幼い頃から僧侶を志すロミュアルは、僧侶になる記念すべき授位式の日に、美しい女性に一目惚れをする。女性の名はクラリモンド。遊女であるクラリモンドに恋こがれるロミュアルだが、その愛欲を封印し、僧侶として生きていく覚悟を固める。
やがて司祭になったロミュアルの元に、危篤の女性の終油を請う使者が訪れる。その請いを受け、臨終に駆けつけるが、女性は一足違いで息を引取っていた。その女性こそ、恋焦がれたクラリモンドだった。ロミュアルは美しい亡骸に、思わず口づけをする。すると死んだはずのクラリモンドが起き上がり「これで結婚の約束をしたのだわね。貴方の接吻で一寸の間 帰ってきた命を、貴方に返してあげましょう。また直にお目にかかってよ。」と言い、再び息をひきとる。
クラリモンドとの奇妙な再会に鬱々と過ごすロミュアルの元に、心配した僧院長セラピオンが訪れる。
僧院長は「クラリモンドが死ぬのはこれが初めてではない」と彼に伝える。更に「クラリモンドが死霊とならないよう墓を封印しなければなるまい」と話して帰っていく。
動揺する中、日々の精進を続けるロミュアルの夢に、クラリモンドが現れる。
それからロミュアルは、夢の中で、クラリモンドと暮らすことになる。夢の中の2人は、ヴェニスの宮廷で贅沢な暮らしを楽しむ。昼は変わらず神に仕える身であるロミュアルは、しだいに昼夜のどちらが誠の自分かわからなくなっていく。
だが夢の中のクラリモンドの具合が、次第に悪くなっていく。病身のクラリモンドに、果物を切ろうとするロミュアルは、ナイフがすべって指を切ってしまう。するとクラリモンドがその手に猫のように飛びかかり、滴る血をすすり始めた。
「私もう死なないわ。貴方の豊かな尊い血の滴が、世界中のどの不死の薬よりも得がたい、力のつく薬なの。」
それからというもの、彼女は、愛するロミュアルの血を吸う欲求と戦い懊悩する。それを察したロミュアルは、クラリモンドに、自ら血を与えることにする。
僧院長セラピオンは、ロミュアルの目を覚まさせる為、ロミュアルを墓場に連れていく。クラリモンドの墓を開け、死骸を見せ、彼女がこの世のものではない悪霊(吸血鬼)であることを認識させようとする。セラピオンが遺骸に聖水をかけると、美しいクラリモンドの死体は散り散りになり、一塊の灰と化してしまう。
その後、唯一度クラリモンドはロミュアルの夢に現れて言う。「不幸せな方ね、何をなすった?」「何故、あの愚かな牧師の言うことをお聞きになったの? 私が貴方に何か悪いことをして? (中略)さようなら。貴方はきっと私をお惜しみになるわ。」
ロミュアルは、彼女を惜しみながら生きていく。神の愛は彼女のような愛を償って余りあるほど大きなものではないと思いながら…。
この『クラリモンド』、芥川龍之介が翻訳されたものですが、初出の単行本は、久米正雄訳として世に出たのだそうです。
芥川全集の後記には「目次、中扉、奥付に芥川の名前は見えない」と書いてあり、初出文庫本に附せられていた、久米正雄の序文が添付されていました。その序文から、作品が仏語からの直訳ではなく、ラフカディオ・ハーンの英訳を訳したことがわかります。また「友人、山宮允、柳川龍之介、成瀬正一、三君の大なる助力なくば、今日の小成をすらなす事ができなかった。」と記されています。
久米正雄が訳した逸話は、劇書房の笹部博司さんのサイトにも紹介されています。
≪自分が訳したものを、人が訳したことに≫ 一体どういう経緯があってのことでしょう。芥川さんと久米さんの間で、どういう話が取り交わされたのか、原稿を譲った理由や、経緯が、とても気になります。
『クラリモンド』の原題は、 La Morte Amoureuse と言いますが、日本語のタイトルは、「死霊の恋」 「死女の恋」 「廃墟の恋」「魔女の恋」「魔眼」「吸血鬼の恋人」と実に様々存在します。
つまり、これらのタイトルと同じ数だけ、多くの翻訳本があるのでしょう。
本作品は、吸血鬼物にありがちなオドロオドロしい要素はなく、儚い恋愛小説のように仕立てられています。
特に、面白かったのは、2つの葛藤が大切に描かれている点です。
初めてクラリモンドを見た場面の、彼女の描写は、実に3ページ半にも及んでいます。どこにも不要な言葉は見当たりません。優雅な詩を読まされているようで堪能させられました。
もうひとつの葛藤は、吸血鬼クラリモンドが、ロミュアルの生き血を吸うことに懊悩する場面。吸血鬼なら、不死の力を得る為に生き血を吸うべく男を虜にしてきたはずなのに、ロミュアルに対しては、それを逡巡する素振りがみられます。
この2つの葛藤を大切にしているところが、恋物語に思えた所以です。
こうしてみると、クラリモンドはロミュアルにとって、僧院長セラピオンが言うような悪霊だったのだろうか。素朴な疑問が生じました。芥川訳は、ロミュアルとクラリモンド側にたった書き方をしているように感じ、意識して恋愛の要素を色濃く打ち出しているのではないかとさえ思いました。
翻訳者が変われば、登場人物のイメージも変わってくるはず。訳者がチョイスする、ひとつひとつの言葉には、作品のイメージを変える程の大きな力があると思います。是非、他訳のものも読んでみたいと思う作品でした。
蛇足ながら…。
芥川さんが、これを翻訳したのは学生の頃とのことですが、今まで読んだ初期の作品(大川の水、老年など)に比べて、初々しい印象を受けました。冒頭、僧侶の常套句 「兄弟」という言葉を、そのまま訳しているところなどに、真正直さと可愛いらしさを感じました。
…La Morte Amoureuse(日本語訳の)タイトル別の刊行本の詳細を、紹介されています。
2012年9月5日読了