配信で映画『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』を観た。
封切当初から話題の映画で、気になっていながら観られなかった作品だ。
実物のマーガレット・サッチャーとメリル・ストリープが激似であるという噂もあり、
第84回アカデミー賞主演女優賞、メイキャップ賞を受賞している。
内容は、英国初の女性首相となり、国内のみならず世界に影響を与え続けたマーガレット・サッチャーの人生をつづったもの。
イギリスのグランサムの食糧雑貨商で生まれたマーガレットは市長も務めた父の影響から政治にも深い関心を持ち育つ。オックスフォード卒業後、経済学に傾倒しながら政治家になっていく。
夫となるデニス・サッチャーとは、彼女が1950年庶民院議員選挙に立候補した時からの付き合い。
( その時は落選。初当選は1959年 )
デニスは彼女の政治活動を経済的にも精神的にも支えた人で、マーガレットが英国初の女性首相になったことで、彼もsirの称号を得て英国史上初めての男性の首相配偶者となる。
物語は、政界引退後、認知症 ( ? ) を患うマーガレットの実生活に、戦中の若年期から1990年の首相退陣に至るまでの回想を挟みながら描かれている。
既に亡くなっている夫デニスが、幻覚としてマーガレットと生活を共にしているという設定で、幻覚の夫とのやりとりを通して、現役時代の栄光や挫折、キャリアの為に犠牲にしたかもしれない愛を回想していく。
まず、私が驚いたのは冒頭シーンだった。
小さな食料品店で牛乳の値段に驚きながら買い物をする一人の老婦人。
この人物こそ引退後のマーガレットであり、83歳の彼女を演じていたのがメリル・ストリープであった。
メリルが首相時代のマーガレットを
まさか晩年のマーガレットまで
幅広い役を演じる名女優
メリル・ストリープは、アカデミー賞最多ノミネート記録を持つ大女優だ。
《最多ノミネート》というからには、それだけ多くの映画に出演してきたわけだが、
彼女の演じたキャラクターの幅はとてつもなく広い。
マディソン郡の薄幸な妻から、プラダを着た悪魔の鬼編集長から、
激流のマッチョなカヌー乗りから、未来を花束にしての女性政治家まで。
そんなメリルがマーガレット・サッチャー役に挑戦するからには、
似ているというレベルで終わらせない意気込みや狙いがあってのことだろう。
私生活のメリルが歯に衣着せず政治問題、人権問題、環境問題を語っているだけに、
思想的にもサッチャーに肉薄する何かを抱いているのだと想像する。
メリルの演技
本作でのメリルの発声・息継ぎは実に見事だった。
首相としてピークにある時のエネルギッシュな発声はもとより、老女の弱々しい声と時折 喉に何かがつかえたような音 ( 声というより音 ) に脱帽した。
パワフルな女性が出来る人はいても、ここまで老若を声ひとつで演じ分けられる女優はいないと思う。
ジム・ブロードベントも好演
夫デニスを演じたジム・ブロードベントも見事だった。
妻に隠れる存在でありながら、気品とウィットとアドバイスで妻を支えた様がよく表現されている。
そういえば、ジムは映画『アイリス』でも《妻を支える夫》を演じている。
『アイリス』は、ジュディ・デンチ演じる女流作家アイリスよりも、むしろ夫ジョン・ベイリーが主役の映画だったから、余計に印象深い。
話を本作に戻す
デニスがマーガレットの良きパートナーであったエピソードがいくつかあった。
ひとつは、マーガレットが退陣間近、側近者を人前で容赦なく罵倒するシーンの後で、
自宅に戻った妻を、デニスが「人はそんなことでついてこない」と諫めるセリフがあった。
もうひとつは、老女マーガレットが、ドクターを言い負かしてしまうシーンの後で、
自宅に戻った妻に、幻影のデニスが「またやったね」とからかう場面。
デニスがマーガレットにとって良い足かせとなり、かけがえのない存在であったことがわかる良いシーンだと思った。
そんな夫が亡くなった喪失感から、軽い痴呆に至ったのだろうという描き方もいい。
実在のマーガレットは長女の手により「痴呆症を患っていると」公表され、
本作の解説等でも「痴呆症を患うマーガレット」と表記されているが、
私はこの映画は、マーガレットを《痴呆として描いていない》と思う。
映画の中の晩年のマーガレットが痴呆でなく、意識はどこまでもクリアであったと感じたのは、
終盤たたみかけられたシーンによるものだ。
長女から物忘れや軽い痴呆を心配されるマーガレットが、デニスの幻影とたたかう場面。
6年近く夫の遺品を片づけられなかったマーガレットが、彼の靴や洋服をゴミ袋に詰め込み出したり、
デニスの幻影を見ることが、意識低下の原因と感じたマーガレットは、
家中の電化製品をつけ、大音量で、頭の中に響くデニスの声を打ち消そうとする。
そうやってデニスの幻影と対峙し、訣別することで、彼女は自分の精神を保もとうとする。
このシーンこそ、本映画において、晩年のマーガレットを痴呆として描いていない証拠である。
娘に言われて渋々受診する精神科 ( ? ) で、
ドクターの言葉に反論し、かくしゃくと持論を説くマーガレットの姿は、
半ボケの老女ではなく、現役のマーガレットであった。
そうしたシーンを作っていることも、痴呆ととらえていない証ではないかと考えた次第だ。
下記はその、医師とマーガレットのセリフ。
医師「誰にも悲しみはあります。
M 「主人が亡くなって長いわ。癌だった。
医師「娘さんの話では、遺品を整理なさるとか。
M 「私がそう決めたの。慈善団体に寄付するわ、人の役に立つでしょ?
医師「でも、おつらいでしょう。そのお気持ち ( feeling) ⵈⵈ
M 「《お気持ち》ってどういうこと? 最近は《考え》より《気持ち》。
《お気持ちは?》《居心地が悪いわ》《我々の気持としては》
今の時代の問題の一つは、人々の関心は《どう感じるか》で《何を考えるか》じゃない。
《考え》とか《アイデア》こそが面白いのに。
私が何を考えてるか。
医師「何を、お考えですか?
M 「《考え》が《言葉》になる。その《言葉》が《行動》になる。
その《行動》が、やがて《習慣》になる。
《習慣》が、その人の《人格》になり、その《人格》がその人の《運命 ( さだめ ) 》となる。
《考え》が人間を創るのよ。
私の父の言葉。
言っとくけど、私は健康よ。
でも、あなたのご心配には感謝します。