これは23日のお話。
敬愛する相互読者のたまうきさんから、興味深いお話を教えていただいた。
「目黒は競馬発祥地(ダービー)で、多摩大大学院裏手の下目黒4~5にかけ
旧競馬場のコースの円弧が道で確認出来ます。」
すぐさま、航空写真を見て好奇心で一杯になった。
確かに跡地のカーブにそって道路が残っているではないか。
愛車SAYAKA号 ( 電動アシスト自転車 ) をフル充電して、目黒に向おう!
先日 ( 百段階段を見に ) 行ったばかりであるが、この辺りは 地元-渋谷同様 高低差の激しい場所だ。
偉い人は昔から高低差のある場所の高台に居を構えたいようで、
目黒雅叙園の敷地も、細川家の下屋敷だったらしい。
今でも目黒川沿い ( 低地 ) をはさんだ両側の高台は高級住宅地になっている。
人は平地より、高低差のある坂道の多い町が好きなのだろうか。
そんな目黒に、競馬場があったということは、
その辺りだけでも平らの場所が広がっていたということになる。
まさか競走馬は上ったり下ったりという道ではレースをしないだろうから。
とにかく、今も跡地のカーブに沿って家が並んでいるのだというからこれは見てみたい!
教えていただいたのは、この学校の裏あたりか。
バス停も「元競馬場前」
目黒通りを左折して、
初めての十字路を左折してしばらく進む。
どうやら、この辺りが競馬場のカーブがはじまるあたりのようだ。
《蛇行した道は、昔そこは川だった》ということが多いが、
今回のように、施設のカーブが道路として残っているのは珍しい。
確かにこの辺りだけは、目黒にはめずらしく平坦な場所だ。
素敵な家があった。
この先も、狭い道路がなんとなくヌルーーっと続く。
道路の右側が昔、競馬場だった敷地。
いや~ おもろ。
さて。
もう一箇所。
この場所から南にちょっと行ったところに公園があるというので立ち寄ってみよう。
「都立 林試の森公園」は、その昔 お国の林業試験場だった所らしい。
競馬場跡地から林試の森公園に行くには、急な坂道を下らなければならない。
下った先に見える緑が「林試の森公園」
段彩陰影図で見ると、やはり双方 ( 競馬場と林業試験場 ) の間に、谷間。
公園に沿った道が曲がりくねっているので、もしやと思ったら、
やはり明治の地図上で川が確認された。
林試の森公園
林試の森「せせらぎ門」から入り、せせらぎ橋を見上げる。
池に、お友だちがいた。
写真の丁度真ん中あたりに見える黒い子 ( カラス ) が、ズブズブの泥に入って遊んでいる。くちばしを泥の中に突っ込んでみたり、泥にはまった足をズボと持ち上げてよろけたり、飽きずに遊んでいる様が可愛い。
それを見ている私も飽きないのです。
様々な種類の大木がそびえたっている。
あそこに見える白い木は、もしかしてシラカンバ?
ここにも白い表皮の大樹が。
このように珍しい樹木が大きく生育しているというのは、
やはりここが普通の公園ではなく、林試場だったからなのだろうか。
渋谷区にも大きい公園はあるが、普通に整備された公園はその土地特有の樹木が植わっている。
しかし、ここの樹木は多種多様。
林業の研究のために作られた施設の跡地だから、各地の樹木が集められたのかも。
林試の森公園の前身を調べてみた。⤵
「林業試験場」から「都立林試の森公園」への歴史
林業試験場の始りは、東京府北豊島郡滝野川村西ケ原 ( 現・東京都北区西ヶ原 ) におかれた 「樹木試験所」である。
1878 ( 明治11 ) 年に内務省地理寮によって西ヶ原に設けられたものが農商務省の管轄となった後、
1900 ( 明治38 ) 年に、ここ目黒に移転し「林業試験所」と改称された。
西ケ原で育てられた樹木が目黒に移植された時には、地元目黒の火消しの組頭たちもひと肌脱いだのだそうだ。
写真は、1907年 ( 明治40 ) 年の「林業試験所」の正門。
※ 「林業試験所」は1910 ( 明治43 ) に「山林局 林業試験場」と改称となった。
「林業試験場」は、その後も幾度も改組を経て、戦後の1949 ( 昭和24 ) 年に「林野庁」の付属機関となった。
1978年 ( 昭和53 ) 年に「筑波研究学園都市」へ移転し、現在は「独立行政法人森林総合研究所」へ改組されている。
目黒の「林業試験場」跡地には「都立 林試の森公園」が整備され、1989 ( 平成元 ) 年に開園された。
話は変わるが、森林といえば「明治神宮」もこれに似た人工の森林だ。
明治神宮の造林目的は、「林試験場」のような林業研究のためのものではない。
しかし両方とも、そこに自生する木ではなく、他の場所から移植されて出来た人工の森なのだ。
私たちが何気なく出入りしている公園でも、成り立ちや目的により、様々な植物が育成され、特異な生態系を築いているのかも知れないと思うと、植物の一本、野鳥の一羽も見逃せない気がした。
さて、そろそろ競馬場跡地の方に戻ろう。
帰りはちょっと違う道を。
水かけ不動明王の敷地の脇の三折坂を上り、龍泉寺の十字路を左折した先に、
目をみはるほどの立派な木塀と屋根瓦付きの門の家があった。
表札は個人名。
凄いお屋敷。
どんな方が住んでらっしゃるのだろう。
さっきのカーブまで戻ってきた。
復路は左にカーブ。
左側が競馬場になります。
ところで競馬場。
当時の写真をお借りしたら、こんなに広かった。
やはり広大な平地だ。
ところが、古地図をみると、「競馬場」と「競馬場」の文字の間に等高線が走っている。
段彩陰影図を見ても、少し窪みがある。
もう一度、地図を見てみると、
等高線はコースの下にもぐっているように書かれている。
もしかしたら、件の部分は黄色い線のように橋になっていたのか知らん。
当時の容子が知りたいものだが、レースを観戦したことがある方のお話が聞きたいものだ。
目黒通りにある記念碑
トウルヌソル号
第1、5、6、8、9、12回日本ダービー優勝馬、6頭を輩出した種牡馬だそうだ。
本日の昼ごはん
オムライス
卵とろとろに出来た!
本日のひとり夜ごはん
はしばやんの皿うどん
おいち