さあ、たてもの園の見学!!!
本館から園内に出る所に、ビニール袋があります。
園内の建物 ( 一部 ) は靴を脱いであがることが出来るんだって。
ビニール袋は、外履きを入れる袋なんだって。
うれしー。内覧出来るんだ。
さあ。どこから見学しようか。
前を歩いている男の子が指、指している。私もついていく形に。。。
あら。素敵。平屋の家って好きです。
この照明、カッコいい。キツツキ、かな?
縁の下の風穴飾りも素敵じゃないですか。
あそこは勝手口かなぁ。
煙突
ここは、田園調布にあった「大川邸」だそうです。
さささ、入ってみよう。
っていきなりこのポスト可愛い。こんな低い所にあるのも面白い。
ここで靴を脱ぐわけですな。はい。
低いベンチは、靴を履いたり脱いだりするのにいいわねぇ。
防犯のことを考えなくてよければ、ドアの両脇にガラスって、やっぱり素敵。
左に廊下、その先は外に出られるんだ。
お風呂場も清潔な白
書斎 ( 左 ) の方に行ってみよう。
うぉぉ、うぉぅうぉぅうぉう。
すてきっ!!! この壁紙も綺麗だなぁ。
窓からの景色は、お隣の借景。
「奥様は魔女」の街並みたい。
次は居間
これも憧れてるソファだわ。
下は引き出しになっているんだ。
ソファの隣からも庭に出られるようになっている。
左がソファ、右のドアが書斎ね。
くるっと後ろを向くと、硝子戸を隔てて食堂ですか
棚には、レトロな、、、これ、ラジオ?
こちらは、寝室のようです。
一変した黒のクローゼット。窓枠も黒い。
ミシンもレトロ
寝室からは、開放的な四枚引き戸で庭に出られるようになっている。
パーゴラっていうんですか?
これがあることで、庭の向こうの道路からの視線が遮られている。
寝室だものね。
懐かしいです。この鍵。
寝室から食堂への扉は、狭くしてあるのね。食堂から寝室を見るとこんな感じ。
食堂の壁紙もまた素敵。
居間より少し暗いけど、そのコントラストが面白い。
暗いといっても、窓はあるんだ。
今は昼だから太陽は南に回っているけど、
朝日は北東に面したこの窓から射していたことでしょう。
高窓を開ける装置、なのかな?
キッチンとの堺の食器棚は、、、
キッチン側からと両方から出し入れできる。
このガラスがまた、素敵。
キッチンに行ってみよう
うぉー、ここも開放感がある。
この勝手口が、玄関からの廊下から見えた出入口。
時代が偲ばれるオーブンと冷蔵庫
当時、最先端の舶来品だったんでしょう。
勝手口の外からの眺め。
何から何まで素敵。
当時一番お洒落で機能的な家だったことでしょう。
憧れていたものが沢山詰まった家です。
感想はもちろん。
ここに住みたい。
田園調布の家 ( 大川邸 ) は関東大震災後の1925年 ( 大正14 ) 現在の大田区田園調布に建てられた住宅である。
この家を建てたのは当時鉄道省の土木技師であった大川栄氏である。創建当初は、夫婦と子供2人、お手伝いさん1人の合計5人で住んでいた。
生活の様式は、大正時代の生活改善運動で理想とされた「椅子座」で考えられており、創建当時は全室洋間で建てられている。居間、食堂、書斎は寄木張り、寝室と女中部屋はコルク敷である。寝室は、一年ほどで畳に張替たという。
建物内部は、大正末から昭和初期の生活の様子を再現しているが、書斎机、居間のテーブル、食堂のテーブルとサイドボード、寝室の整理タンスは当時から大川家で使われていたものである。そのほかの多くは、展示のために購入した演示品であるが、玄関ホールの照明は、創建当時のものである。また、土台にはめられた換気口の金物も当時のものであり、モダンなデザインとなっている。
施主の大川栄氏は当時から写真の趣味があり、大川家では機会あるごとに写真を撮っていたため、多くの古写真から生活をうかがうことができた。
田園調布は、実業家渋沢栄一が設立した「田園調布株式会社」によって開発された郊外住宅地である。多摩川台地区 ( 現在の田園調布 ) の土地の分譲は1923年に始まったが、関東大震災の影響から都市を離れ郊外に移住する風潮も生まれ、分譲地の売れ行きは好調だった。
また、この住宅の設計者は当時岡田信一郎建築事務所の主任技師であった三井道男 ( みいみちお ) 氏である。大川家では当時の設計図を保存していたため、復元工事の際には、ほぼ創建当時の姿に戻すことができた。
田園調布の家 ( 大川邸 ) は、増築、改築を重ねながらも創建当時の姿をよく保ちつつ平成5年まで使われていた。
※ これは、 2015年10月27日 12:11のお話です。