Garadanikki

日々のことつれづれ Marcoのがらくた日記

小滝橋について ~続・長者物語

 

自転車で高田馬場まで行く途中です。

目的地の高田馬場では、バインミー三昧をする予定。

自転車でかなり距離があるので、途中の小滝橋で小休止。

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小滝橋は、神田川に架かる橋のひとつです。

 

神田川は、東京に住んでいるとあちこちで遭遇する川です。

なんたって長い。→24.6㎞あります。

水源は三鷹市の井の頭池で、河口は隅田川。

東京都の三鷹市、杉並区、中野区、新宿区、豊島区、文京区、千代田区、台東区、中央区と8区1市を流れている一級河川です。

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神田川の特徴は、都心を流れているにも拘わらず全区域にわたり開渠であること。

都内を流れる川の殆どが暗渠になっている中で、これは極めて珍しいことです。

 

でも、川面は高い堤防の下にあり、川べりまで降りられる場所はほとんどありません。

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小滝橋の下もこんな感じ⤵

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上から見下ろす川の風景は、あまり親しめるものではありません。

 

 

で。

この小滝橋なんですが、先日の《長者物語》のもうひとつの舞台でもあります。

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この地図は、長者物語の位置関係を示すものです。

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九郎が、下男を刺し殺して落としたと言われる「姿見ずの橋」は《淀橋》です。

《淀橋》から神田川の上流に位置するところに《中野長者橋》 がありますが、

九郎が当時住んでいた場所 ( 現在は《成願寺》 ) から近いことから名付けられたものと思われます。

 

小滝橋》は、九郎の娘の死体が見つかった場所と言われていて、それで「姿見の橋」と言われたそうです。

 

 

小滝橋「姿見の橋」には二つの話がある

ところで、「姿見の橋」にまつわる話は二つあるのだそうです。

小滝橋の反対側にもうひとつ石碑があり、そこに2つの話が書かれているとのこと。

ひとつは、鈴木九郎の長者物語

もうひとつは、井の頭池で殺された大蛇の話です。

 

長者物語は、先日の話とほぼ同じですが、

娘はではなくにの姿になっていなくなったというエピソードになっています。

こんな風に⤵

昔、紀伊国から鈴木九郎(中野長者と呼ばれる)という浪人が流れ流れて中野のあたりに住みついた。そのうちに財を成し、その財宝を背負わせて下エピソードに男に運ばせて土中に隠していたが、帰り道の橋の袂でその下男を切り殺しては川に投げ込んでいた。

 

 この財宝隠しが一段落した頃、一人娘の縁談がまとまり、その婚礼の夜、雷鳴がとどろき黒雲がわきおこって娘は龍の姿になり、飛ぶように走り去ってしまった。父の九郎は後を追ったが、今の淀橋のところで姿が見えなくなってしまった。さらに川を下って探したところ、今の小滝橋のあたりで死骸が見つかったという。

 

このため、淀橋のことを「姿見ずの橋」、小滝橋のことを「姿見の橋」と言うようになったと伝えられている。 

 

蛇の話の方は「油屋の小僧さんの話」というのものです。

 『昔々、吉祥寺にある油屋の小僧さんが井の頭池のほとりで草を刈っていると、

小さな蛇が出て来て邪魔をするため、小僧はこの蛇を鎌で殺してしまいました。

実はこの蛇、井の頭池に棲む大蛇が小僧をからかう為に化けたもの。井の頭池は大蛇の血で真っ赤に染まり、神田川は三日三晩の間、血が流れる川となった』ということ。

そしてしばらくすると小滝橋の堰に、大蛇の下あごの骨が引っかかっているのが見つかったのだとか。

 

参考サイト:Where`s sibitt? さん⤵

大蛇の話は、私が自転車を停めた側の説明板にも書いてありました。

 

小滝橋にある説明板

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神田川に架かっているこの橋は、江戸時代には上戸塚村 ( 現新宿区 ) と中野村 ( 現中野区 ) の間に架けられていた板橋でした。

小滝橋という名は、かつてこの橋の下に小さな堰があり、そこに水が流れて小さな滝となっていたことから名付けられたと言われています。

今はもうこの堰は残されていませんが、吉祥寺にあった油屋の小僧が大蛇を切ってしまい、その下アゴの骨がこの堰まで流されてひっかかったという昔話が伝えられています。

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説明版にあった写真

 

同じ長者物語でも色々あった

同じ長者物語でも、

娘は、龍だったり蛇だったり、

娘の姿のまま身を投げたという話だったり、

たたりではなく、若くして亡くなったと、色々ですし、

小滝橋の石碑では、娘と蛇は切り離された別の話になっています。

まあ、人間が龍になったり蛇になったりする時点で実話とは言い難い(笑)

婚礼がうまく運ばず悲観して《身を投げた》か、《病気で亡くなった》というのが現実的な話でしょう。

 

成願寺のホームページには、こんなことが書いてあります。⤵

 数年前修復が施された成願寺のご開山さまのお像のなかから、古い小さな骨片がたくさん出てきました。

 これを東京大学名誉教授鈴木尚先生に鑑定していただいたところ、中年の男性とからだの弱い娘の骨ということがわかりました。鈴木九郎と夭折した小笹の遺骨にまちがいないでしょう。

娘 ( 小笹 ) が夭折したと立証したとしても、九郎が下男を殺したか殺していないかとは関係ない話。これをもって長者物語を書き替える理由にはならないと思いますが。。。

 

いずれにしても鈴木九郎も、室町時代600年以上も前の人です。

実在の人物かどうかもわかりません。

※ 九郎が、紀州熊野三山から十二所権現を勧請してしたといわれる十二社 熊野神社も、一説によれば、熊野神社北側の角筈村(西新宿一帯の旧地名)代々の名主だった渡辺家の先祖の与兵衛(熊野神社HPだと興兵衛)が建立したという話もあります。

古い話ですし、日本人は昔から、蛇のたたりだという話好きですもの。

娘が死んだのも病気かも知れないし、九郎自身も人びとのやっかみで悪人にされてしまったのかも知れません。

 

長者物語のお話、くどいようですが気になると根に持つタイプでして、

調べれば調べるほど、色々わかってきました。

今日も、長者物語のパネルについて克明に記録されている方のサイトを見つけました。

 

『日記風雑読書きなぐり』さんは、2015年に成願寺のパネルについて紹介されていて、

新・神田川遡行 25 淀橋から長者橋: 日記風雑読書きなぐり

貼り紙をする前の完全パネルの写真も撮られていらっしゃいました。

 

中野長者物語 パネル 完全版⤵


私が興味を持った、貼り紙の下の絵と写真は、

新しいものよりはるかに名文で感心しました。

こんなものを消してしまうのは、非常に勿体ない。

 

いやはや、くどくてすみませぬ。

ご興味のある方は、上の『中野長者物語 パネル 完全版』をご覧ください。