吉田修一 著『湖の女たち』を読了。
最近 読んだ本は、ほんわかした内容が多かったので、毛色が変わり衝撃的だった。
【内容】
琵琶湖に近い介護施設で、100歳の入居者が死んだ。
亡くなった入居者 (市島民男) は人工呼吸器をつけて療養中だったが、朝方心肺停止の状態で発見される。人工呼吸器が止まっていたことから機械の不具合と、当直看護師による業務上過失の両方から捜査が始まる。
捜査の過程で出会った介護士 ( 豊田佳代 ) と刑事 ( 濱中圭介 ) は、互いに逃れられないインモラルな関係に陥っていく。
一方、事件の取材をする週刊誌の記者 ( 池田立哉 ) は、自分が調べている1990年代に起きた血液製剤の副作用事件の重要人物と、亡くなった市島とが繋がりがあることを知る。
市島の過去に導かれ、旧満州・ハルピンにたどり着いた池田。
市島の妻が目撃したという 満州の湖での出来事と、現在 琵琶湖で起きている事件の真相が、次第に明らかになっていく。
この作品は、実際に起きた三つの事件がベースになっている。
① 371部隊 ( 第二次世界大戦期1939年頃 )
731部隊の元少年兵が激白…「残虐な人体実験が我々の日常だった」
② 湖東記念病院事件 ( 2003年5月22日 )
③ 相模原障害者施設殺傷事件 ( 2016年7月26日 )
《相模原45人殺傷事件》「こいつしゃべれないじゃん」と入所者に刃物を
①と③は、本でも明らかにわかるが、②は後からわかった。
② 冤罪事件
人工呼吸器をつけた患者が亡くなった事件で、容疑者として浮上した介護士・西山美香さんが逮捕されたが、後に冤罪だった。
冤罪の被害者になってしまった西山さんは、取り調べを受けた刑事に恋心を抱いてしまい、自白をすると彼が喜んでくれることから供述が二転三転したという。
任意の取調べで担当が山本誠警察官になると、西山さんらにアラームが鳴っていたことを認めるよう強く迫るようになりました。西山さんが「鳴っていた」と供述を変えると山本警察官は急にやさしくなり、男性との交際経験のなかった西山さんは好意を寄せるようになりました。
しかし、B看護師の恨みを買って悩むことになり、再び「本当は鳴っていなかった」と言うと、山本警察官に厳しく叱責されて、供述を変えるといった繰り返しがつづき、「自分がチューブを引き抜いて殺した」と供述。
その後も否認をしたり、犯罪行為の供述が次々変遷するなか殺人容疑で逮捕されました。
『湖の女たち』では、この冤罪事件のエピソードを、 2人の女性 ( 松本郁子と豊田佳代 ) に分けて担わせている。
犯人と決めつけられた女・松本郁子
所轄の刑事が、事件当夜当直だった介護士の松本郁子を犯人と決めつけて追い詰めていく。
彼女が否認しているにも関わらず、警察は「看護師との格差にうっぷんがたまり、こんなことをしたんだろう」と決めつけ、厳しい尋問をしたり、後を付け回したりする。
警察は「犯人を捜している」のではなく、「犯人を決めている」のだった。
犯人に仕立て上げられた松本郁子は、やがて精神を病んでしまう。
結果的には、弁護士やマスコミの力で「いきすぎた尋問」と叩かれ非難されたのは警察側だった。
刑事と親密になり嘘の自白をする女・豊田佳代
同じ介護施設に勤める豊田佳代は、湖畔で起こした車の事故をキッカケに、事件を担当する濱中圭介と歪んだ関係に陥っていく。
やがて佳代は、警察に出頭し「自分が犯人」と言い出したりもして、圭介を戸惑わせる。
ちょっと理解できなかったところ
圭介と佳代が異常な関係になっていったあたりが、私には唐突に感じた。
2人のインモラルな関係が、作品に必要だったのか、とさえ思った。
ドシャ降りの深夜に起きた衝突事故で、救援車を待つ寒い車内で、2人に何かが芽生えたのだろうが、私にはその気配を読み取ることが出来なかった。
これは映像になれば、車内の臨場感や2人の目の動きなどでわかりやすいのかも知れない。
「近いうちに映画になるだろう」と思ったら、先月映画化されていた。
福士蒼汰の濱中圭介に、松本まりかの豊田佳代。
おーなるほど、いいキャスティング。
因みに原作の記者・池田は、映画では女性記者に変えられ福地桃子がキャスティングされている。
印象に残ったセリフ
最期に印象に残ったセリフを二つ書いておきたい。
松本を犯人として追い詰める警察で、圭介の上司・伊佐美のひとこと
「今度の犯人はあいつにするか?」p.250
薬剤事件の証拠をつかんだ池田だったが、上司から「上からの指示でもう記事にはできない」と言われる。その時の上司のひとこと
「悔しいだろ? でもな、こういう悔しさに慣れていくのも俺たちの仕事の一つだよ」p.269
本日の昼ごはん
ゴリゴリのうどんに付属のスープをかけたもの
美味しかったけれど、さて、なんという商品だったかな?
本日の夜ごはん
最近、品数が少ないような気がしているのだが、
MOURI には「よしよしこれで十分だよ」と言われている。そうなのか?