今年の冬は足の裏が冷え、リビングのホットカーペットが手放せなかった。
足が冷たいのは、ホットカーペットの電源が切れて導線が冷えるからだと思い、ずっとつけていた。
ホットカーペットをしまう段になる頃から、就寝時の足裏に違和感を覚えるようになった。
冷たいだけではなく、足の裏と指がジンジン痺れるようになった。
これは寒さのせいではない、と気づいた。
足裏の冷えや痺れ、足首の色が黒くなったりするのは、血行障害が疑われると、わかった。
座っている時間が長いのでエコノミークラス症候群、それから糖尿病の可能性もあるけれど、まずは歩くことにした。
運動不足だもの
にゃんこに会いに行かない時は、一日椅子に座りっぱなしだもの。
《にゃんこに会いに》といっても自転車でぶーんで、歩いているというほどでもない。
鎌倉など遠出の徘徊をしていた頃は 2万歩 ( 10km ) くらい歩いたが、コロナ以降なまっている。
そんなワケで、歩きます
歩くのが目的で、それからどこに行くかを考えるという逆パターン。
そうだ! 保健所まで歩いてみよう。
バスや電車を乗り継いで行く距離だが、歩いて歩けないことはない。
歩いていると、知った道でも色々な発見があるから面白い。
住宅街にこんな崖を見つけたり、、、
地域住民の方々が管理している庭園を見つけたり、
桜の木のうろには・・・
蘭かしら
植え付けられた植物が見事に共生している
お気に入りのエリアにたどり着く。
松濤&神山町エリア
ここは、麻生太郎さんちの二つ隣にある駐車場。
駐車場の敷地の隅に、大きくてそれはそれは高そうな庭石がころがっている。
そのまま置いて場所をとっていても、運び出すより安上がりなのかも知れない。
ひょっとして昔は、麻生さんちの敷地だっただろうから、麻生さんちの庭石か?
もっと昔は、鍋島牧場だったから、牧場の石垣か?
そんなことを考えると、古い地図が見たくなる。
帰宅して早速、地図をみる。
古地図 ( 1957年 ) によると、昔ここは『峯医院』だった。
現在 峯医院はなく、敷地の角地に峯コーポがある。
デヴィ夫人のお家
ちなみに、上の地図の25『清水』と書いてある場所は、現在デヴィ夫人のお宅。
デヴィ夫人は、アド街ック天国でこんなことを言っていた。
「私が住んでる家も鍋島家の別邸か本邸」
別邸だか、本邸だか、随分ざっくりとして言い方だけれど、話はこんな風に続いた。
「その家が、一萬田日本銀行元総裁の家になって」
「ひとりおいてわたくし」
ずっとこの話が気になっていたけれど、今回もう少し調べてみることにした。
件の住所の主の変遷
デヴィ夫人の話や、一萬田さんの経歴、複数の地図から、
件の場所に住んでいた方はこのよう順番と思われる。
1957年 ( 昭和32年 ) 頃 『清水さん』 ※東京都全住宅案内図帳渋谷区西部 ;1957年版
1965年 ( 昭和40年 ) 以降『一萬田さん』 ※青山の拡張工事により移転?
1994年 ( 平成6年 ) には『原さん』 ※セイコー社 はい・まっぷ 1994年発行
現在 『デヴィ夫人』
参考にさせていただいたネット資料
一萬田総裁の青山邸は、1965年 ( 昭和40年 ) から1975年 ( 昭和50年 ) にかけて道路拡張の対象になり、東海銀行が買い取り、保養施設として箱根強羅に移築された。
第18代総裁:一萬田尚登(いちまだひさと) : 日本銀行 Bank of Japan
日本銀行 元総裁の一萬田尚登 ( いちまだひさと ) さんは、
第18代総裁で、1946年 ( 昭和21年 ) から1954年 ( 昭和29年 ) まで総裁をされていた。
辞任した後は、鳩山、岸内閣の大蔵大臣を務め、この間に衆議院議員になっている。
1969年 ( 昭和44年 ) に引退し、1984年 ( 昭和59年 ) 、90歳で亡くなられている。
ダメだな、歩こうなんて外に出たが、結局は家に帰ってこんなことをしている。
本日の夜ごはん
〆のやきそば