年明けの病院 ( 常備薬の為 ) が混んでいたので、帰りにランチを取ることにしました。
なにを食べよう・・・。
《昔ながらのチャーハン》《蟹チャーハン》で検索して、ちょっと遠出。
そうそう。
このビジュアルのチャーハンを探してたの。
スープは勿論、鶏ガラの醤油スープで長ネギは必須。
冷ややっことリンゴのデザート付きで、810円也。
これです、これこれ!
グリーンピースも三粒あるし、
具はピンクの蒲鉾と長ねぎという至ってオーソドックスなもの。
食べきれるかな、凄い量。
ご飯茶碗 二杯半はあるだろう飯粒がギューギュー固めてある。
掘っても掘ってもなかなか減らない。
どうやっても食べきれず、残してしまいました。
ごめんなさい。
自転車を走らせて神田川沿いを進むと、
立派な橋がありました。
「淀橋」と書いてある。
淀橋は、以前お話しした「中野長者物語」に出てきた橋です。
中野長者と言われた鈴木九郎という男が、自分の財産を運んだ帰りに、
その家来 ( 人足 ) を殺して川から捨てたという場所です。
中野 成願寺③ 中野長者ものがたり - garadanikki
立派な親柱だ。
「大正十四年?七月成?」か?
土台のところに
「旧橋の親柱を再利用しています」とある。
真っすぐな四角柱ではなく、丸い印のあたりが少し斜めに細くなっている。
束柱も同じ形で微妙に先細の形でした。
もうひとつ川上の橋は「たからばし」です。
たからばしの南詰から左を見ると、突き当りに崖が見える。
凄い高低差です。
三階建ての高さがありそう。
この崖線のなだらかなカーブ、もしかしてこれは川のあとか。
地図をみてみよう。
やっぱりこの部分だけ盛り上がってます。
右折してすぐの所に、キツい坂道がありました。
再度、地図を見てみると、
これが現在の地図。
黒い線が崖線です。
約65年前の地図では、
神田川からの支流が見えます。
今ではこの支流は暗渠なのでしょう。
そこを辿ってみるのも一興です。
近々、探索してみます。
約90年前の地図には、、、
あったあった。
やはり崖線に沿って川がある。
やっぱり小高い台地の脇は、
北側も南側も川でした。
約100年前 ( 関東大震災前 ) の地図では、
今の神田川がありません。
その代わり、
何本もの川が蛇行しています。
約110年前 ( 明治の終わり ) の地図は、
もっとわかりやすい。
高台の「本村北」と書いてある所と、
北側にある「成願寺」あたりには
家があります。
川が蛇行している辺りは田んぼです。
大雨になると川が氾濫するエリアなので、
家を建てなかったんではないでしょうか。
徘徊していると「おやおやっ?」っと思う場所が沢山あります。
不自然なカーブの道や崖がある所は、調べてみると昔 川だったりするから面白い。
少し進んだところに、「二軒屋公園」という公園がありました。
住宅地の真ん中に、ポツネンとあったその公園は、南側の道路から北側の道路まで
縦長の敷地で、南方が低く、北にいくに従って高い。
段差を利用して川が作られています。
水音がして、近所の人は気持ちいいだろうな。
地図でみる「二軒屋公園」
北側の道のカーブは、やはり昔からあった古い道でした。
、
約110年前、明治の頃の地図⤴
地形も面白いが、地名にも興味があります。
「二軒家」とは、なんか由来がありそうな予感。
世田谷区三軒茶屋が、昔そこに三軒のお茶屋さんがあったみたいに、
何か特別な《二軒の家》があったとかじゃないのかしら。
でもネットで検索しても情報は得られませんでした。
こういうの調べるには、やっぱり都立図書館でしょう。
意味がわかったところで、何の得にも、誰の助けにもならないことで、
しょうもない趣味だとまた、家人に笑われてしまうでしょうが、
近々、図書館に行ってみたいと思います。