ロバート・F・ヤング著『たんぽぽ娘』を読了。
『ジェニーの肖像』を読了した流れで、タイムトラベル物をもう一冊読んでみたくなり手に取った一冊だ。
『たんぽぽ娘』が収録されている本は二冊あり、いずれも絶版本。
入手困難だったので後回しにしていた作品だった。
「たんぽぽ娘 海外ロマンチックSF傑作選2」 ( 1980年 集英社文庫刊行 コバルトシリーズ )
今年になって河出書房新社と復刊ドットコム社から復刊本が出版されたので、
作品は読めるようになったものの、絶版本の人気は依然に高く、15,000円 ( 最安値 ) もするらしい。
人気の理由は、ドラマ『ビブリア古書堂の事件手帖』第8話に取り上げられたからだと思われる。
ドラマでも「絶版のコバルト文庫が8,000円」という話だったのが、
実際にも、ドラマの煽りで更に高騰し4~5万以上に吊り上がってしまったらしい。
※ 現在は4~500円のものもあり安定してきました。
こちらは、図書館で借りた「奇想コレクション たんぽぽ娘」 ( 2013年河出書房新社 )
この作品の方が「ジェニーの肖像」より読みやすい。
文学作品というより、ファンタジーノベルなのでサクサク読めます。
たんぽぽ娘の《たんぽぽ》とは、少女の髪の色を現している。
日本人は殆ど黒髪なので「カラスの濡れ羽色」くらいの表現しかなく、
外国人のように多種多様な髪の色や目の色を表現する文化が低いように思う。
子どもの頃「亜麻色の髪の娘」と言われても、どんな色だかイメージ出来なかったもの。
そんなことから「タンポポ」という表現は新鮮に感じた。
物語は、とてもシンプル。
あらすじを書くと台無しになる系の話なので割愛するが、
時間のコンセプトについて書かれているくだりが大変面白い。
たんぽぽ娘は父親が発明したタイムマシンで過去にやってきて主人公と会います。
彼女は、父親から聞いたといってこんな話をします。
「はじめに、いま公認されているコンセプトのほうから話すわ。
この説を支持する人たちによると、未来の人間は、過去のできごとには物理的にいっさい関係してはならないというの。なぜなら、未来人の存在そのものが歴史的な矛盾を引き起こし、その矛盾を吸収する過程で未来が改変される恐れがあるから。
そういうわけで時間旅行局では、許可された人たち以外にはタイムマシンを使わせないの。
でも、もっとシンプルな暮らしに憧れる人たちは、歴史学者になりすまして過去の世界へ永住する気で行こうとするから、そういう人たちを逮捕するために時間警察が活動してるわけ。
だけど、父のコンセプトによると、時の書物はすでに書かれているんですって。
巨視的に見れば、将来起こるできごとは、もうすでに起こっているのだと父はいうの。もし未来人が過去の事象にかかわりあったら、その人は過去の一部になってしまう--つまり、もともとその人は過去の一部として存在していたから--この場合には、だから、矛盾は起りえないということになるわね」
『たんぽぽ娘』(河出書房新書刊) P.99より
何かの本で読んだタイムマシンの話もこんなことが書いてあったなあ。
「タイムマシンで未来から過去に来た人が、過去の蟻を踏んで死なせてしまうだけで、
未来の出来事がガラっと変わってしまう。場合によっては自分が存在しないことにもなり得る。」
これが今まで私が理解していたタイムマシンのコンセプトだったから、
この本の父親の論理は目からウロコのものだった。
これから先は作品の根幹に関わってくるので書きませんけれど、
主人公の奥さんが心配そうにしていたワケもそこにあったのかと納得した。
奥さんにしてみれば、夫がたんぽぽ娘に心惹かれているのは過去のことだが、
夫の気持ちがどう移り変わるかは未来のことだから、それは不安でしょう。
ダメダメ、この辺にしておかないと ww