『フロス河の水車場』を読了しました。
やっとこさでした。長い道のりでした。
筑摩書房 世界文学大系 85
3段書き345頁だもの、読んでも読んでも終わらずに、
図書館から借りた本を2回延長して3度借り直しました。
ということは、3か月は手許に置いたことになります。
ふーーーっ長かった
でも、途中で止めようという気になれなかったのは、
ヴィクトリア朝時代のイギリスの田舎の話が心地よく、浸っていられたからです。
物語はフロス河のほとりの聖オッグの町、およびその付近が舞台。
フロス河といっても実在する地名ではなく、イギリス中部を流れるトレント河がモデル。
聖オッグの町もトレント河の右岸に位置する市場町、ゲインボロがモデルと言われています。
といっても全くわからない、イギリスに行ったこともないですから。
ですので ( 日本で公開されてない ) 本国の映画や、洋書の挿絵を見てイメージを補いました。
主人公はマギー・タリヴァー。マギーにはトムという兄がいます。
マギーの父・タリヴァーは水車場の主人です。
当初《水車場の主人》というのを農民くらいの階級と思ったのですが、召使もいる中産階級でした。
父タリヴァーは《男は賢く、女は多少頭が悪いくらいがいい》という考えの持主で、
友だちにも、こんなことを言います。
「わしは家内が利口過ぎたりという方じゃないので貰ったんですよ⸺そりゃ、顔もふめる (←ママ ) ほうだし、世帯の切り回しにかけては ざらにない家に育ったということもありますがな。
しかし、幾人もある姉妹の中からあれを選びだしたというのは、いわば多少頭の働きがのろい方だからなんですよ。
そうじゃありませんか、自分の家の中で物事の善し悪しを女房に教えて貰いたかないですからね。
しかし、なんですなあ。気だてのいい愚かな女が、馬鹿な男の子と利口な女の子を生み続けないものでもない。終いには世の中がまるでひっくりかえしになってしまいまさあ。いやさや、とんでもないむずかしいことで。」
第一部 第三章 p.13
そんなタリヴァー夫人はどんなかというと、作者はこう書いています⤵
タリヴァー夫人 ( エリザベス-通称ベッシー ) は、いわゆる気だての優しいい婦人である⸺赤ん坊の頃も、お腹がすくとか、ピンが刺さって痛いとかのほかは、どんなことがあってもけっして泣かなかった。そして、ゆりかごの時代からこのかた健康で、色白で、肉づきがよく、そして智慧のまわりが遅かった。ひとくちで言えば、その美貌と愛嬌をもって彼女一門の華であったのだ。
第一部 第二章 p.10
父タリヴァーは、息子・トムをキングス・ロートンの教会の神父に預け、
教育をほどこしてもらおうと考えます。
そして本好きで兄より利口な娘・マギーには、こんなことを言います。
「本を閉じなさい、もうそんな話はするんじゃない。わしの案じたとおりだ⸺子供というものは、本を読めばいいことよりもわるいことのほうをよけいに覚える。さあ、あっちへ行って母さんのお手伝いをしなさい」
第一部 第三章 p.13
こんな両親のもとに育ったマギーは、兄が教育を受けられるのが羨ましくてしょうがない。
幼少期のマギーは知的渇望を胸に抱いて悶々としています。
《悶々としている》といえば、もうひとつ。
マギーにはルーシーという従妹がいますが、何かというとその子と比べられるのも気に入らない。
ルーシーはお人形さんのような美しい女の子で、
座っていなさいと言われたら、いつまでもじっとしているような子でした。
伯母たちはルーシーの可愛らしさを賞賛し、色が黒く我の強いマギーは謗られます。
マギーはルーシーを嫌いじゃないけれど、比べられるのは嫌でした。
そしてこんなことも事件を起こします。
髪の毛を綺麗にカールをしてやってきたルーシーを見て、叔父叔母は褒めます。
一方、マギーの髪はボサボサで、いくら母親が櫛を通してもダメな髪質。
ヤケをおこしたマギーは、自分の髪をジョキジョキと切ってしまいます。
しかし、切ったはいいけれど、階下の伯母たちの所に行かれなくて泣き出してしまう。
教育にも、愛情にもマギーは枯渇していたのです。
そんなマギーは兄のことを慕います。兄も「マギちゃん」と可愛がっています。
物語の流れ
父タリヴァーは、負けん気が強く、いつも諍いをおこしています。
水車小屋に引き入れる水のことで、上流の水車小屋の主人との間でもめています。
しかし訴えに出るものの、訴訟に敗れ家屋敷全部取られてしまいます。
タリヴァーは相手方の弁護士・ウェイケムをひどく恨みました。
ウェイケムの息子・フィリップはトムと一緒にキングス・ロートンの教会で学んでいました。
フィリップはトムより成績優秀だったので、トムもフィリップを嫌っていました。
そんな父や兄の感情をよそに、マギーは密にフィリップを慕っていました。
時が経ち、フィリップとマギーは家族に内緒で会うようになりました。
フィリップは父の宿敵ウェイケムの息子だし、彼自身が不具 ( せむし ) だったので、
父や兄に許してもらえるはずがありません。
一方トムは懸命に働き、輸入の商売で成功し、父の背負った借金を返済するまでになりました。
トムが借金を返済してくれたことを知った父タリヴァーは喜びますが、
そんな祝いの席の帰り道で、ウェイケムと小競り合いをおこしてしまいます。
喧嘩が元で発作を起こした父は、数日後、息子にこう言い残して亡くなります。
「おまえ、なんとかして昔からの水車場をとり戻してくれ」
と。
ここまでが前半のお話です。
水車場をめぐる家族の話が、とてもスリリングに書かれていました。
ところが。。。後半がだるい。
前半の面白さがどこにいったというくらい作風が変わって感じました。
残り1/3だったので、何とか読み切りましたけど。。。
後半もざっくり書いておきます。
時が流れ、美しい女性に成長したマギーは、ディーン伯母の元で従妹のルーシーと一緒に暮らしてました。
フィリップとは、トムに反対され、合わない約束をしていたけれど、
ルーシーと、彼女の婚約者・スティーヴンと、フィリップの三人が歌繋がりの友だちだったものだから、四人でまた会うようになります。
でも、スティーヴンが、ルーシーからマギーに心変わりをしてしまい、告白されます。
マギーの方も、スティーヴンが気になる存在でした。
「このままでは従妹の相手を略奪することになる」
マギーはスティーヴンと距離を置きますが、運命のいたずらでマギーとスティーヴンはフロス河から遠くボートで流されてしまいます。
やっとの思いで家に帰りついたマギーを待っていたのは、従妹の悲しみと、兄の叱責と、世間の冷たい目でした。
スティーヴンからの告白を拒絶したといっても、誰も信じてくれない。
マギーは知人を頼り家を出ます。
しかし、ひとり暮らしを始めた矢先に、未曾有の大洪水に巻き込まれます。
ボートで流されたマギーは、生れ育った水車場に漕ぎ出します、兄と母を救うためです。
やっとのことでトムを救出したマギーですが、2人の運命は、ちゃんちゃん。
この物語は、作者の幼い頃の姿が描かれている自叙伝的なものだそうです。
幼年時代にすごしたグリフという町の情景と、家族もモデルだそうな。
本に登場する三人の伯母も、作者の母親の実家がモデルだそうです。
※ ジョージ・エリオット ( 本名=メアリ・アン・エヴァンス ) の母の実家・ピアスン家は、
エヴァンス家よりも家柄がよく、母の既婚の三人の姉妹たちは、
そっくりそのままドドスン一族として戯画化されています。
だから面白かったんでしょう、前半が。
しかし後半の美しい女性になったマギーというのは、どうも実際と異なるらしい。
私が「前半はよく描けているけれど、後半はサッパリ」と思ったのは、
こういったことが原因だったのかも知れません。
とにかく。
凄くワクワク読み進められる部分と、何をもたもたしているのだろうかという部分の落差が烈しくて、
秀作か愚作かわかりませんが、伯母さんたちのシーンは滅茶苦茶傑作でした。
長くなりますが、最後にそれを書いて終わります。
ユーモラスに描かれた、ドドスン一族の記述
ドドスン家はマギーの母親の実家。
家柄的にはタリヴァー家 ( マギーの家 ) より格上なので、伯母たちは事あるごとに「ドドスン家の血筋」と口にします。
物語の序盤、ドドスン家の四姉妹が集結するシーンが痛快でした。
ドドスン家はたしかに美貌の家柄である。
とりわけグレッグ夫人 ( ジェイン ) は四人の姉妹のなかでもめったにひけはとらない。タリヴァー夫人の腕椅子に座ったところは、ひがめてないかぎり、五十に手のとどく婦人にしては、まことに眉目かたちのうるわしい婦人だとうなずかぬわけにはいかない⸺もっともトムやマギーはグレッグの伯母さんは醜女の見本と考えていたが。
彼女が衣裳をみせびらかすようなことをしなかったのは事実である。というのは、彼女が自慢するように、彼女ほどりっぱな着物をもっているものはないが、古いのがいたまぬうちに新しいものを着つぶすようなことは彼女の流儀ではなかった。世間の婦人たちが洗濯ものを出すたびに上等の麻糸や木綿系のレースを洗いにだすのは、彼女たちの勝手である。しかしグレッグ夫人が亡くなったあかつきには、彼女の水玉模様の壁紙のはった部屋にある衣裳箪笥の右手のひきだしには、聖オッグの町のウール夫人がこれまで買ったどのレースよりもまだりっぱな品をしまいこんであることがわかるだろう。
第一部 第七章 p.36
ブレット夫人 ( ソフィー ) は、ドドスン家の二女である。
タリヴァー家にやってきた時には泣いていたので、どうしたのかと聞くと懇意にしていた近所のおばあさんが亡くなったという、その描写がこちら。
「ソフィー、おまえさんにもあきれてしまう。身内のものでもないひとのことにやきもきして、自分のからだをわるくするという法がありますか。なくなりなさったお父っつぁんはけっしてそんなことはしなさらなかった。これまでわたしの知っているところでは、実家の血をひく人たちには、そんなひとはひとりもない。もい、いとこのアボットが、遺言もしないで突然なくなったときいても、おまえさんはこれほどとりみだすことはありますまい。」
ブレット夫人は泣き止まなければならなかったし、また泣き過ぎるとこごとを言われて、腹がたつよりもむしろ得意だったので、黙っていた。自分になにひとつ遺してくれなかった近所のひとのために、誰も彼もがそれほど泣けるものではない。しかしブレット夫人は紳士農のもとへ嫁いだ。暇もあれば金もあるので、思いきり世間体がいいように、泣いたりわめいたりできるのである。
第一部 第七章 p.40
ドドスン家の四女-ディーン夫人 ( スーザン ) には美しい娘-ルーシーがいる。
タリヴァー夫人はこの、姪のルーシーと自分の娘-マギーとを見比べると落ち込んでしまうのが常だった。
ディーン夫人が小さなルーシーを連れてみえたので、とぎれてしまった。そして、ルーシーが金色の巻き毛をきちんとそろえているのを見ると、タリヴァー夫人は口にこそ出さないが心が痛んだ。
ドドスン家姉妹のなかでいちばん痩せて顔色のわるいディーン夫人に、タリヴァー夫人の娘とみられそうな子供ができるとは、まったくわけがわからない。そしてマギーはルーシーと並ぶと、いつでもひごろの倍も黒く見えた。
第一部 第七章 p.41
ディーン夫人 ( 四女 ) がしまりやだという記述もありました。
聖オッグの町では、ディーンほど重んじられたひとはほかになかった。
そして、かつてはドドスン家の姉妹の中でいちばんつまらぬ結婚をしたと思われていたスーザン・ドドスン嬢は、やがては姉のブレットさえもしのぐほどりっぱな馬車に乗り、りっぱな家に住むだろうとまで考えるひともあった。
おおがかりな製粉場を経営し、所属の船舶を持ち、そのうえ所属銀行まである、ゲスト紹介のような事業にひとたび地盤をもったが最後、どこまで出世するかわかったものではない。
そしてディーン夫人は懇意な婦人たちの下世話にのぼるほど、自尊心も強ければ「握りや」でもある。あの奥さんのことだから、そばから激励がたりないばかりに、旦那さんの出世がとまる、ということはありますまい。
第一部 第七章 p.43
本日の昼ごはん
峠蕎麦
本日の夜ごはん
鶏の唐揚げ、トマトと紫蘇のサラダ、明太子とイカの和え物、菜の花のお浸し
菜の花はこの時期のご馳走
昼食に鶏を解凍したので、残りの鶏肉に下味をつけておきました。
二品追加