Garadanikki

日々のことつれづれ Marcoのがらくた日記

森鴎外の妻 漱石の妻

唐突ですが、鴎外と漱石に関しての備忘録を投稿します。

 

森鴎外と夏目漱石は、一時期同じ千駄木に住んでいたことがありました。

地名でいえば、

漱石の旧居は、文京区向丘2丁目20−7

鴎外の旧居は、文京区千駄木1丁目23-4

薮下通りを歩いて6分くらいの距離にあります。

 

永井荷風は『日和下駄』「第九 崖」で薮下通りのことを次のように描いています。

「小石川春日町から柳町指ヶ谷町へかけての低地から、本郷の高台を見る処々には、

 電車の開通しない以前、即ち東京市の地勢と風景とがまだ今日ほどに破壊されない頃には、

 樹や草の生茂った崖が現れていた。

 根津の低地から弥生ヶ岡と干駄本の高地を仰げばここもまた絶壁である。

 絶壁の頂に添うて、根津権現の方から団子坂の上へと通ずる一条の路がある。

 私は東京中の往来の中で、この道ほど興味ある処はないと思っている。

 片側は樹と竹藪に蔽われて昼なお暗く、片側はわが歩む道さえ崩れ落ちはせぬかと

 危まれるばかり、足下を覗くと崖の中腹に生えた樹木の梢を透して谷底のような低い処に

 ある人家の屋根が小さく見える。」

 

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実際に歩いてみた薮下通りは、東側の大通りを見下ろす位置にあり、

確かに趣がある小径でした。

しかし、荷風がそう言ったのは、単に道のことだけではないような気がしました。

 

 

文人が居を構える町

薮下通りの北の起点には森鴎外宅があります。

荷風がこの道を歩いた目的は、尊敬する鴎外先生の家に行くためで、

だから印象的な道に思ったのではないかしら。

更に荷風は南の起点にある漱石宅にも行っていたのではないか、などと妄想は勝手に膨みます。

※ 実際には、漱石と荷風とは、ご近所ながら会ったのは挨拶程度で、交流はなかったそうです。

 

森鴎外と夏目漱石

鴎外と漱石は、同じ時代に生きながら、全く別の世界を築いた二人です。

以前、こたつ猫の森 ( id:mamichansan ) さんの記事で、母校のお話を面白く拝読しました。

北野高校は大阪でもトップの進学校。

ノーベル賞を受賞された吉野彰さんの母校でもあります。

 

記事の中で特に印象深かったのがこのくだり

一度、同級生たちと休み時間に「漱石派か鴎外派か」で大論争になったことがあるのですが(最後には「なによ、やぶ医者のくせに!」「なによ、この神経病み!」という非常に低レベルな罵り合いになりました。ま、そこは女子高生ですから・・・ね。)、いつのまにやら「文豪の中では、誰が好き?」の話題にシフトして、やれ太宰だ芥川だ、川端だとものすごく盛り上がりました。

 

流石北野高校!

女子高生が漱石だ、鴎外だ、やれ太宰だ芥川だとやり合えるなんて。

それが少人数のオタクの会話じゃないところが凄いです。

 

鴎外と漱石は色んな面で比べられています

大分前に書いた「芥川龍之介の鼻」のコメント欄で、

マミーさんと、smoky ( id:beatle001 ) さんと、ひとしきり盛り上がったことがあります。

「鴎外と漱石、当時の若い作家にどちらが慕われていたか」みたいな話でした。

新人作家の寄贈本にも目を通し、意見をくれる夏目漱石に対して、

森鴎外はそうでもなかったという話から、

「もしかしたら奥さんの性格にもあるのではないか」という話に展開。

 

奥方の比較までされてしまうなんて気の毒ですが、鴎外の妻は世に《悪妻》と言われた人ですから。

何かの折「漱石の妻は漱石の許に集まってくる若者を歓迎したが、鴎外の妻はそうではなかった」という話を拾い読みした記憶があったのですが、さて何の本だったか。

気になって、蔵書をひっくり返しましたが、見つからなかったところをみるとネット情報だったかも知れません。

 

 

 

今回は、まだとっかかりの段階。

リサーチが十分ではないけれど、鴎外の奥さんについて調べた話を少しだけ書いておきます。

 

鴎外には二人の妻がいました。

最初の妻-登志子さんとは一年半で破綻しています。

後妻の志げさんは、茉莉さん、杏奴、不律、類さんの母親で、

晩年、彼女は鴎外にすすめられて小説「波蘭」を書いたりしています。

この志げさん、世間的には《悪妻》として有名だったようです。

 

姑との折り合いは悪く、長女の茉莉が生まれる、娘と二人で明船町の実家の持ち家を借りて別居。

鴎外は観潮樓 ( 千駄木の家 ) に母と住み、週に数日 妻のもとに通う二重生活だったそうで、

このことからも志げさんと鴎外を慕って集まる作家たちとの交流は薄かったのではと想像します。

 

一方、漱石の妻-鏡子さんが弟子や門下生に慕われていたかというと、それも微妙です。

鏡子さんも文学のことはわからない人で、小説家としての夫を十分理解できていたかは知れません。

漱石の家には、鴎外邸より多くの若い作家が集まってきました。

でも鏡子さんは若い人たちとワイワイやっているに過ぎなかったように思うのです。

一時、久米正雄に目をかけたのも《作家としての才能を認めて》というより、豆ッたく雑用をこなす便利な男として可愛がっていたふしがある。

 

 

結局、娘の相手に久米ではなく松岡を選んだのも、作家として云々より、

漱石のことを口述筆記させるのに丁度よかったからではないか。

気の毒なのは松岡譲で、作家として大成できなかったのはその辺にあるような気がします。

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双方の妻とも、作家としての夫の資質を十二分に理解していたかといえば、

どうもそうでもなさそうで、

ならばいっそのこと、端から若者と関わりを持たぬ鴎外の妻の方が、

害のないように思えてしまいます。

 

 

とはいえ、鴎外の代表作以外少ししか知りませんので、

これを機会に少し読み始めてみようかな。

とりあえず、妻と姑のことを描いたという「半日」あたりから。