Garadanikki

日々のことつれづれ Marcoのがらくた日記

ビヴァリー・ケニー

 

ビヴァリー・ケニーのアルバムを聞いた。

彼女の声に、たちまち魅了された。

ハスキーなのに可愛い声で、日本で大人気のジャズシンガーだったらしい。

本国アメリカよりも日本での方が人気だったという。

 

 

我が家でビヴァリー・ケニーを知ったのは、MOURIが去年、私は今年になってだった。

彼女が活躍していたのは、1955年からの5年間で、丁度 私たち夫婦が生まれた頃。

将来を待望されながら1960年、自ら命を絶ってしまった。

なんともったいないことを。

 

ネットで《ビヴァリー・ケニー》を検索しても、日本のWikipediaはない。

アメリカのwikiを訳すと、こんな感じ⤵

【Beverly Kenney プロフィール】

1932年1月29日、ニュージャージー州ハリスタウン生まれ。

1960年4月13日、ニューヨーク グリニッチビレッジにあるイースト11thストリート45番地にあるユニバーシティレジデンスホテルのアパートで、2回自殺を試み、3回目はアルコールとセコナルを組み合わせ自殺。享年28歳。

彼女の父、チャールズJ,ケニーは、2泊前に彼女と夕食をとり「すべてが順調に見えた」と言った。

Her father, Charles J. Kenney had dinner with her two nights earlier and said "everything seemed fine".

 

活動期間 1955年~1960年

1955年ドーシー・ブラザーズ・バンドの専属歌手としてツアーに参加。

その後ジョージ・シアリング・グループなどで活動。

1955年10月、カーネギーホールでのイスラエルのジャズ慈善コンサートで取り上げられ、マイルスデイビス、アートブレイキー、ティトプエントと共演。

1956年ルースト・レーベルに初録音。1957年までに同レーベルで3作品を録音。

1958年にデッカレーベルに移籍、3作品を録音。

 

ダウンビート評論家のナット・ヘントフは彼女を賞賛。

「ヘレン・メリルよりも柔軟性があり、テディ・キングよりもスイングしやすく、彼女の音楽的才能と歌唱力はクリス・コナーよりもはるかに優れている」と言った。

He said Kenney is “more flexible than Helen Merrill , swings more easily than Teddi King , and her musicianship and care for lyrics are far superior to Chris Connor ’s.”

 

彼女の歌声は素晴らしくチャーミングで、25歳の女性が歌っているとは思えない大人びたものだ。

YouTubeで視聴できるので興味のある方は是非。

これはその一部⤵

 

 sidw1 Do It Again

 

side1  A Woman's Intuition

 

 

本日の昼ごはん

みそにこみ~

 

 

本日の夜ごはん

つまみ三品盛り、高野豆腐、新玉ねぎとオイルサーディン、食べちゃダメ卵

 

新玉ねぎとトマトとルッコラのサラダ、切干大根

 

なすの揚げびたし

 

心持ちしょっぱめだったので、大根おろしを添えた (;'∀')

 

 

 

 

とじ込みは、ビヴァリー・ケニーのアルバム

 

 

ビヴァリー・ケニー(Beverly Kenney)

「Snuggled On Your Shoulder: +1:  / 二人でお茶を」(1954)

 

「SINGS FOR JOHNNY SMITH / シングス・フォー・ジョニー・スミス」(1955年



「Sings With Jimmy Jones and "The Basie-ites"/ シングス・ウィズ・ベイシー・アイツ」(1956年)

 

「Come Swing With Me / カム・スィング・ウィズ・ミー」(1956)

 

「Sings For PLAYBOYS」(1957年)

 

「 BORN TO BE BLUE / ボーン・トゥ・ビー・ブルー」(1958年)

 

「LIKE YESTERDAY / ライク・イエスタデイ」(1959年)

ラストアルバム。「センチメンタル・ジャーニー」の決定版をはじめ、甘き香りに酔える一枚。