Garadanikki

日々のことつれづれ Marcoのがらくた日記

『きもの』 著:幸田文

 

新品とまごうことなき本。定価の半額以下で入手した古本です。

絶版なのかな。

文庫はありますが、やはりこの触感の単行本で読む「きもの」は最高でした。

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さすが新潮社

何百年ももつような立派な生地を貼った装幀。

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ごわっとして、ぴしっとした手触りは、

主人公るつ子が着物の肌触りや着心地にこだわったことを連想させてくれます。

作者、幸田文さんがこの装幀を見たらどんな感想をもらすかしら。

実はこの単行本は、没後に出版されたものだそうです。

 

「おとうと」を読んで以来、すっかり幸田文の切れ味のある文章に魅了されてしまい、

読みあさっているのですが、これは二冊目に選んだ本。

 

彼女の父親は、著名な作家 幸田露伴。

父親ゆずりの才能を開花させ文筆業を始めたのは、露伴の没後のことでした。

やがて彼女の著作は、小説から随筆に移っていきます。

個人的には、私小説より随筆への転進の方が良かったように思います。

でも、彼女の作品のどれもが、彼女でなければ描けないものであるのに変わりなく、

特にこの本は、ワタシにとって貴重なバイブルになりました。

 

《あらすじ》

明治時代の終りに東京の下町に生れたるつ子は、あくまできものの着心地にこだわる利かん気の少女。よき相談役の祖母に助けられ、たしなみや人付き合いの心得といった暮らしの中のきまりを、“着る”ということから学んでゆく。現実的で生活に即した祖母の知恵は、関東大震災に遭っていよいよ重みを増す。大正期の女の半生をきものに寄せて描いた自伝的作品。著者最後の長編小説。

 

るつ子は、何になっていくのだろう。。。

小説の始まりがまたドキッとする。

「引き千切られた片袖がまんなかに置かれ、祖母と母とるつ子が三角形にすわっていた。」

主人公るつ子は、新しい綿入れの気持の着心地が悪いと、袖を引きちぎってしまい、母親から叱責されているところから始まるんです。

なぜこんな乱暴をしたのかと責められました。綿入れの筒袖胴着は肩のところがはばったくて嫌なのだといっても大人たちにはわからないらしく、新しいワタだからふくふくと軽くしなかやで、幅ったくなどない、おまえは口から出まかせの申しわけをする、と言われます。

るつ子の良き理解者である祖母は、るつ子をこんな風に諫めます。

「るっちゃんはあの胴着、見たときから気に入らなかったのかい。」

るつ子は用心して祖母に答えなかった。

「見たときは綺麗だと思ったんだろ。だけど着てみたら気に入らなかった、そうだろ?

 でも正直にいうと、着た気分はよくなかったけど、温かだったんだろ? ちがうかい。」

「あたたかだった。」

「そこだよ。母さんはね、雪国の人だもので、綿を沢山いれちまうのさ。越後は寒いからみんなむくむくした綿入れで暮らすらしいよ。そういうのが身にしみているから、るっちゃんの胴着にもひいき分に沢山、綿をいれたんだろうよ。だからさ、あんなにおこられたけど、おまえ母さんに文句いったりしちゃいけないよ。」

ふたりの姉と兄をもつ、末妹・るつ子は、「戦争のときにうまれた子だから、気がきつくてこまる」と

何彼につけていわれる利かん気な少女だった。

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長姉は、色は黒いが父親ゆずりの美貌が自慢。見栄っ張りで高飛車な態度で るつ子に接します。

次姉はひどく現実的な性格。末妹のるつ子の着物は全部、姉たちのおさがりでした。

大きい姉にはいつも、新調をしてやるくせに、なぜ、自分にだけは新しいものを着せてくれないのか。

これがるつ子の苛立ちです。

「これ着るの嫌。また継ぎだらけだもの。」

「またはじまった、文句屋が。嫌なら仕様がない、よしてもいいよ。」

「ああよかった。よしてもいいならよすから、ほかのだしてよ。」

「ほかのなんてありません。いままで着ていた綿入れしかないんだからね。」

「だって、あれもう穢くなってるもの。」

「だから、きれいに仕立直したのをあげたでしょ。」

「いやだあ、背中の模様がひんまがってるんだもの。」

こんな調子。

あまりのだだに母が折れた。

すると。。。

だがその新しいのができて、着てみるとすっかり思惑外れだった。新品の絣木綿のごそっぽさ、肩揚げも腰揚げも突張りかえっていて、着物は るつ子のからだへ付いてこない。るつ子の身体なんかまるでかまっていないというふうに、着物は着物で反り返っていた。あまりの着心地の悪さにすっかり腹がたち、しかし、ねだってこしらえてもらった手前、まともに文句はいえないから、気がねしながら訴えた。

「新しい着物ってものは、座ってるより立ってるほうがいいみたいなのね。」

おばあさんが、二、三日すれば糊気がおちて着よくなる、といった。それをきいたら、もう駄目だ、と思った。こんなずんどうな固いものを三日も辛抱するのか。それなら背中に継ぎのあるほうののほうが、よほどましだと思った。着て一時間もしないうちに、とうとう音をあげて、元の継ぎのにしてくれと泣いたりわめいたりした。

「それだからわがままの強情っ張りだっていうのよ。」

小さい姉が得意そうだった。うちじゅうに笑われた。

上の姉たちは、柄が曲がっていようが、着心地をとやかくいうことはない。

着る物にことさら癇性な るつ子は、この先どういう人間に育っていくのか、、、

凄腕の仕立師にでもなるのか、それとも服飾デザイナー?

なにやら面白くなりそうな予感を感じならがら読み進みます。

 

「おとうと」さながらの苦労話じゃ~

物語が中盤になると、様子が変わります。

長姉が大病院の息子の元に嫁ぎ、次姉も結婚が決まる。

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それぞれの結婚の支度にかかる金品は尋常なものではありません。

親の苦労を見、見栄っ張りで強欲な姉たちに恨みを抱く るつ子でした。

その上、母親の看病となれば、「おとうと」で味わったような、重い話になっていきます。

おまけに、関東大震災が起こり苦労が重なるのです。

 

おばあちゃんの珠玉な言葉

冒頭「お母さんは雪国の人だから」にもあるように、るつ子の良き理解者である祖母は、着物のことだけでなく、生活の知恵や、人間への接し方に至るまで、色々なことをるつ子に教えていきます。

「貴重な生活のバイブル」と言ったのもこれが所以。

 

おばあちゃんは、るつ子をひいき目に見るのではなく、皆に目を配っている人でした。

長姉の結婚の仕度で、父親と長姉がもめるシーンがあるんですが、

そんな時にもおばあちゃんのひと言が一家を救います。

――るつ子はこんなにがみがみいう父をみたことがない。

おばあさんがすっと一膝出た。船が動いたように、すっと浮いて前に出た。手をきちんと膝に組んでいる。改まっていた。

「もうここで止めにしておくれでないかね。あたしもつらい。二人だけが考えが足りなかったんじゃない、あたしももっと気をつけてやればよかったのに、年甲斐もないことだった。」

「おばあさんにそう言われちゃ、これでお仕舞だ。ああ、嫌な気持ちだ――女房と娘だ、それに嫁入り前だ。ものをいったあとは、いい気持のもんじゃないなあ。」

るつ子ははからず父親の心にふれた思いがし、感動で固く座っていた。父親はふっと立つと、一寸行ってくると出て行った。

 

おばあちゃんに大丈夫と言われると。。。

「心配おしでない、いくら古物の寄せ集めでも、私が十分、縦にも横にも勘定しておいたから、るつ子が着てとびはねたくらいでは、ピリがくるような布地ではない。安心して着ておいで。こういう人の大勢くる、儀式の席の、ことに主人側で出席するときには、染めかえしであろうとどうと、とにかく作法通りのものを着ているのと、いないのとではずいぶん違うと思うよ。お母さんがよそのお葬式へはめったに出かけなかったのも、ありようは喪服をこしらえなかったからでね。そんな縁起のわるいものなんて、てんで受付けなかったんだよ。だから、よその人を見送るときは一々お父さんに行かせても済むけど、年寄のあたしを送る時はどうするんだって笑ったこともあってね。早死にするくらいだから、虫がしらせていたのかしらね。」

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 るつ子は寄せ集めの喪服をだまって着た。さすがのおばあさんも、雨の仕度まで手がまわらなかったので、雨着はなかった。

おばあちゃんの仕切りは的確で、いつも、るつ子を安心させてくれるものでした。こんなひとコマ以外にも、おばあちゃんに窮地を救われたり、知恵を貰ったり、気の持ちようを変えて貰ったりするのです。

 

先見の目

姉も片付いて、るつ子にもそろそろ縁談を考えなければいけない時期がやってきました。

そんな時のおばあちゃんの一言がまた凄い。

「るつ子はへんな子だとおもうよ。役人や勤め人でも似合うし、商家にもすっぽりだし、工場をやっているような人のところにも向くとおもう。だからどういう人でもいいと思うんだけど、そこが心配でねえ。なんだかこう、うっかりできないような気がするんでね。お姉さんたちとはちっと違う。」

「へえ、どう違うの。」

「それが聞きたいかい。」

「ええ。」

「――それじゃ気を悪くしないできいておくれ。お姉さんたちは口じゃいろんな勝手をいうけど、二人ともあれで納まっていくだろうよ。だけどるつ子は、下手をするとはみ出しそうな気がするんだよ。なあに、はみ出たっていいけどさ、でもその時つらかろうと思ってねえ。」

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終盤、物語は急展開でるつ子の縁談話になり、ラストに向かっていきます。

父親は るつ子の結婚相手をひと目見た時から気に入らず、縁談を断ってしまうのですが、

どうして気に入らなかったのかは語られていないんですよね。

中盤まで、きめの細かい感情まで書き込まれた作品だっただけに、とても唐突な感じがします。

しかし、父親の懸念、おばあちゃんの心配は物語の伏線になっていたのかも知れません。

 

読了後。

大好きな世界観の本だったので、いやにあっけない終りに、ちょっと寂しいような気もしました。

しかし随所に紡ぎ出された言葉の数々、美しい所作とは、大人の女としての大切な考え方とは、など色々なことがわかったように思います。

特に、心に響いたのは「考えが足りない」という言葉でした。

「考えが足りない」には、物事に対する否定ではなく、自分なりに一生懸命考えたことが前提となった上での、前向きな気持ちが含まれています。

最近、使わなくなった言葉だなと、ドキッとしましたし、

忘れてはいけない心構えを思い出させてもらえた言葉でした。

 

 

これは、幸田文が長女・玉さんのために袖先に小花模様をあしらった黒の羽織です。

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この単行本の函は、この羽織の柄だったんですね。