Garadanikki

日々のことつれづれ Marcoのがらくた日記

武士の敵討ちについて

 

 

森鴎外『護持院ケ原の敵討』から、菊池寛『恩讐の彼方に』と、何故か偶然、

江戸時代の敵討ちの話を読み継ぎました。

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二作とも、近年の作家が書く時代物小説と一線を画している点に感心させられました。

池波正太郎 (1923~1990)、司馬遼太郎 (1923~1996)、山本周五郎 (1903~1967)も痛快だが、森鴎外 (1862~1922)、菊池寛 (1888~1948) の時代物小説は、文学的要素が高い。

特に森鴎外

特に森鴎外は別格。

文久二年生まれの森鴎外は、実際に腰に刀を差したお侍さんを見てきた人でしょうからか、臨場感が違う。

菊池寛は、流石にお侍さんは見ていないでしょうが、鋭い表現力に文学性の高さを感じました。

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と言う訳で ( どんな? ) 今日は、そんな二作を通して敵討ちの話をしたいと思います。

敵討ち ( 仇討 ) とは 

江戸時代の《武士の敵討ち》は、現在では考えられない合法的制度でした。

近親者を殺されたことに対する《復讐》の例は、南イタリアを始めとして世界各地にもあるそうですが、江戸時代の敵討ちの主眼は《復讐》ではなく、武士の意地・面目の維持とされていた点に特徴があります。

 

合法性があったというのも興味深いところで、武士の敵討ちには免状が必要でした。

いくら身内が殺されたといっても、手続きをふまないで仇を討ったら普通の殺人罪に問われます。

敵討ちは、主君の許可を得て免状をもらい、主君から幕府に届けを出して初めて許されます。

 

敵討ちが許されるのは、父母や兄など自分より上の世代の親族が殺された時のみで、

妻子や弟・妹などが殺された場合には認められていませんでした。

また、仇討をした相手の身内から さらに復讐することは禁止されていますが、

仇討を受ける相手からの「返り討ち」は認められていました。

 

講談でも歌舞伎でも敵討ちの話は人気でしょうが、※一番人気は「忠臣蔵」

実在の件数はかなり少なく、成功したものはひと握りだったらしい。

情報も少ない中、敵を追い求めるのは至難の業だったでしょうから。

 

 

例えば、

『護持院ヶ原の敵討』の息子の宇平も、助太刀の伯父も、敵・亀蔵の顔を知りません。

人相書だけが頼りではいかにも心細いので、文吉という 亀蔵をよく知る男を召し抱えて旅に出ます。

一行が探して歩いたのは関東だけではない。

高崎から前橋、藤岡と歩き、武蔵国から甲斐国に入り越後国に渡ります。

越中、飛騨、尾張、伊勢、播磨、明石、備前、讃岐、豊後と日本の南半分を歩き通したのだから、

その労力と費用たるや半端じゃない。

因みに、当時は国元からの経済援助があったらしく、

三人には手当が出て、留守宅 ( 娘・りよ ) へも扶持が下がったそうです。

 

 

『恩讐の彼方に』の場合は、

父親が殺された段階で息子の実之助は三歳でしたから、家は取り潰されました。

縁者に養い育てられた実之助は、十三のときにはじめて父の死が家臣によるものと知り報復の旅に出ることを決意します。こちらの作品は、制度や経済などは省かれていますが、諸国を捜しまわったのは『護持院~』と同じです。実之助もまた相手の顔を知らず、敵と会えるのに、九年を費やします。

 

 

敵の顔さえわからず探し回るなんて、海岸の砂粒の中から落としたコンタクトレンズを拾うようなもの。相手は人間ですからコンタクトのように動かずそこに落ちているということでもない。探した場所に敵が舞い戻ることだってあるワケで、そんな効率の悪い探し方だもの、敵を見つけられず、目的を達成することなく生涯を終えるケースの方が多かったことでしょう。

 

だからこそ、武士の一分をかけた敵討ちが成功したとなれば、世間の話題になる。

『護持院ヶ原の敵討』は、実際に天保6年 (1835) 7月13日にあった話で、最終的に敵を討ったのが、24歳の娘だったことも話題となり、喝采を浴びたのだそうです。

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それを小説にしたのが森鴎外の『護持院ヶ原の敵討』です。

内容はとても詳細に記述されていて、敵討ちの仕組みもよくわかるものでした。

 

 

私が魅かれたのが、敵の亀蔵を見つける場面。

尾行したルートが細かく書かれているので、その通りに歩いてみたくなりました。

 

「護持院ヶ原」は、実際に敵討ちの行われた場所で、現在の千代田区神田錦町2丁目9番あたりです。

両国で見つけた敵・亀蔵を、叔父と文吉が護持院ヶ原二番まで尾行します。

 

そのルートがこちら⤵

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敵討ち当時の、天保年間の古地図がありましたので重ねて見てみます⤵

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lapis.nichibun.ac.jp

拡大画像|天保江戸図

 

酉の下刻と思われる頃であった。文吉が後ろから九郎右衛門の袖を引いた。九郎右衛門は文吉の視線を辿って、左手一歩前を行く背の高い男を見付けた。古びた中形木綿の単衣物に、古びた花色縞博多の帯を締めている。

 

二人は黙ってあとをつけた。月の明るい夜である。横山町を曲がる。塩町から大伝馬町に出る。本町を横切って、石町河岸から龍閑橋、鎌倉河岸にかかる。次第に人通りが薄らぐので、九郎右衛門は手ぬぐいを出して頬かむりをして、わざとよろめきながら歩く。文吉はそれをたすけるふりをしてついて行く。

 

神田橋外 元護持院二番原に来た時はちょうど子の刻頃であった。

森鴎外著『護持院ヶ原の敵討』p.124より

 

〔ちょっと補足〕

酉の下刻から子の刻というのだから、19時から23時と、4時間尾行したことになります。

この時点で、追っ手は叔父と文吉の二人で、息子は ( 意見が別れ二手に分かれ ) 途中で別行動をとっています。伯父の九郎右衛門は、捕まえた亀蔵を縄でしばり、文吉に娘・りよを呼びにやります。そんなことで、敵を打ち取ったのが24歳のりよということになったのでした。

 

こんな地図もあった。

国立図書館デジタルコレクションでみつけた江戸切絵図 駿河台小川町絵図  嘉永2~文久2 ( 1849~1862 ) 刊です。

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dl.ndl.go.jp

実際に敵討ちがされたのが、天保6年 (1835) だからこの地図は14年後のものですが、

護持院ヶ原の空き地は、こちらの地図でもハッキリわかります。

オリジナルの地図は南北が逆さなので、向きを逆にしてみました。⤵

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拡大すると⤵

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護持院ヶ原とは

ここには昔、五代将軍綱吉が湯島から移転させた真言宗知足院があり、後に「筑波山・護持院・元禄寺」と改称されました。享保2年 ( 1717年 ) 正月の大火で護持院の七伽藍がに消失したため、五万坪に及ぶ跡地を日除明地にしました。

広大な空き地は一番原から四番原まで分かれていて、芝生原の周囲を防風林と排水溝で囲まれていました。これらの明地は、将軍の鷹狩場や、庶民の憩いの広場とされ「護持院ヶ原」と呼ばれたそうです。

 

 

 

 

本日の昼ごはん

日曜日なのでニンニク入りの辛~いのを食べます。

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卵をとじると美味しいと書いてありました。

辛ーい、あったまる。美味しい。

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新発売の、ニュー元祖タンタンメンです。

平日には食べられないけど、これはいい。

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本日の夜ごはん

Olympicで食材を仕入れてきました。

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ブリの刺身

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唐揚げもOlympic、ブロッコリーは露地の八百屋さんのもの。

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おぼろ豆腐はOlympicで買ったんですが、温めて召し上がれと書いてあった。

美味しーです、これ。

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一昨日作った大根と塩昆布の浅漬け。

好評だったのでまた作りましょう。

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最近、スープを作るようになりましたら、

「スープは毎晩あるといいね」と言われました。

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今日のは、鶏のスープに京のお揚げとえのきです。

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