Garadanikki

日々のことつれづれ Marcoのがらくた日記

一之輔独演会 花見の仇討ち

 

3月28日、渋谷道玄坂 Mt.RAINIER HALLで開催された一之輔さんの独演会、

二本目は「花見の仇討ち」でした。

 

【花見の仇討ち】

仲の良い4人の男が、花見をしようということになり、

「ただ花見をしてもつまらない、金がかからなくて、今まで誰もやったことがなくて、

これからも誰もやらないだろうという、人をあっと驚かせるような趣向をこらした

余興はないもんかねぇ」なんて話になった。

 

「ほんじゃこんなのはどうだい、10人人を集めてさ」

「おう、あと6人集めるのか、わけはない」

「向島の桜の木一本にひとりっつずらーっと並ぶ。各々踏み台の上に乗って、着物を脱ぐ。」

「ほう、着物をかい」

「そうよ着物を脱いで、ふんどしもとる」

「すっぽんぽんじゃないか」

「帯をこう、木の枝に通して輪っかをつくるな。そうしてこう手を広げて踊るんだ」

「?? 踊るのかい?」

「最後にな、その輪っかに首を入れて、踏み台をける」

「なんだそりゃ、くびっくくりか」

「そうよ、こんなこと後にも先にも誰もやらない」

「馬鹿かお前は、皆死んじまうじゃねえか」

 

「おまいに任すのが間違いだった、じゃ俺が昨日考えてきた案はどうだ」と、こんな筋書を話す。

 

男が一人煙草を吸っている。

そこへ巡礼姿の兄弟が通りがかり、男に火を貸してくれという。

男が編み笠を上げ、火を貸そうとすると男と兄弟の目が合う。

《巡礼兄弟》
  「やあやあ、ここであったが親の仇、なんじを討たんがため兄弟の者この年月の艱難辛苦。
   いざ尋常に、勝負勝負」

《仇の男》
  「しゃらくさい、返り打ちにしてくれる」と立ち回りになる。

《仇》と《巡礼兄弟》の立ち回り。なかなか勝負がつかない。見物人が集まる。

ころ合いを見計らって、もう一人が《六十六部》の姿で登場し「待った待った」と仲裁に入る。

《六部》は、おいびつを下ろし蓋をあけると中には三味線、太鼓に酒、肴。

「仲直りのお酒を一献」と言いながら三味線に太鼓に踊り出す。

今まで本物の敵討ちと思っていたものが「なんだ花見の余興か」とわかると、わーっとやんやの喝采。

 

当日とちるといけないということで稽古をすることになった4人。
普段言ったこともないような台詞。
間違えたり、噛んだり、端折ったり、いい加減な奴もでてきたりしながらなんとか稽古も終り、当日を待つばかり。

律儀で気の早い《仇役》は、朝から待ち合わせ場所の「擂鉢山」にきて煙草をふかして待つ。


《六部役》が装束を固めて上野に向かっていると、耳の悪い伯父に出くわす。
「お前、こんなところでそんな恰好をして何をやっているんだ」と伯父に言われ、説明をするが耳の悪い伯父には全然通じない。仕方なく伯父の家に行き、叔母に話をしようと思うが叔母は留守ときた。伯父を酔っ払わせて逃げ出そうとするが、自分の方が酔いつぶれてしまい「まあ、俺がいなくても大丈夫かな~」と寝落ちする始末。

一方《兄弟役》の2人は、台詞があぶなっかしい、木刀をふりまわし稽古をしながら擂鉢山に向かっている。すると手が滑り本物の侍を木刀でポカリとやってしまう。「無礼打ちにしてやる」「まあまあ」という侍2人に、自分たちは巡礼でこれから仇討ちに行くのです、と苦しい言い訳をする。侍は「そうか感心なことだ。仇にあったらそれがしも助太刀をいたすぞ」と、やっと許してくれる。

《兄弟役》が擂鉢山に着いた時には、今か今かと煙草を吸い過ぎた《仇役》はイガイガになっているが《兄弟役》が見えたので「おーい、こっちこっち」と呼ぶ変な展開で芝居が始まった。


火を借りる。仇とわかる。いざ勝負勝負。いいや返り打ちだ。
三人が真剣振り回し立ち回りを初めてしまうが、仲裁役の六部はいない。
次第に疲れてくる三人だが、今更やめるわけにいかない。
あたりは黒山の人だかり。
すると、先ほどの侍がやってくる。
「助太刀いたす」
《仇役》も《巡礼兄弟》慌てて逃げだす。
「これどうした、逃げるには及ばん、勝負は五分だ」という侍に、
「いえ、肝心の六部がまだ参りません」チャンチャン

 

花見の仇討ちは、色々な人がやっています。

YouTubeでも、五代目三遊亭圓楽師匠の「花見の仇討ち」が見られます。

 

 

花見の場所は、演者によって様々なようで、

この噺が作られた当初は、余興が許されている花見スポットは少なかったため、

オリジナルは「飛鳥山」になっていたそうです。

 

「飛鳥山花見」勝川春潮

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飛鳥山3つの博物館│飛鳥山とは?│四季折々−春「花見」

 

その後、余興禁止令がなくなると、噺の方でも「飛鳥山」を別の場所にする人がでてきて。。。

YouTubeの五代目圓楽さんは「上野の山王台あたりの切株」と言っていますが、

一之輔さんは「擂鉢山」にしていました。

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「江戸時代に余興が禁止されていた」ということも、演者によって地名が違うに疑問を感じてわかったことだったりして。。。こういうのが面白いと思うのです。

 

それから六部は、こんな人。

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おいびつ ( ? ) の中には仏様が入っていて、それを背負って巡礼をする。 

 

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ところが余興では、おいびつを開ければ、出て来るのが三味線だったり、太鼓だったり、酒や肴も入っている。仏様が入っているものだと、皆が知っているからこそ「あれあれ~っ」という話になる。

六部を知らない現在の人が見物人だったら、この趣向も通用しない、ということですよね。 

 

 

一之輔さんの噺で、、、凄い細かいことなんですが、

侍の一人を「近藤さん」と呼んでいるんです。

どうして近藤さんなのか、わからなかったんですけど、意味もなく笑いのつぼに入ってしまいました。

 

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