Amazonプライム三昧の日々。
夕方5時くらいから酒盛り開始して、NHKの連続テレビ小説を見まくっています。
「ちりとてちん」を観終わり、「あまちゃん」を観終わり、
「おしん」を観始めて途中で降りまして、今は「ひよっこ」を観ています。
「おしん」は、二人ともリアルタイムで観ていなかったので、
「この際ちょっと見てみんべぇか」ということだったんですが、やはり辛すぎます。
噂には聞いていたけれど、救いがなさすぎる。
「おしん」のファンは沢山いらっしゃると思うので申し訳けないですけどダメでした。
橋田さんの
そんなにいじめ抜かなくともいいと思うくらいのセリフに、気分が重くなりました。
それから、一か所「えっ?」と思うことがありました。
おしんの家は貧しい農家で、不作の為 人減らしに、娘たちが次々と奉公に出されます。
おしんも7つで奉公に出ますが、事情があって先に実家に戻っている。
そこに、長姉 ( 仙道敦子 ) が年期明けで帰ってくるんです。
ところが戻ってきた長姉に対して、祖母がポカンとしている。
「けーってきたのか」と、年期明けを知らない様子です。
可哀そすぎませんか?
辛い奉公を耐えしのび、指折り数えてやっと明けた年期に、婆は無関心です。
両親もおしんに対してほど気にもしていない様子で、
長姉は1日2日家にいて次の場所 ( 製紙工場 ) に働きに出ます。
←結局長姉は製糸工場で結核で亡くなるらしいです。
でね。
思ったんです。貧すれば鈍するとはこういうことなのか、と。
あまりに辛すぎると、人の辛さまでおもんばかってやれないのか、と。
もしかしたら、それが現実なのかも知れません。
・・・でも。
もしかしたらそれ、橋田寿賀子さんの体質でもあるかもしれない。
「渡る世間は鬼ばかり」でも人気の脚本家・橋田さんは可哀そうなヒロインを、
これでもかこれでもかと可哀そうに仕立てます。
その為にヒロインの周りのキャラクターが《ヒロインを可哀そうにするためだけにいる》みたいに、
私には見えてしまうのです。
「実生活に、脇役はいない」と、以前にも言いましたが、
ドラマには《ヒロインをいじめる為だけにいるような脇役》や《物語の進行に必要なセリフを言う為にだけにいるような脇役》がいすぎる気がするのです。
悪役がいなくても悲劇は作れると思うんだけど。
昔は、そういうドラマが多かった
確かに昔は、ヒロインの周りが悪役ばかりで、艱難辛苦にまみれる、なんてドラマが多かったです。
「細うで繁盛記」や「おしん」や、百恵ちゃんの赤いシリーズもそうかな。
でも今は違ってきました。
例えば、岡田惠和さんの
貧しく辛い状況を描くのであっても、キャラクターはお互いに思いやりを持って生きている。
そういう人間のやりとりの方が、余計に辛さが心につきささります。
ドラマ「ひよっこ」には、そういうシーンが沢山ありました。
ヒロイン-みね子の父親は出稼ぎ先の東京で行方不明になりました。
母親は、子供に心配させたくないと、その事実を告げずにいます。
しかしみね子は、母が何かを隠していることに気付きます。
母は重い口を開き、みね子に打ち明けます。
そのシーンがこれ⤵
「お父ちゃんはね、東京でいなくなって、、、
いまは、、、、生きているかどうかもわかんね」
「ごめんね、おかあちゃん酷い言い方をしたね」
「おかあちゃんが謝ることねえ。
おかあちゃん、ひとりで行ったの?東京」
「うん」
「怖かった? ひとりで怖かったでしょ。心細かったんでねえの?
私がもっと大人だったら、一緒に行ってあげられたのに、そしたら」
「みね子 だいじょぶだよう、かあちゃんは」
おかあちゃんね、おとうちゃんのこと信じて待ってようと思う」
「わかったよ おかあちゃん 話してくれてありがとう」
「うん、よろしくねっ。一緒にがんばっぺ」
「心細かったんでねえの? 話してくれてありがとう」だなんて、なんて心根の優しい娘なんでしょう。
母は娘を気遣い、娘は母を気遣う感動的なシーンでした。
親友同士のシーンも感動的でした。
谷田部みね子と助川時子は親友同士。
その母親 ( 美代子と君子 ) 同士も 幼馴染の親友です。
助川家は谷田部家より豪農らしく、君子は美代子の夫の失踪を知り、谷田部家の困窮を案じます。
暮 おしせまる日、君子が美代子のもとにやってきました。
「これ、使って」とお金が入った袱紗を差し出す君子。
「やだって」
「どうしてよ」
「一生の親友だからだよ、お金借りてひけめなんて感じたくないの」
「そんなもの感じること」
「あんだってよ 君子 あんの」
「わかったよー ちょっとまた来っから」
しばらくして、、、
「まだ来ました、お邪魔するよ」
「これは、我が家からのお歳暮です」
「気持ちの品ですので お金ではなく品ですので」
「なんだ、文句あんの ないよね」
「もう~」
「うふふ」
「ありがだく ちょうだいいたします」
君子「今年もお世話になりました 来年もよろしく」
デリケートな気遣いに涙しました。
母子の間では、こんなやりとりもありましました。
みね子は、家計を支えるために集団就職に出ることを決意し、
母や祖父に、自分からその話を切り出します。
就職先が決まったある日、母の美代子がこんなことを言います。
「みねこ おかあちゃん、あんたに謝んないと」
「なんで」
「あんたに決めさせてしまった あんたに言わせてしまった。
それは、、、おかあちゃん ずるいね おかあちゃんから言うべきだった。
おかあちゃんからみね子にお願いすべきだった。
おかあちゃん、頭ン中で思ったよ、お父ちゃんがいなくなって、
この家守ってくためには、みね子に」
「やめてっ」
「やだよ。おかあちゃんに言わせたくねーよ。だから自分から言ったんだよ。
だから言わないで。そんなこと言わないで、おねがい。」
「わがっだよ」
「おしん」の貧しさは「ひよっこ」とは比べようもないものなのでしょう。
時代も違うし、東北の厳しい世界ですから、人減らしをしなければ、家族が飢え死にする。
子供を奉公にでは間に合わず、姥捨てなんてこともあった時代です。
ですから「ひよっこ」と「おしん」を比べるのはオカシイかも知れません。
甘っちょろいと思われるかも知れません。
それでも、人と人との絆や、思いやりが欠落してしまったドラマには説得力を感じないのです。
非情なドラマよりも、情の通ったドラマの方が泣けてくるというのが実感です。
この先のステイホームでも、昔の朝ドラを観ていくことになりそうですが、
歴代のドラマの時代性や流行りを意識しながら見るのも楽しいかも。と思います。
話は変わりますが、←えっ、まだ続くの?
NHKの朝ドラを、私はずっと「朝の連続ドラマ小説」だと思っていましたが、
《朝》も《ドラマ》も入ってませんのね、正式名称は《NHK連続テレビ小説》でした。
それから昔、TBS系で「ポーラテレビ小説」というのがありました。
NHKが《連続テレビ小説》、TBSは《テレビ小説》と、混乱するタイトルでしたっけ。
ポーラテレビ小説は、民放の帯ドラですけど、いわゆる他局の昼メロとは一線を画していて、
内容はNHK同様、純情路線でした。
当時この二つはしのぎを削ってまして、両方とも新人を抜擢した登竜門的番組でした。
※ 昨今のNHKテレビ小説は、売れっ子女優が起用されますが、
昔は「新人女優を抜擢する」というのが決まりでした。
半年間ドラマに出ている間は、他局のドラマ出演もCM出演もNGというものでした。
何百 ( 何千? ) 人ものオーディションの中から抜擢された新人女優が局をあげて育てられ、朝ドラから巣立っていきました。それはポーラも同じです。
ポーラのヒロインから大女優になった人たち ⤵ これでもほんの一部です。
宇都宮雅代、木内みどり、丘みつ子、音無美紀子、中田喜子、岡まゆみ、名取裕子、樋口可南子、かとうかずこ、宮崎美子、賀来千香子、藤真利子。
先日亡くなられた岡江久美子さんもポーラ小説がデビューでした。
最近は、
原作を人気漫画に頼ったり、既存の女優を次々に起用するケースばかりです。
NHKの朝ドラの、吉高由里子も、高畑充希も、安藤サクラも、広瀬すずも全部そう。
戸田恵梨香に至っては間違いなく視聴率を取るといわれるベテラン域に達した女優さん。
テレビドラマの業界が、人気の原作や俳優にお助けいただき、安定路線を選ぶのは、
ちょっと寂しい。
せめて視聴率を気にしなくてもいいハズの 国営放送だけでも、いちから作ってほしいと思いますが、もう今はそうもいかないんですかな。
本日の朝ごはん
最近、そば・うどんにお揚げを入れるのがマイブーム。
旨みが増してワンランク味がアップする気がします。
本日の昼ごはん
珍しくこの日は三食。
しかも珍しくピザなんぞ注文しました。d ポイントのお蔭じゃ~(^^♪
本日の夜ごはん
お昼がヘビーだったので、さっぱり系で酒盛り。