Garadanikki

日々のことつれづれ Marcoのがらくた日記

都立図書館に向かう道 庚申橋

 

今日は天気も良いので、自転車で東京都立図書館に行きました。

都立図書館は広尾の有栖川公園の高台にあります。

私の家からは自転車で40分くらいですが、その都度色々なコースをたどっています。

まだどのルートが快適か決め手に欠けますが、

風光明媚だったりお洒落なルートだったり色々です。

今回は渋谷駅を迂回して代官山を通ってみました。

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目的地の図書館での滞在時間を考えると、あまり道草もくってられないので、一か所だけ、

気になった橋で自転車を停めます。

 

庚申橋

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ガチガチに護岸整備された川です。

渋谷駅あたりは暗渠になっている渋谷川も、この辺りは見え隠れしています。

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庚申橋の西詰の道路はクネっとカーブしている。

昔からある道なのかなぁ。

写真奥に見えるのは山手線で右が渋谷方向、左は恵比寿方向です。

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西詰に庚申塔がありました。

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石碑の上部は庚申塔のようですが、かなり古いもので、

看板は「庚申供養碑」となっています。

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随分と古いなあ思いましたが、220年も前のものらしい。

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上部の青面金剛像はかろうじてわかりますが、その下の文章は劣化して読みにくい。

案内板にあるように、芝田村、四谷千駄谷、瀬田ヶ谷村、用賀村、太子堂、下北澤、など広範囲の地名が読み取れます。

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「こうしたことからみますと、庚申橋を通る道は、

  江戸時代には重要な交通路であったことがわかります」

案内板にもあるように、やはり昔からある道だったんだな。

 

西詰から南 ( 恵比寿方向 ) を見た写真

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東詰から北 ( 渋谷方向 ) を見た写真

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落ちたら、、、とゾクっとする眺めだと思ったら、こんな張り紙がありました。

「子猫は無事救出できました」

たくさんのご協力、ご心配とありますが、大変なことがあったのでしょう。

助かって良かった。

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徘徊をしていると、気になった地形や地名が沢山できます。

帰宅して古地図を見てみたりすると、疑問が解けるどころか 新たな疑問がどんどん沸いてくる。

そんな疑問点がたまると、都立図書館で調べてみたくなるわけです。

 

今回は、神山町を歩いた際に、地図にあった「松濤ホテルUSA Armed forces rest Hotel」のこと


先日歩いた、渋谷区本町にある「二軒屋公園」の二軒屋の由来。


を調べようと思っているんですが、

ついでに、この庚申橋のことも調べてみるつもり。

 

 

渋谷橋の交差点

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渋谷橋といっても渋谷の駅より、恵比寿に近い場所にあります。

ここまで来れば、図書館までもう少し。

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広尾の住宅街を通り、、、、

あらここも気になる⤵

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坂道を右に曲がったところが広尾商店街。

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へっ、広尾湯なんでのがあるんだ。

煙突が見えますが、あそこに行くには坂を下ってまた上がった所なんでしょう。

 

渋谷区はアップダウンの多い町です。

自転車で来るのもアシストじゃない時はしんどかったなぁ。

一昨年、アシスト自転車に買い替えたので、私の徘徊範囲もぐっと広まった。

範囲が広がるにつれ、気になること疑問も増えるというのは、大変なようで面白い。

謎が解けたからといって、誰の助けにもならないことなんですが。ねぇ。

 

 

 

 

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帰宅して。

都立図書館はやっぱり凄いです。

蔵書量もさることながら、司書さんの実力が凄い。

今回も私のとりとめのないキーワードをもとに、本をセレクトしてくれました。

 

● 神山町やGHQ接収関係はコチラを⤵

「渋谷区 大山町誌」 大山町会 東京都立図書館 5009805010

「占領下の東京 図説」 佐藤洋一 T210-7-5039 2006

 

 

● 二軒屋の由来関係にはコチラを⤵ 

 「幡ヶ谷郷土史」 T48-26-9 

 「渋谷の橋」 東京都渋谷区 T48-51/003007

 

 

「渋谷の橋」は、二軒屋のことだけでなく、庚申橋のことも詳しく書いてありました。

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※ 後日、渋谷の図書館で借りだしました。

 

庚申橋 ( 東3-15~東3-17 )

この橋は「新編武蔵風土記稿」にも、「御府内備考」にも記載があり、

「支柱橋銘間教書上」 ( 「東京市史稿」市街篇・第51 ) にも、「下渋谷町ヨリ下豊沢村エ渡ル 長4間巾4尺 但村方持」との記載がある。

 

また、石川元亮氏は「明治の渋谷川を語る」( 「郷土渋谷の百年百話」p.182~190 )の中で、「立派なのは庚申橋の石橋で、石脚も石造り、しかも脚は二本の石で支え、桁は手車が通う程の巾で石四枚並べて、がっちりしたものであったが、橋の欄干がなかったから落ちれば深い水車堰です」と話している。

 

この川の右岸に、庚申橋の水車 ( 加藤米吉持 ) があり、この橋を渡って玄米や精白米を輸送したので、橋は重量に耐えられるように増築されていた。しかし、この橋も明治41年秋の大出水の時、崩れ落ちてしまったという。 ( 「郷土渋谷の百年百話」p.349 ) 

 

現在の橋は、平成元年3月に架け替えた。

 

この橋のたもとに、庚申橋供養塔がある。寛政11年 (1799 ) に橋が架け替えられた時に造立されたもの。

角柱に四面には、橋講中の世話人を始め造立にかかわった人の名前や それらの人々の居住地地名が、渋谷・港・新宿・世田谷・目黒・中野・荻窪などと刻まれていて、広い範囲にわたる人々が浄財を出し合ったことが知られる。このことからも、庚申橋は重要な道筋に架かっていたことが分かる。

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都立図書館では、下記の資料などにも目を通し、閉館時間ギリギリまで楽しみました。

後日、貸出可能なものは近くの図書館から借り出して、ニマニマしながら読んでいます。

「渋谷の玉川上水」 東京渋谷区立 白根記念郷土文化館  T48-51-003008

「まちの記憶 代々木上原駅周辺」 T48-210-4002-2003 辻野京子

「特別展『春の小川』の流れた街・渋谷 川が映し出す地域史」白根記念 渋谷区郷土博物館・文学館