世田谷区の図書館で借りてきたこれなるものたち
幼少期からティーンエイジャーまで世田谷で育った私の故郷は、世田谷。
「ふるさと 世田谷を語る」シリーズは、世田谷で生まれ育った古老が昔の話を語ってくれる本。
以前、台東区の「古老がつづる~」に出会って、素敵な企画だなと思い全巻集めたが、
世田谷でも同様の取り組みをしていたようだ。
この本の中には絶対に芹沢家のことも書いてあるだろうと思った。
あったあった!
大正12年4月以前の羽根木の?図と書かれたイラストに「芹沢新平」さんの名前がハッキリ記載されている。
羽根木は、海抜四十~四十五メートルの台地にあって木や森が多く、土地は黒土に覆われて地質も肥えていました。そのため樹木はよく生い茂り、なかでもスギ、ケヤキ、カシが多く、たいていの家の周りには屋敷林があり、その続きには孟宗の竹やぶがありました。羽根木の竹山は人々に知られるところでした。日当たりのよい畑はごく一部に限られていたようで、人家三十数軒はあちこちに点在して、静かな農村風景をかもし出していました。
特に芹沢家の周辺は、樹木が多くて昼間でも薄暗く、百年以上も経ったスギやケヤキの大木がそびえていて、一里 ( 約三・九三キロメートル ) くらいの遠方からでも見えたといいます。夜間はとても寂しく、女の人や子どもは怖くて通れなかったということです。
世田谷区生活部文化課:発行『ふるさと世田谷を語る』代田・北沢・代沢・大原・羽根木 p.142より
《知りたい》と思うことが、本の中に見つかっていく感動。
調子に乗って、こちらの本も借りてきた。
こちらは個人の手作りの冊子だ。
斜め読みしただけでも、芹沢さんの土地のことややっていらしたことが沢山書いてある。
大地主で高額所得納税者として何年にも渡り人事興信録にも記載されている。
人事興信録. 9版(昭和6年) - 国立国会図書館デジタルコレクション
ただのお金持ちということだけではなく、名士であったようだ。
その話はまた次のお話として
本日の昼ごはん
日曜日のお昼は、ららんらんらん
好きなんだな、酢飯。
MOURI は「好きなんだな、味噌汁」と言ってました。
本日の夜ごはん
つまみ三品盛りは、豆腐のステーキ、最後の叉焼、最後の栗
適当も甚だしいメニューだわ、
鶏の手羽先を焼いたものと、
京のお揚げさんチーズ焼き
作り出して長ネギがないことに気がつき、代用品として豆苗を入れた。
豆苗まっずい、蒸れたような匂いになるんだわ。しっぱい。
ねぎのスッキリした風合いがやはり必要な料理であった。
今日は最初からご飯をこんな風にして食べたいとリクエストだった。
しらすにちょっと醤油をかけたもの、
焼き鮭の瓶詰、海苔の佃煮、紫蘇にんにく、
こんなラインナップで食べる白いご飯は最高です。