芥川龍之介著「雛」を読了。
この短篇は、ある老女の回想の形で書かれています。
時は明治。
裕福な商家に生まれた少女は、15歳のときに大切な雛人形を手離さなければならなくなりました。
少女の家は徳川時代から大名に金を用立てる金貸し業を営んでいましたが、
徳川幕府が倒れ、武家に貸した金の回収が出来なくなり稼業が傾きます。
さらには度重なる火事に見舞われ、家族は土蔵での生活をしいられます。
暮の資金繰りに困った父は、とうとう娘の雛人形まで売らなくてはならない。
雛人形は、大通な祖父が見立てた たいそう立派なものでした。
内裏雛 は女雛 の冠の瓔珞 にも珊瑚 がはひつて居りますとか、男雛 の塩瀬 の石帯 にも定紋 と替へ紋とが互違ひに繍 ひになつて居りますとか、さう云ふ雛だつたのでございます。
売ると決まった雛を「もう一度見たい」と、少女は懇願します。
父は「手付をもらったのだから、もう うちのものではない」と許してくれません。
雛人形を売ることを父に勧めたのは三つ上の兄でした。
癇の強い兄は、英語の読本を離したことがない政治好きな青年で、雛祭りなどは旧弊だとか、あんな実用にならない物は取っておいても仕方がないといいます。
雛のことで駄々をこねる妹のことを「15にもなって、わがままをいうな」と殴りかかるような兄は後年
「開化思想にかぶれ、永年政治に奔走したあげく精神病院に送られてしまった」とのこと。
母親が面疔にかかり高熱を発します。
当時《面疔》は、死とも隣り合わせの病気でした。
……もとより面疔も手術さへ出来れば、恐しい病気ではございますまい。が、当時の悲しさには手術どころの騒ぎではございません。唯
煎薬 を飲ませたり、蛭 に血を吸はせたり、――そんなことをするだけでございます。父は毎日枕もとに、本間さんの薬を煎じました。兄も毎日十五銭づつ、蛭を買ひに出かけました。わたしも、……わたしは兄に知れないやうに、つい近所のお稲荷様へお百度を踏みに通ひました。
一家が暮らす土蔵には 無尽燈 がありましたが、
見世に持っていってしまったため、行燈 で暮らしていました。
父が兄にランプを買いに走らせます。
そのシーンがコチラ⤵
「ぢやあもう無尽燈はお廃止ですか?」
「あれももうお暇の出し時だらう。」
「古いものはどしどし止やめることです。
第一お母さんもランプになりやあ、ちつとは気も晴れるでせうから。」
苦しい懐からランプの代金を捻出する父。
ランブが灯る土蔵での夕餉は、一家の心も明るくします。
とうとう雛を手離す日が明日にせまります。
なかなか寝付けない少女がふと眠りからさめると、父が雛を並べて眺めていました。
ふと眠りがさめて見ますと、薄暗い
行燈 をともした土蔵に誰か人の起きてゐるらしい物音が聞えるのでございます。鼠かしら、泥坊かしら、又はもう夜明けになつたのかしら?
――わたしはどちらかと迷ひながら、
怯 づ怯づ細眼を明いて見ました。するとわたしの枕もとには、寝間着の儘の父が一人、こちらへ横顔を向けながら、坐つてゐるのでございます。
父が!……しかしわたしを驚かせたのは父ばかりではございません。
父の前にはわたしの雛が、――お節句以来見なかつた雛が並べ立ててあるのでございます。
夢かと思ふと申すのはああ云ふ時でございませう。
わたしは殆ど息もつかずに、この不思議を見守りました。
覚束 ない行燈の光の中に、象牙の笏 をかまへた男雛 を、冠の瓔珞 を垂れた女雛 を、右近の橘を、左近の桜を、柄の長い日傘を担かついだ仕丁 を、眼八分に高坏 を捧げた官女を、小さい蒔絵の鏡台や箪笥を、貝殻尽しの雛屏風を、膳椀を、画雪洞 を、色糸の手鞠 を、さうして又父の横顔を、……
その夜の回想を老女は「夢だったのか、知らず知らずに自分が作り出した幻だったのかと聞かれると返答に困る」としながらも「確かにその光景を見かけた」と、結びます。
しかしわたしはあの夜更けに、独り雛を眺めてゐる、年とつた父を見かけました。
これだけは確かでございます。
さうすればたとひ夢にしても、別段悔やしいとは思ひません。
兎に角わたしは
眼 のあたりに、わたしと少しも変らない父を見たのでございますから、女々しい、……その癖おごそかな父を見たのでございますから。
作者は、末尾にこう書き足しています。
「雛」の話を書きかけたのは何年か前のことである。
それを今書き上げたのは滝田氏の勧めによるのみではない。
同時に又四五日前、横浜の或
英吉利 人の客間に、古雛の首を玩具 にしてゐる紅毛の童女に遇つたからである。
今はこの話に出て来る雛も、鉛の兵隊やゴムの人形と一つ
玩具箱 に投げこまれながら、同じ憂きめを見てゐるのかも知れない。
欧米人の人形と、日本の雛人形とではワケが違います。
雛人形は唯の人形に非ず。
雛飾りは、女児の健やかな成長と共に、家の繁栄を祈る呪術的要素も含んでいます。
ですから私は、兄の発狂や母の病気が 因縁めいて感じてしまいました。
物語の中に登場した照明についても興味深かかったです。
照明は、行燈→無尽燈→ランプと変わっていくのですが、父の買ってきた新しいランプを見て、
母は「まぶしすぎるくらいですね」と言いながら、その顔には、
《何故か不安に近い色が浮かんでいた》と書かれています。
兄は「なんでも元はまぶし過ぎるんですよ。ランプでも、西洋の学問でも、 ⵈⵈ 」と
《誰よりもはしゃいで居りました》と書かれています。
同じものを見ても、年齢やおかれた状況・立場により違った心境になるものでしょう。
私の歳では、ランプのくだりは母親に、雛を手離すくだりは父親に自己投影してしまいます。
雛との別れのシーンは、少女の悲しみより、父親の無念さに、胸がキリキリ痛む想いで読みました。
本日の昼ごはん
茹でて冷凍しておいたとっておきのパスタを使うと、
百倍喫茶店のナポリタンになる、
本日は、エリンギも入れてしまいました❤
本日の夜ごはん
さむい夜、疲れた夜にはチャチャッと鍋がよろしいようで・・・
叙々苑のキムチチゲ甘口スープを使って作りました。
バラ肉、ニラ、豆腐、ネギの他、なめこを入れたら美味しかったです。
楽だね、あったかいね、おいしいね。でした