Garadanikki

日々のことつれづれ Marcoのがらくた日記

恩田陸『チョコレートコスモス』

 

恩田陸『チョコレートコスモス』を読了。

 

f:id:garadanikki:20210429143009j:plainこの本との出会いはひょんなことだった。
「図書館行くけれど、返却とか取置きとかある?」

家人に聞いたら「じゃ、これ返却」と手渡されたのがこの本だった。
《恩田陸》とあるので、アラと反応。

「演劇の話だったけど、俺、降りた」と彼は言うが、それなら私が読もうと引き継いだのだ。

家人が降りたというのが、はたしてどのあたりか気になったが、 私にとっては非常に興味深い一冊だった。
元々芝居に興味があるので、俳優、脚本家、演出家に感情移入しながらの読書となった。

《内容》

芝居の面白さには果てがない。一生かけても味わい尽くせない。華やかなオーラを身にまとい、天才の名をほしいままにする響子。大学で芝居を始めたばかりの華奢で地味な少女、飛鳥。二人の女優が挑んだのは、伝説の映画プロデューサー・芹澤が開く異色のオーディションだった。これは戦いなのだ。知りたい、あの舞台の暗がりの向こうに何があるのかを―。少女たちの才能が、熱となってぶつかりあう!興奮と感動の演劇ロマン。 

KADOKAWA文庫 解説より

 

 

無名の天才少女・飛鳥と、サラブレット女優の響子が舞台に立つ話となれば、当然『ガラスの仮面』を連想したが、筆者のあとがきにもハッキリとこう書かれている。

初めて週刊誌で連載することになった時、念頭にあったのは子供の頃に浴びるほど読んだ漫画雑誌だった。いつも「いったいどうなるの?」という絶妙な場面で終わる連載漫画。最後のページの「以下次号!」という文言にやきもきさせられたものである。

 週刊誌なんだから、やっぱり次回への期待があるスリリングな展開のものにしなくっちゃ。わくわくして「この先どうなるの?」という話。そこで浮かんだのはあの国民的少女漫画、美内すずえ先生の『ガラスの仮面』。連載第一回からリアルタイムで読んできた私は、あのワクワク感を再現したいと思ったのだった。

角川文庫『チョコレートコスモス』文庫版あとがきより

 

なるほど『ガラスの仮面』のオマージュで間違いないのか

この本には、脚本の執筆がはかどらない舞台作家や、伝説のプロデューサー、新進気鋭の演出家、アイドルから舞台に進出した女優、往年の舞台女優など、濃いキャラクターが続々登場する。

登場人物はとても具体的に描かれているので、実在の人物があれこれ浮かんで楽しい。

スリリングに読み終えた本ではあるが、どこかに棘の刺さったような、なんとなく後味の悪さを感じた。

 

しっくりこないこと

しっくりこない、というか拒絶反応に近い気分になった原因は《競い合い》が多かったことにある。

 

ここからは、私個人の演劇論に関わる問題なのだが、

私は《俳優》という仕事は、同じアーティストでも、画家・歌手・ソロ奏者と違い、

1人では出来ない仕事であると常々思っている。( 特例で1人芝居はあるが ) 演劇は人と人との調和で完成するものだと思う。

 

さらに。

私が 最高だと思う役者の条件は、作品・演出家・共演者と心中出来る役者 であることだ。

上手(ウマ)いけど、何 ( 作品 ) を、誰 ( 演出家や相手役 ) とやっても、演技が変わらない役者は論外だ。

 

稽古に一ヶ月以上かけるのは、皆で作り上げなければならないからで、

演出家は、その作品を通し訴えたいことを役者に伝え、役者が演出家の手足となり具現化する。

稽古で個々がぶつかり合うことで化学変化が起き、新解釈が生れることもある。

演出家がそれを面白いと思えば「それならこういう立ち位置が効果的だ」と段取りをつけ、照明家や音響家は最高の明かりや音をもってそれを助ける。

そうして、ひとつの舞台が完成する。

 

以上の仕組みからも、演劇に役者同士の《調和》が不可欠なことがわかる。

それが演劇の魅力であり、醍醐味であり、神髄ではないかと思うのだが、

残念ながら、この本にはそれがあてはまらない。

 

 

例えばこんなシーンに、私は違和感を持った。

 冒頭、寺田という演出家のセリフ

「うーん、やっぱりあの子に目ぇつけたか。そうなんだよな、こっちの役、どっちがやっても、舞台じゃあの子に喰われちゃうだろうなあ」

⤴ 演出家が言う言葉として《喰われる》は如何なものかと、まず拒絶反応を抱いてしまった。

 

● 響子のエチュードのルール違反

響子が売れっ子演出家・小松崎の作品に出演することになり、稽古場でエチュードをすることになった。響子はそこで共演者のアイドル女優・あおいを邪魔する行為に出た。

エチュードの設定・ルールは以下の通り。

  ● ガラスケースに林檎が入っている。

  ● ガラスケースの鍵は小松崎が持つ。

  ● その鍵を取り上げて林檎を手に入れる。

  ● 「1人ずつ」「順番に」「持ち時間は10分」

 

1人目の俳優は時間切れで失敗し、2人目のあおいが林檎を奪取しそうになる時に事件(こと)は起きた。

それがこのシーン⤵

あおいが暴力的手段に訴えて林檎を手に入れようとしたことに意表を突かれ、

意外とやるなという驚きと、ユキ ( あおいの演じるキャラクター ) の内向的だが思い詰めると暴走してしまう性格を、あおいがきちんと自分のものにしていたことに対する焦りだった。

この子、できる。きっと、舞台での演技をモノにする

不意に、奇妙な興奮が身体の中を駆け抜けた。

このままではこの子に林檎を取られてしまう

武者震いのような、怒りのような。一瞬の閃光が頭の中を白く照らす。

ごくたまに、こんな瞬間が訪れることがある。

身体の底の、普段は意識していない暗いところから、むくむくと激しい衝動がこみあげる瞬間。

何かが彼女を突き動かし、別の人間へと変わる瞬間。

響子は無意識のうちらスッと前に進み出ていた。

小松原とあおいが「えっ」という顔で響子を見る。

何かが響子を喋らせていた。

小松原は十分毎に1人ずつと言った。いきなり割り込んで響子を咎めるだろうか。

そうはならないという自信があった。彼はハプニングを望んでいるのだ。

p.116

 

これは、稽古場においてのエチュードの意味を考えさせられるシーンだった。

役者には様々な価値観や手法がある。

初対面の役者がいきなり恋人役となったりするのだから、互いの意思疎通が図れないことも当然生じる。

相手がどう出るかもわからず演技がぎくしゃくすることもあるだろう。

そんな煮詰まった状況で、演出家がよく使うのがエチュードだったりする。

 

作品のセリフや段取りを離れて、即興でエチュード ( ゲーム ) をする。

エチュードは役者個人としてでなく、役のキャラクターとして挑む。

すると、自分の役に対して閃きがあったり、相手役の手法に刺激を受けたりする。

〇〇という役者は、怒るとこんな行動 ( 表現 ) をするのかと気付かされることもあるだろう。

それが作品に取り組む上での助けになるのが、本来エチュードの目的なのではないかと思う。

 

 

しかし、この本の中のエチュードは違った。

響子はライバル視しているあおいに先を越されるのを怖れ、ルールを無視し相手を邪魔したのだった。

初読みでスリリングにするりと読めた場面だったが、何かざらつく後味だったので再読したところ、

あまり良いシーンには思えなくなった。

 

 

 

飛鳥についても、気になるシーンがあった。

飛鳥は、入部したばかりのW大演劇集団の初公演で、度肝を抜くような演技で1人目立ちする。

観客からは絶賛されるものの、演出家から「おまえ、明日はイメージを変えろ」と言われる。

すると飛鳥は次の日、登場から動きから1人で全部を変更し、小道具まで勝手に追加をして、全く違う舞台に作り上げてしまう。

 

普通《演出家が「イメージが違う」という》なら、皆で稽古をつけ直して舞台にのぞむだろう。

誰にも相談せず、1人で段取りを変えるなどありうべからざる行為である。

本では、それが飛鳥の凄さを描くエピソードになっているが、

実際の公演でそんなことをしてしまう役者はもっての他である。

 

本作には他にもそういった、初読では気づかないようなモチーフが点在し、

それが読了後の違和感に感じたものと思われる。

 

 

あとがきを読み、腑に落ちた

しかしながら、作者のあとがきを読んで、違和感が払拭した。

作者が描きたかったのは《演劇について》ではなく《オーディションの話が書きたかった》のだそうだ。

それならわかる

それならわかる、それならば話は違ってくる。

オーディションでは、競争相手を出し抜く必要があり、生き馬の目を抜く行為も必要であり、喰うか喰われるか なのだから。

 

ある意味で納得はしたものの、こんなことを思った。

「あの東響子は、あの佐々木飛鳥はこの先、どんな舞台俳優になっていくのだろう」と。

 

 

 〔追記〕

因みに、ネコショカ(猫の書架)さんのブログ ( id:nununi ) で興味深いことを知った。

www.nununi.site

ぬぬにさんのお話では、作者はこのテーマで三部作を構想していたらしい。

続編『ダンデライオン』は、掲載していた『本の時間』が廃刊になったことにより

連載中断したままなのだとか。

 

また、登場人物にはモデルがいるらしいのだ。

東響子・・・・・松たか子
安積あおい・・・松浦亜弥
宗像葉月・・・・寺島しのぶ
岩槻徳子・・・・浅丘ルリ子

 

なるほど。

松たか子、寺島しのぶ、浅丘ルリ子とな、うんうんうん。

松さんも、しのぶさんも梨園の出であり、芸能一家であり、親戚筋に当たる。

浅丘ルリ子さんも映画出身だが、蜷川さんの舞台でも活躍された舞台女優。

佐々木飛鳥のモデルはいないそうだが、それはわかるような気がする。

 

また、小松原という演出家が出てくるのだが、下記の文章を読めば間違いなく野田秀樹さんを連想させる。

「学生時代に率いた小劇団で脚本・演出・主演を務め、文字通り一世を風靡した。独特の言語感覚とスピーディな動きは他の小劇団に大きな影響を与え似たような作風の劇団が続出した。現在は解散し、新しい脚本を書く度に役者を集めるワークショップ方式で好演しているが、いつもチケットはすぐに売り切れる」

「『真夏の夜の夢』で妖精パックを演じ」

「小松原の声は独特だ。明るくて甲高くて~」

 

が、本文にある小松原のぶっきらぼうな話口調は、現実の野田さんとは全く違うと思う。

ここまで似せられて、違う口調にされたのでは、ご本人も複雑なのではないかと思ってしまった。
 

 

 

 

本日の朝ごはん

まいどの釜玉うどん

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いつもと違うのは半田そうめんではなく、讃岐うどんです。

明太子が少し余っていたのでトッピングしてみました。

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何をトッピングしても美味しいなぁ。

茹でるだけで手間なしだし、それで美味しいんだもの。

朝食にはササッと出来て最高です。 

 

 

本日の夜ごはん

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かぼちゃの煮つけ、ジンギスカン、キムチ、

金華サバのハム、枝豆、サーモンの押し寿司

 

〆鯖ではなく「金華サバのハム」とのこと。

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美味しいですわ、これ!

〆鯖に目の無い私ですが、この《ハム》っていうのに悶絶。

ねっとりしていて、少しスモークの香りがします。

濃厚な仕上がりはまさにハムです。

・・・うーん、これ、どこで買ったんだろう。冷凍庫の手前に張り付いていたのを見つけたんですが、一週間前後にどこかで購入したものです。

 

ジンギスカン

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近所のスーパーから、ラム肉の薄切りが消えました。

大きくカットしたものはあるんですが、やはりこの薄切りでないとジンギスカンは美味しくないなぁ。

 

MOURI が買ってきたキムチ

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本人はこのキムチで白いご飯を食べたかったらしい。

ゴメンよ、押し寿司買っちゃったんだ。

 

かぼちゃ煮

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面取りはしていません。

これで十分だと思いますが、どうでしょう・・・

かぼちゃ煮は好きなんですが、最近スーパーに国産のかぼちゃが見当たらない。

本日、路上の八百屋さんでこれを見つけて買いました。

やっぱりかぼちゃは北海道だな、全然味が違うと思います。

 

MOURI のおみや

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浅草に行ったわけではなく、スーパーの特選品コーナーによくあるやつさ。

特選品のワゴンって楽しいじゃないですか。

もみじ饅頭があったり、六花亭のバターサンドがあったり、、、

非常事態宣言でどこにも行かれないんだもの、こういうご当地土産を手に入れられるのは有難い。

 

「芋羊羹は舟和だよな」

このセリフ、我が家でなんど言ったことか。

して。

「芋羊羹には、ウイスキーだよね」です。

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備忘録・チョコレートコスモスの好きなシーン⤵

 

無人のロビーは殺風景で淋しいけれど、なんだかとても落ち着ける。

それは、空っぽの劇場と同じく、常に予感に満ちているからだ。何かわくわくするようなことがここで始まるという予感。この扉の向こうに、この世のものではない素晴らしい世界が広がっているという予感。今は誰もいないけれど、溢れざわめく観客の息遣いが聞こえるような気がする。

p.37

 

「やっぱ、やろうよ、公演」

巽はそう口に出していた。みんなが彼を見たのでそのことに気づく。

「これがチャンスだってことには変わりないよ。迷った時は大変なほうを選べって、うちのおばあちゃんが言ってた」

「おまえのばあさんは冒険心に富んでたんだな」

新垣がそう言ったのでみんなが笑った。

p.134