児=ロマン」という刷り込みを受けた私は、「物語のような出来事」も「運命の出会い」も孤児の身にしか起きないものなのだと思い、罰当たりにも、二親揃う我が身の不幸を嘆いた。
 孤児ものの主人公はまず間違いなく不幸だ。養家で虐められ、学校や地域でも孤児というだけでいわれのない差別を受けて育つ。そして長い距離と時間を旅した末に、ようやく努力が実り、夢を掴み、愛する人のもとにたどり着く。不幸の度合いが増せば増すほど、結末で得られるカタルシスも大きい。おまけに出自がわからないというのは悪いことばかりではない。実の両親が目の前にいたのでは、自分は白鳥の子だなんてとうてい思えないが、もし出自不明な孤児ならば、逆に自分に流れる血に無限の可能性を夢見ることもできるのだ。養家の家族が、孤児を虐めるときに、ことさら子どもを捨てた母を見下してみせるのは、孤児が夢見る理想の母(父)親像への、苛立ちもあるのだろう。
 本書のヒロイン、倉折飛鳥は両親への思慕の情はほとんど見せない。その代わり彼女は偶然の神秘を信じている。迷子になった5歳の秋、おつかい途中の7歳の秋、そしてお嬢様の不条理な虐めに怒りを爆発させ、引き取られた家を飛びだした7歳の冬。自分と祐也の出会いは偶然の神秘であり、そこには大きな意志が介在している。そしてそれは、孤児という境遇と引きかえに与えられた運命なのだと語る。まさに、この出会いこそが孤児に与えられた至上の特権なのだ。
 本書が刊行された1975年は水木杏子・いがらしゆみこの『キャンディ・キャンディ』「なかよし」で、三原順『はみだしっ子』(孤児という意味ではちょっと微妙な部分もあるが)が「花とゆめ」ではじまった年でもある。同級生たちがアルバート派、アンソニー派、テリィ派に分れ、恋の行方はこうあるべしと盛り上がるなか、お日様のようなキャンディの前向きさに感情移入することができない私は、キャラとしては深みにかけるし、悪計の底が浅すぎると思いつつも、イライザ派を名乗るしかなかった。
 それに比べ佐々木丸美のヒロインには、キャンディにも、海外の作品のヒロインにもなかった、影や負の感情がある。引き取られた家で差別され、虐められ、いわれのない憎しみの対象にされてしまったヒロインは、天真爛漫な夢見る少女ではいられない。飛鳥にしても強情っぱりという言葉では表しきれないくらい、プライドが高く、気が強くて頑固だ。思いこみも強いが、他人を信用していないので悩みを相談することもできず、自分の思いこみに填り込んでしまう。この頑なさは彼女の凜とした魂を守る殻となるが、同時に人間関係を阻害し、人を見る目を曇らせる。物証を頼りに殺人事件を解くことはできても、祐也の心を理解できず、もつれてしまった関係をなかなか修復できない所以だ。
 ヒロインだけではない。奈津子お嬢様の激烈さ、スーパー家政婦トキさんの陰湿さの波状攻撃は、セーラを虐めるミンチン先生のはるか上を行く嫌らしさ。やっぱり『細腕繁盛記』『おしん』を生んだ日本のスーパーヒールはこうじゃなきゃいけない。

 佐々木丸美の作品には多くの孤児が登場するが、その中でも本書とその後に書かれた『忘れな草』(1978年)『花嫁人形』(1979年、創元推理文庫近刊)、それから『風花の里』(1981年、創元推理文庫近刊)は、《孤児》4部作と呼ばれている。最初の3作のヒロイン、飛鳥、葵、昭菜は同じ年齢で、全員が札幌で暮らしている。本書では、ほかの少女の存在には触れられていないが、シリーズを読み進んで行くと、3人が孤児となった背景に、祐也や史郎、それに本岡剛造が勤める、東邦産業、北一商事、北斗興産という企業が深く関わっていることがわかってくる。そして飛鳥の行動から始まる連鎖が、まるでバタフライ効果のように、順送りに他の少女に影響を与えていくことがつぶさに見えてくる。最後の『風花の里』に登場する第4のヒロイン星玲子(れいこ)は3人よりほんの少し年上。彼女もまた陰謀に巻きこまれて両親を亡くし、孤児となり札幌にやってくるのだ。
 札幌は、1970年代には人口100万人の大都市だが、街の規模自体はそれほど大きいわけではない。買い物に行くなら大通りのデパート、受験参考書を買うならあの書店、お茶を飲むならユーハイム。同じ年頃の少女の立ち寄り先は自ずと似通い、それとは気づかぬうちにすれ違う。その出会いは偶然なのか、それとも陰謀なのか……。
 4部作と書いたが、実は佐々木丸美の世界は、ほぼすべての作品が、登場人物の血縁、転生、事件の連鎖などによってつながりを持つ。それぞれの作品は別個の物語として鑑賞できるが、実は作品にはさらなる謎が仕掛けられており、それが大きな物語宇宙を形成しているのだ。既に当文庫より刊行されている『夢館』などは、《孤児》と《館》が絡みあった複雑な物語となっている。
 トキさんはこの後『忘れな草』に、奈津子は『花嫁人形』に再登場し、重要な役割を果たす。ヒロインとなるべく生まれてきたような美少女奈津子が、なぜヒールとなったのか、その憎しみや怒りの源を解き明かす鍵が『花嫁人形』にはつまっているのでお楽しみに。

 さて、本書は1983年に刊行された講談社文庫版を底本としている。
 著者の経歴や人となり、ミステリ史における位置付けなどは、講談社文庫版から再録された山村正夫氏の解説をお読みいただくとして、83年以降のことだけ簡単に補足しておこう。
 佐々木丸美は、1984年に17作目の『榛(はしばみ)家の伝説』を上梓した後、文庫収録時に改稿は手がけたものの、新作を発表することはなかった。
 そして2005年12月25日、愛してやまない雪の季節に、心不全でこの世を去った。
 また1985年には、本書が『セーラー服と機関銃』の相米慎二監督によって映画化された。映画のタイトルは『雪の断章~情熱~』。名前は変えられているが、ヒロイン夏樹伊織(飛鳥)をデビューしたての斉藤由貴が、広瀬雄一(祐也)を前年に朝ドラ主演で話題となった榎木孝明、津島大介(史郎)を世良公則が演じている。配役は悪くないし、印象的なカットも多い。しかし尺の問題もあって、7歳からの10年間が描かれていなかったり、ファンタジーにおける神話のような役割を果たすことで大時代的な設定を神秘性にまで高めた『森は生きている』のエピソードが割愛されていたり、全てを浄化する雪の描写が少ないために、原作ファンにはちょっと物足りない結果となった。もしもう一度映像化するなら、韓国ドラマが似合うのではないだろうか。飛鳥の家出が2年間に延び、記憶喪失まで伴いそうで怖いが、本書の情緒と虚構性は、今の日本を舞台にしたのでは表現できない気がするのだ。いかがだろう。

 

(2009年1月)