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日々のことつれづれ 駄目駄目さんのガラクタ日記

中野 成願寺③ 中野長者ものがたり

中野 成願寺を訪れたのは、今から3年前、2016年8月のことでした。

成願寺のことは、成願寺①②としてアップしましたが、実はずっと書けないことがありました。

 

それは、このお寺の創建者、鈴木九郎のことです。

鈴木九郎は、中野長者とも呼ばれ一代で財を成した人物で、新宿・十二社熊野神社も創建した人です。

 

 

成願寺は、鈴木九郎の住いだった所に、九郎が創建した寺だそうです。

ですから、成願寺を語る上で、鈴木九郎のことを省くのはおかしな話。

それを、ずっと寝かしてきたのにはワケがありました。

 

鈴木九郎は善人ではなかった らしい

神田川に架かる淀橋は、昔「姿見ずの橋」と呼ばれ、忌み嫌われていました。

所以はあとで説明しますが、その橋を通った徳川家光(徳川吉宗説もある)が橋の名前の由来が不吉であることを知り淀橋と改名したという説があります。

 

この「姿見ずの橋」と鈴木九郎は、深く関係していました。

 

これは、中野区のホームページにも乗っているものです。

区が書くくらいですから、出どころのしっかりした伝説だと思います。

今は昔、応永の頃(1394~1427)、紀州熊野から鈴木九郎という若者が中野にやってきました。九郎はある日、総州葛西に馬を売りにいきましたところ、高値で売れました。信心深い九郎は仏様の功徳と感謝して、得たお金はすべて浅草観音に奉納しました。

さて、中野の家に帰ってみたところ、我があばら家は黄金に満ちていたのです。観音様のごほうびでした。それから九郎の運は向き、やがて「中野長者」と呼ばれるお金持ちになりました。その後、故郷の熊野神社を移して熊野十二社を建てたり、信心深い生活は続いていました。ところが、あふれる金銀財宝が屋敷に置ききれなくなった頃、九郎に邪念が生じたのです。

金銀財宝を隠そうと人を使って運ばせて、帰りにその人を亡き者にするという悪業を働きはじめたのです。村人たちは、「淀橋」を渡って出掛けるけれど、帰りはいつも長者一人だということから、いつしかこの橋を「姿見ず橋」と呼ぶようになりました。

しかし、悪が栄えるためしなし、やがて九郎に罰があたります。九郎の美しい一人娘が婚礼の夜、暴風雨とともに蛇に化身して熊野十二社の池に飛び込んでしまったのです。九郎は相州最乗寺から高僧を呼び、祈りを捧げました。すると暴風雨はおさまり、池から蛇が姿を現し、たちまち娘に戻りましたが、にわかに湧いた紫の雲に乗って天に昇っていってしまったのです。以来、娘の姿は二度とこの世に現れることはなくなったのです。

九郎は嘆き悲しみ、深く反省して僧になりました。そして、自分の屋敷に正歓寺を建て、また、七つの塔を建てて、娘の菩提を弔い、再び、つましく、信心深い生活に戻りました。めでたし、めでたし・・・

 

成願寺の写真
仲の長者の寺 多宝山 成願寺(じょうがんじ)

という、物語です。熊野十二社は、現在の新宿公園のとなりにある熊野神社、十二社の池は昭和30年代頃まで残っていたそうです。姿見ず橋は現在の淀橋、正観寺は本町の成願寺です。七つの塔はありませんが、空襲で焼失した区立第十中学校にあった三重塔がそれにあたるとされています。九郎が金銀を隠したところは近くでは十貫坂、遠くでは武蔵小金井、千葉県の小金といわれています。相州最乗寺は大雄山道了尊とも呼ばれ、神奈川県足柄の名刹です。

 

成願寺の写真
成願寺は中野坂上駅から徒歩3分のところです。

ところで、淀橋つまり姿見ず橋は、大正時代まで縁起の悪い橋とされ、婚礼などのめでたいことには絶対使われることはありませんでした。大正2年、土地の旧家浅田氏が親族の婚礼のときに、民俗学者柳田国男に講演をお願いするなど盛大な浄め式を行いました。これは「淀橋の迷信打破」と称され、新聞などに報道され広く話題を呼んだそうです。

お時間のあるとき、伝説めぐりはいかがですか?見慣れた景色も、このような伝説を思いながら歩くと、また違った味わいが・・アルカナ? 

誰が書いたか 《財宝を運ばせた従者を何人も殺した》というしめくくりに

《めでたし、めでたし》と書いてしまうセンスは疑いますが、

ここまでハッキリ書かれているのだから、かなり有力な伝説なのでしょう。

 

そんな話を知った上で、撮影してきた成願寺の説明板を見て驚きました。

書き替えられているのです

その写真がこちら⤵

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絵巻風になっているのですが、途中からガラスにベタベタとラフ書きの白い紙が貼りつけてあります。

最初の内は良いのですが、、

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この辺からは、

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 ⵈⵈ 。

一体これはどうしたことか、、、、

ラフ書きの内容は、鈴木九郎の功績ばかりです。

娘が亡くなったことも、伝説と異なります。 

⤴ まあ、白い蛇になったというのはオカシイでしょうが。。。

 

ラフ書きの説明では、

「早世した娘の供養のため、より一層、神仏に祈りを捧げた」という話になっていました。

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何だか釈然としない

「寺を建てたの当人のことだから悪口は書きたくない」

そういうことなのかも知れません。

しかし、この貼り紙ベタベタが妙に気味わるく、逆に気になってしまいます。

 

そして見つけました。この貼り紙の後ろに書かれていたものを、、、、

 

東京刺激クラブさんのアップした写真には、

私が撮影した写真の下にある絵がハッキリと写っています。

ちょうどこの写真の裏に、欄干のようなものがチラリと写っていますよね、

これが鈴木九郎が、財宝を運ばせた帰りに橋の上で従者を刺し殺す絵だったのです。

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正直に描いた説明書きを、何故書き替えるのか?

九郎が従者を殺した話が根も葉もない噂であれば、それを書かないのはわかります、創建者なのだから。

しかし、お寺の説明板に一度正直に「長者ものがたり」として発表したものを、

後から無かったことのように書き替える理由がわかりません。

 

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なんだかかえって気味が悪い。

悪行は悪行として残し「してきたことを悔い改め、懺悔をこめて寺を建立し、残りの人生を仏門に捧げた」とした方が、素敵なのに。

 

いずれ古い説明書きは無くなり、

まったく新しい「愛娘早世供養譚」に書き替えられるのでしょうが、

目にした貼紙は、私の中でずっと残ると思います。

 

参考文献

龍鱗:中野長者とその娘(東京都新宿区)

龍鱗:成願寺勧進帳・冒頭(東京都中野区)

中野長者 鈴木九郎の足跡を辿る(4)補記: 東京・水 散歩